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 命を懸けてはいけないもの

2021-07-22 10:34:00 | 日記
   組織である。どのようなものでも、組織のために一生懸命になってはいけない。例えば、医者やナースなどの社会性の高い仕事、奉仕活動、芸術、学問、恋愛、友愛、信仰と、身体的な命よりも価値が高いものはいくらでもある。今は世間的にバカにされているようだが、無論、政治家としての活動もそうだし、役人の仕事も本来はそうである。犬養毅など、日本でも命掛けで政治をした人も輩出していたわけである。

  ところが組織のために一生懸命になるとろくな結果は出ない。近年の日本では、東芝が典型例かも知れない。「会社組織のために」と多くの社員が尽くすと、顧客などの声も聞けなくなり、品質の悪い製品になったり、汚職などの何かの不祥事を社員ぐるみで隠すなどして、しまいには潰れるわけである。強いて言えば、関係者は組織内にしか目が向かなくなり、内向きになるから狂うのだろうか。会社が一番判りやすい例だが、福祉関係、身障団体、役所関係、宗教関係、政党、軍隊とそうである。もっと大きく、国家組織も言える。

  戦前の日本の歴史。陸軍と海軍の組織こだわりや両者の対立の事はたくさん聞いた。確かに、両軍の高級軍人は内向きな視野しかなかった。世界を見る目どころか、日本国内もまともに見れなかった。でも、他の社会組織も同様だった。会社、役所、政党、宗教関係と。昭和初め、政党間の足の引っ張り合いばかりしていたことは有名である。組織主義に各党が陥ったわけである。これでは政治が無力化して、当時は力のあった軍部が台頭したのも当然である。国民は組織ごとにばらばらになっていたわけだから。

  無論、会社や政党を越える国家組織は、軍隊を動かせるから、国民がそれにこだわり、尽くすと恐ろしい事になる。日本もそうだったし、ナチス・ドイツ、第二次大戦後はアメリカやソ連もそうである。アメリカもベトナム戦争をしたし、ソ連に至っては戦争のほか、全てに組織主義で滅びた。

  戦前の教育勅語には国家組織の事は明記されていなかったようだが、その頂点である天皇のために尽くせ。そこから国民の多くが国家組織奉仕になり、特に第二次世界大戦中は極端な形になったと考えられる。国民は天皇とは面識もないから、天皇個人に尽くすことはできないので、それに代わって国家組織への忠誠となったようである。国家組織と国民統合の区別が戦前はあいまいだった点もまずかった。天皇制を存続させるならば、この二つの区別を付けないといけない。

  戦前、戦後の別なく、天皇制に反対するクリスチャンたちの意見も聞いたが、だれ一人国家組織との絡みは述べなかった。教会組織へのこだわりが強く、後年は牧師レイプを教会組織を大切にするために隠ぺいしていたのも皮肉だと。実際は国家組織こだわりが戦争の根の一つだし、教会関係も似た体質はあるのに。

  あと、学生の自然発生的な集いだった全学連が組織化され、新左翼になっていった事とか、組織化された身障運動がケンカが多発して行き詰まったことなど、組織こだわりのおかしさはいくらでもあるるわけです。軍隊組織が典型例であるように、組織にこだわると個人の気持ちを無視するような冷たさも出てくる訳で、問題の根は深いわけですね。