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フェイスブック投稿から・結婚関係

2020-06-27 13:49:46 | 日記
夫婦の暮らしの核は、一緒に家から空や雲をながめるような、何気ない事ではないかね。映画の寅さんが言っている「一緒に食べて、寝ることよ」を更に煎じ詰めると、以上になるね。独身男女が互いにそのような想念を心に同時に浮かべられた時は、まさに結婚確実になろうし、又、その想像を話す事は未来の結婚生活想念作りの核みたいになる。表現次第では、プロポーズの言葉にもなると。無論、親子や兄弟姉妹でも、以上の事をしているに違いないが、ただし、それらは生まれつきそうだから、特にそれはすごい事とも認識できないわけだ。
   話はやや変わり、万葉集や旧約聖書の詩編などには、素晴らしい恋愛の詩歌がたくさん出てくる。「防人の歌」では、軍備に就く夫の身を案ずる歌もかなりある。特に、「防人」から思った事だが、真の恋愛感情は本当は結婚後に出てくるのではないかと。一緒に住み、「知り合って」。確かに、相手を知らなければ、好きになる事もできないからね。結婚前にどれだけ知り合えるだろうか。好きになれるだろうか。なれないと。一番の恋愛のピークは、どちらかの他界の時だと。そうに違いない。ならば、冒頭を上回る結婚想念も、どちらかの他界の時になると。
  「恋愛してからの結婚・恋愛感情を持ってからの結婚問題を話し合う」という、現代の習慣はおかしいと思います。本当は古典文学から文学部の大学生はその問題について、話して当然ですが、僕の出会った全ての文学部の人達は全く話さず、文学を本格的に学んだ事のない僕が判りつつある。それもおかしい事です。

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