昨年の相模原障碍者施設に引き続き、今年も大量殺人事件が起きました。殺された人たちは最初は自殺志願者と容疑者は語りましたが、それはウソである事が判りつつあります。事件の詳細については、警察の今後の発表を待ちたい所ですね。又、一昨年も複数の中学生が殺害された事件も思い出されます。殺害された生徒たちの親御さんの悲嘆は今も軽くなっていません。忘れてはならない事件です。
今回の容疑者は1990年生まれでした。他の二人の犯人もその世代です。1990年代後半に日本では、小学校の中で児童による殺人事件が起き、それ以降は日本中の学校が「命を尊重する教育」を強力に行なうようになりました。以上の犯人・容疑者もその教育をしっかり受けたはずですが、どうして他人の命を粗末にする事をしたのでしょうか。考えこんでいる人も多いでしょう。ひょっとして、先生から「命」の大切さを聞いても、多くの子供たちは単に「自分の命」の事しかイメージできなかった。他人の命の事には想いが寄らなかったのではないでしょうか。日本もまだ昔ながらの近所付き合いが残り、大人の延長で子供同士も学校で友達になる所もあるようですが、近所付き合いがなく、公立学校でも父母同士も付き合わないため、子供同士も全く友人にならない所も今は非常に増えていると聞いています。そのような学校で先生がいくら「命の大切さ」を教えても、生徒たちは「自分の体を大事にしなさい」としか理解できない事が容易に想像できます。しかも、親の多くも子供たちには友人付き合いの事は教えず、自分の進学や職業の事ばかりを教える例が多くなっています。ならば、尚更、他人や社会の事は思えない子供に育ってしまうわけです。
ならば、命の教育よりも、「人々の連帯の教育」の方が大事になってきます。日本人だけでなく、外国人とも連帯する事が。そうしていけば、殺人事件だけでなく、世界平和にも積極的に貢献できる人物を日本は輩出できます。(19世紀から1945年に掛けて、かなりの国では国民連帯を国家指導者が説いた。国民間は連帯できたが、外国人への敵対心が強まり、果ては大きな戦争にもなった。連帯を説くのならば、全人類としないといけないと僕は考えています。戦争はあってはなりません)
この問題は非常に難しいものを含んでいるので、今後も書いていきます。
今回の容疑者は1990年生まれでした。他の二人の犯人もその世代です。1990年代後半に日本では、小学校の中で児童による殺人事件が起き、それ以降は日本中の学校が「命を尊重する教育」を強力に行なうようになりました。以上の犯人・容疑者もその教育をしっかり受けたはずですが、どうして他人の命を粗末にする事をしたのでしょうか。考えこんでいる人も多いでしょう。ひょっとして、先生から「命」の大切さを聞いても、多くの子供たちは単に「自分の命」の事しかイメージできなかった。他人の命の事には想いが寄らなかったのではないでしょうか。日本もまだ昔ながらの近所付き合いが残り、大人の延長で子供同士も学校で友達になる所もあるようですが、近所付き合いがなく、公立学校でも父母同士も付き合わないため、子供同士も全く友人にならない所も今は非常に増えていると聞いています。そのような学校で先生がいくら「命の大切さ」を教えても、生徒たちは「自分の体を大事にしなさい」としか理解できない事が容易に想像できます。しかも、親の多くも子供たちには友人付き合いの事は教えず、自分の進学や職業の事ばかりを教える例が多くなっています。ならば、尚更、他人や社会の事は思えない子供に育ってしまうわけです。
ならば、命の教育よりも、「人々の連帯の教育」の方が大事になってきます。日本人だけでなく、外国人とも連帯する事が。そうしていけば、殺人事件だけでなく、世界平和にも積極的に貢献できる人物を日本は輩出できます。(19世紀から1945年に掛けて、かなりの国では国民連帯を国家指導者が説いた。国民間は連帯できたが、外国人への敵対心が強まり、果ては大きな戦争にもなった。連帯を説くのならば、全人類としないといけないと僕は考えています。戦争はあってはなりません)
この問題は非常に難しいものを含んでいるので、今後も書いていきます。