東北に繋ぐ祈りや阪神忌
(とうほくにつなぐいのりやはんしんき)
1月17日は、阪神淡路大震災忌です。
あの日の揺れは、いまだにトラウマになっていますし、
家の内外にも、傷が残ったままです。
東北の方々への思いも込めて、
鎮魂の一日としたいと思います。
教へ子の三十路になりき阪神忌
(おしえごのみそじになりきはんしんき)
あの日から19年。
あの時に、中学に入学してきた子たちも、
三十路に入っています。
東北に繋ぐ祈りや阪神忌
(とうほくにつなぐいのりやはんしんき)
1月17日は、阪神淡路大震災忌です。
あの日の揺れは、いまだにトラウマになっていますし、
家の内外にも、傷が残ったままです。
東北の方々への思いも込めて、
鎮魂の一日としたいと思います。
教へ子の三十路になりき阪神忌
(おしえごのみそじになりきはんしんき)
あの日から19年。
あの時に、中学に入学してきた子たちも、
三十路に入っています。
忘れていて申し訳ない気持ちでいっぱいです。
映像を見てショックを受けたことを思い出しました。
防災グッズを備えること、パジャマは服に近い物に、ズックはすぐ近くに置くこと等々今も続いています。
被災者にご冥福をお祈りしたいと思っています。
あれからもう17年経つんですねぇ・・・。
昨日のことのようにはっきりと覚えています。
まだ目の覚めやらぬ時間に大音響とともに横揺れ、
「キャーキャー」と悲鳴を上げていました。
後にも先にもあのような経験はありません。
のち十数年であのような大規模な地震が東北に起きるなど
誰が予想したでしょ?
今日のニュースは阪神忌にまつわるものばかりでした。
>教へ子の三十路になりき阪神忌
当時小さかった子たちも三十路ですか、
あの時の記憶は一生忘れられないでしょう。
今の子供たちにもしっかりと伝えていかなければなりませんね。
東北に繋ぐ祈りや阪神忌
教へ子の三十路になりき阪神忌 鎌ちゃんさん
阪神淡路大震災忌
昨日TVで言っていましたが、19年目とか
月日の立つのは早いものですね。
あの時の長田町の映像、高速道路の崩壊など
今も心に深く残っています。
防災の心得しっかり、教えて行きたいですね。
早いものですね、17年も経ったのですね。
街中から火の手が上がって、地元の人々には地獄絵図のようだったことでしょう。
震えながらテレビの画面を見ていた記憶があります。
そして東日本大震災。わが故郷も大変な被害でした。
私の実家も家屋に被害が出ました。
予測不能な災害には、人の力の及ばないことはシッカリ解りました。
それをキッカケにした人との絆が強くなることは、一つの恵みかもしれませんね。
「教へ子の三十路になりき阪神忌」
生き残った人たちの努力で元のような街になっていますね。
素晴らしいですね。
あれから十九年ですか。
当時の朝のテレビが最初は何を映しているのか分かりませんでした。天災で怖いのはやはり地震ですね。
ひと口に19年と云っても辛い年月、悲しい出来事を引きづってます。
おそろしさ等を伝えていくというのは本当に難しいのだと思います。
阪神大震災、東日本大震災後に出来上がった歌両方とも、聞くと胸がいまだに熱くなります。それだけ経験された方が作った心の歌だからなのだろうなあと思います。
朝起きてきてTVをつけたときから始まった衝撃を
今もありありと思い出せます。赤ちゃんもすっかり大人に
なるだけの年月ですが、実感としてはそんなに経ったように思えません。
恐ろしい体験によるトラウマは、簡単に消えるものではありませんね。
< 教へ子の三十路になりき阪神忌
その朝は、こちら、三河でも揺れを感じましたよ!
テレビに映し出される、高速道路の崩壊!
消防も手を付けられない、燃えるに任せる火事!
江戸時代の鳶の様に、風下の家を取り壊して
延焼を防げない物なのか!
テレビの前でやきもきしていました!
もう、19年ですか!早いものですね!
あれから19年、早いですね。
次男が高校で野球の早朝練習で、弁当作りをしていて、テレビを付けたあの時の映像は、衝撃的で忘れられません。
皆さんの心の傷は、なかなか癒えるものではないでしょうね。
親戚の者も神戸で 大きな被害があり、京都の実家まで歩いて 非難したとか、、、
鎌ちゃんの生徒さんたちは、大丈夫だったのでしょうか?
忘れずに 語り継いでいってほしいですね。