来ぬ人を春待ち草や夢二抄
雪を被って、春が来るのをじっと待っているように見える草を、
「春待ち草」と名付けてみました。「春待ち草」~~「宵待草」~~
竹久夢二のあの詩が重なりました。
「待てど暮らせど来ぬ人を
宵待草のやるせなさ
今宵は月も出ぬさうな」
バレンタインデーなのに寂しいコメントになりました。
汝にも待つ春あるや粉挽き臼
捨てられ、忘れられ、朽ちて行こうとしている粉挽き臼です。
子どもの頃には、これで蕎麦粉を挽いたり、小麦粉を挽いたりしたものです。
今は、活躍する場も失って、寂しそうです。
まるで自分を見ているようです。
粉挽き臼にも暖かい春は来るのでしょうか。
歳時記の若きページや浅き春
歳時記を材料として、春の到来を詠んでみました。
「歳時記のページ巡りて浅き春」と迷った末、上記を採用しました。
どうでしょう?五十歩百歩でしょうか?
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鎌ちゃんの歳時記私のと一緒
ずいぶん昔の歳時記ですが、今でも大切に使ってます
竹久夢二も金沢のゆかりの人ですし
名前も「とし」だし、
ひょっとして前世では夫婦だったりして(笑)
ごめんね、勝手な事言って
つい、うれしくなって
どう言う意味ですか
ゴメンナサイ、知識不足で分かりません
きょうのは遠慮しすぎ、、もっと自慢しちゃう
くらいでいいと思うよ~。(笑)
すみません、直前のを削除願います。
う~ん「若きページ」は無理がありますね。
「歳時記のページ巡りて浅き春」の方がいいです。
・歳時記のページを巡る浅き春
とか中七に切れを入れて
・歳時記のページ巡りや浅き春
などなど、参考までに。
前世では、本当にそうだったかも
私の歳時記は、母から譲り受けたものです。
母のことを思いながら使っています。
母は、最近作るのやめているので、
作るように勧めているのですが・・・
写真見ていただくと、実は
「春浅し」のページなのですが、
最初の方のページでしょう。
それを、若いページとしたのです。
春から始まる四季。
それが巡って、また春が来たな、
そのことを詠みたかったのです。
とし坊さんの指摘では、
無理があるということで・・・
ナイーブな鎌ちゃんなんですよ(どこが?)
皆さんの作品を見せていただくたびに、
自分の作品の拙さを感じ、
何とか、追いつきたいと頑張っています。
自慢??その気になりますよ
とても参考になっており、従来とは、
自分の句の傾向が変わってきたように
実感しています。
今後もよろしくお願いいたします。
石臼は、石臼としては使われなくなってしまったけれど、
苔が住み着いています。もうあなたには春が来ていると
いうことですよ。
歳時記の、春の季語は最初の方のページに載っていますものね。
若きページ 浅き春 になるほどなぁと感心しました。
私は短歌も俳句もよく分かりませんが、好みでは
「歳時記のページ巡りて浅き春」の方が好きかな。
季節が巡っているのも感じられるので(^^)
しようと思ったのですが、
夢二の発想で、悲しい句になりました。
歳時記というのは、読むだけでも
イメージが広がって楽しいですね。
ご指摘有難うございました。
ポージィさんも俳句どうですか?
きっと、いいもの詠まれると思いますよ。