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熱意社会の危うさ

2018-05-24 10:28:47 | 日記
  S園関係に限らず、40年前くらいのボランティアや身障運動関係は熱意だけで福祉の事を世間に広めようとする傾向があったように記憶している。「熱意を込めて語れば、どんな人も判ってくれる」と複数の福祉団体・身障団体で僕も話を聞いたわけである。当時の僕もそのように思っていた。でも、例えば、大学祭の福祉関係の場を借りて、ボランティアや身障運動家たちが一般市民に「熱っぽく」語っても、ほとんど判ってもらえない。例えば、S園の職員ストライキの様子とかを話してもそうだった。語り手が頭に熱が上る感じの例もあった。今の僕なら、その欠陥は判る。例えば、S園の事を語るとしたら、知らない人たちには情景描写から話さないと判ってもらえない。いきなりストライキみたいな事を話しても理解はできないわけである。情景描写やかみ砕いた説明には、冷静さが欠かせない。冷徹にS園などの事を見る作業も不可欠である。むしろ、熱意は抑えないといけないわけだ。


  昨日書いた「M氏の一番嫌った施設=多摩更生園」も、昔の僕ならば、多摩更生園の役人主体の経緯や実態は述べず、ただ「多摩更生園はS園よりも人権抑圧のひどい、悪い施設である」とだけ書いただろう。現に、40年前は一部の友人にそのように話したが、理解されなかったのを覚えている。その「友人」は多摩更生園は見た事もないから、以上の話し方では判らなかったのも当然である。

  昔の福祉関係は冷静な説明を欠いたから、仲間同士も判り合えず、福祉会が自滅したり、ボランティアや身障運動に疲れて止めていく例が多かった。「熱意を込めて語っているのに、何故、皆判ってくれないのだろう」と言っていた人も多かった。熱意も冷めて、失恋みたいな感じで、落ち込んで。首都圏では、そうして80年代になり、ボランティアや身障運動する人が減ったわけである。

   一方、「不死身の特攻兵(講談社新書)」を書いた鴻上尚史氏は、神風特攻隊と今の過労死問題の共通性を指摘している。確かに、どちらも相手の熱意に期待するものだから。恐ろしいわけである。

   スポーツ関係はもっと深刻かもしれない。冷徹さを欠き、熱意だけで練習みたいな事を繰り返すと、こっちは体力の強い人たちばかりだから、何かのきっかけで、暴力事件が起きるわけだから。大相撲関係でも、高校野球関係でも、暴力事件が絶えないが、理由の一つにはそのような事があるように思えてならない。スポーツも科学性など、本当は冷徹さが必要なのだが。

   一番深刻になり得るのが政治関係だろう。ヒットラーを見るがよい。彼は当時のドイツ国民の熱意をあおり、ユダヤ人やフランス、ロシアなどへの敵対心を掘り起こさせたではないか。熱意をあおるずるさをヒットラーは持っていたわけである。勿論、熱意だけで、冷徹さを欠く人がどこかの国の大統領や総理大臣になっても、非常に危険になる。冷徹さを欠き、「熱意だけで」隣国と外交するような事があれば、本当に戦争になりかねない。又、同時に内政も全然できなくなると思われる。そのような指導者が座に着き続けば、その国は亡びるわけである。それゆえ、選挙の時も国民は冷静に考えられる人を選ぶべきである。又、特に、マスコミが何かを熱狂的に報道したら、気を付けないといけない。熱狂的な報道に多くの国民が同調すると、その国もファシズムに動きかねないから。

   昔、僕の見た社会の様子はそのまま全世界の社会に通じる問題を含んでいたようである。関わり合って良かったと思う。

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