トシコロのありのままの暮らし


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伊藤まつさんとの初外出・その1・前説明

2015-05-18 16:54:30 | 日記



  1981年5月のある日曜日。東京都・東村山の国立ハンセン氏病療養所・多磨全生園の個人部屋に住んでいた伊藤まつさんというおばあさん元患者。そこに僕と、全生園サポート会のH会の人たちが集まり、タクシーに乗り、少し北の清瀬という町の中華料理屋に行った。五体満足の人にとっては、中華料理店に行くことは何でもない事だろう。でも、まず、障碍を持つ者にとっては介護者が必要だから、難しい。その他にも、元患者には難しいものがあるらしい。前説明からすると、伊藤まつさんは元々療養所の外の世界に関心が強く、77年に福祉団体の合宿で来た僕にも積極的に声を掛け、付き合いを求めてきて、あと、僕の多くの友人たちのことをしきりに聞いてきて、僕も手紙でよく話したものである。サポーター的な人たちも自然についてきて、ニュースを聞いては政治のことや、学校問題などの話も若者たちにしてくれた。

  また、絵をいろいろ描く傍ら、食べ物にも関心が強く、早い時期から「フランス料理でも、ロシア料理でも、何でもいいから、食べてみたい」と言っていた。一職員も「多くの人が訪れて下さるから、気候の良い時は外出してはどうか」とアドバイスもして、話し合った末、まつさんは油ものも食べられるし、柔らかい物が多いから、中華料理にしようという事に決まり、伊藤まつさんにとって一番体に合う季節である5月に行くことにしました。

  今日のお話はここまでです。本当は一気に書き上げる予定でしたが、長くなりそうなので、分けて書く事にします。

  基本的には、ハンセン氏病問題も、脳性まひ問題も文章化や言葉化はできないと僕は思っています。実際、脳性まひ者の書いた脳性まひ問題の本にしても、元患者の書いたハンセン氏病問題にしても、著者は一生懸命書いてはいますが、肝心なことが伝わっていないようで、それを読んだ人たちはそれらの問題を誤解する例がかなりあるわけです。僕も両問題は基本的には書けません。とは言え、かなり過去とは言え、事実を書くのなら良いだろうと思い、書くことに決めたわけです。それも今回は行った5月を選んで。毎日続けて書きますので、どうぞお読み下さい。

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