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友愛政治の恐ろしさと、鳩山元首相の真意

2015-05-14 10:33:00 | 日記



  北朝鮮の軍の実力者である玄永哲氏が処刑されたという未確認情報が韓国と日本のマスコミの中で飛び回っている。その件については、僕はノーコメントだが、「友愛政治」について改めて考えさせられたので、書いていきたい。

  まず、友愛とか友情と呼ばれるものについて書こう。それらは西洋で生まれた観念だが、誰でも経験があるように、価値観が通じ合う人とか、共通目的がある人ほど、友人になりやすい。という事は、それらが通じ合わない人たちとは友人になりにくい事である。更に言うと、例えば、お金などの利害が絡むと友情は崩れていくものが多い。僕自身も価値観が違う人たちとは友人になれず、無理して友人になろうとして、若い時はよくケンカもした。そのため、長い期間、「友人」という言葉が大嫌いになっていたほどだ。友情の根は理性だろうが、理性は損得とか、エゴには勝てないものである。

  それを基に政治をしたら、どうなるであろうか。すでに答えはフランス革命後に出ている。上位者になった政治家たちが自分たちと考え方の合わなくなった人たちを端からギロチンに掛けて、殺していった事である。今の北朝鮮でも同じ事が行われているわけだ。金一族に合わない人は処刑か、投獄という。こう考えると、友愛は恐ろしい面があるし、理性には限界があると言わざるを得ない。

  ところで、近年の日本の民主党政権、特に鳩山由紀夫元首相も「友愛」を掲げていた。でも、鳩山氏は自分と考え方の違う人たちは切り捨てなかった。それどころか、今でも自分と考え方の違う人たちと積極的に交流している。鳩山氏は「考え方の違いを乗り越えて、みんなで力を合わせて国作りをする」事が友愛政治だと言っている。なるほどねえ、鳩山氏の考え方の根本は日本のはるか昔の聖徳太子の唱えた「和をもって尊しと為す」である。それが言いたかった事である。それで、西洋の言葉である「友愛」と混同して覚えて、あのような事を言ったわけである。そう考えると筋が通るし、実際、本音だと思う。何も鳩山氏に限らず、日本人の多くは「友愛=和」だと思っている。「和」とは、親しくする事である。何も民主党に限らず、政治にも限らず、日本社会の根底に深く存在する発想である。

  北朝鮮関係のニュースから、日本の政治の事も思ったので、書いてみました。

(もちろん、マルクス主義にも友愛の発想は受けつがれている)

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