トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

今季最後の一巡開始

2016-09-18 | 今日は真面目に
 九月は刈り払いの季節終了の月でもある。今季、多いところでは4回の刈り払いをしたが、それも今日から開始した刈り払いが一巡すれば解放される。刈り払って1日2日ほど乾燥させ集積せねばならないから締めくくりの刈り払いは、それなりに手間が多い。この手間を省くと枯れた草の部分を猪に狙われる事になり、堤や畦は構造破壊の原因になってしまう。
 締めくくりの一巡、最初は栗畑の刈り払いだ。もうすぐ栗の落下が始まるから見つけやすいように芝生状態に刈った。見落として猪に喰われるなどもってのほかで、一個ですら与えたくない。
 まあ、午後から朝方に落下した栗には手が及ばないが…。

                   ➡    

魔性にもエレガンス

2016-09-17 | 感じるままの回り道
 林道を走行するたびに注意を引いた路面の花びら。季節によりフジの花だったりスイカズラやウツギの花だったりするが、今回は淡い桃色だった。いわゆる「お初」だったが交互通行の道路幅なので停車して確かめる訳にもいかない。
 ところが泥水地の刈り草搬出作業の折り、ウツギを覆っているクズの花が同じ色だったから「クズの花」と分かったのである。クズなどはありふれて、なおかつ周囲を覆う傍若無人ぶりは迷惑この上ない蔓草だし、花色は赤紫色とばかり思っていたから意外であった。もう「ヘーッ」である。
 赤紫と言うよりえんじ色と言った方がよろしいのだろうが「臙脂色」と表記しても自分で読めない。これでは「赤紫」の方が伝えやすい。
 長年、山野でクズの花を見ていたつもりだが「淡いピンク色」の株があったなんて気が付かなかった。「灯台下暗し」と言うより「東西元暗し」か…。
               見慣れた花色     少しエレガンス感   

山海シチューのお味

2016-09-16 | 何よりの楽しみ
 奥方ならぬ外方はクルーズとやらで不在。小生、クルーズなんて監禁と同義語で認知症が進行するだけ、トドのつまりは「狂う頭」だろう。グルメとか豪華とやらに魅力を感じ群れる気持ちは分からない。小生にとってはゲヘナの業火みたいになってしまう。

 まあ、そんなことより「一日一食」「一日一膳」でも、こちらが大切なのは言うまでもなく、さーてと思案し「ビビビッ」と来たのは「作り置き」だ。電気を喰わせているだけの冷蔵庫から材料を掻き集めシチューを作ってみた。
 ジャガイモも無く人参も無かったが、そこは洪水のせいにして災害の影響が少なかった食材で「山海シチュー」を目指す、と言えば聞こえ良し、早い話「残り物ごった煮」であって結果を言えばゴーダチーズより美味しさ抜群だった。

 材料は写真の通りだが、写っていないのは牛乳に代えた豆乳とキクラで、写真上は野菜ベースのルウ、左からヒジキ、胸肉、栗、ミックスシーフードで下段左から庭の国光、タマネギ、十五夜前だからサトイモである。カレーも同じなのだが、カボチャや甘藷などもジャガイモに代えてよく使う。
 通常の作り方で出来上がったのが右のお鍋の写真。見た目には美味しそうに見えない。味の調整は醤油とコショウで済ませてあるから問題ないけれど、どう見ても人様には出せない出来上がり孤食専用である。もう一つ言えば、もうシチュー風では無くペースト状態の有様で、これは予想とは大違いだった。見た目は悪くとも毒物ではないから食べてみれば一口瞭然、目から涙のコクの良さになっていた。

 分析するとペースト状になったのもコクが濃厚になったのも全ては栗に起因する。素材の栗は形を留めず糊状になってしまった故だった。
 夕食はシチューならぬペーストになってしまったからパン食、たっぷり挟んで食したが、更に小鉢で一杯を食してしまった。これでは「作り置き」にならない。
 「一汁一菜」にも程遠い「ばっかり食」で数日を過ごす事になるが、十五夜もあってサトイモで用意したのに、お空も山海シチュー風になってしまった。本日はこれにて散会…。

            材料を用意した  ➡   たっぷりの出来上がり

今日のトンボ「ノシメトンボの縁紋」

2016-09-15 | 小父のお隣さん
 翅端の黒褐色斑と体色が赤くないからノシメトンボ(と思っている)、この程度の判断でも個人的な事だから問題は全く無い。これから見かける機会が多くなる種なのだが、この個体の縁紋の明確さには少々驚く。飛翔していてもしていなくても白い縁紋が目に付くのだ。
 写真が不鮮明になってしまったがケータイを水没させた影響では無い事を切に願ってしまった。水没させた原因は胸ポケット被せのくっつき力が落ちた事による。懸念があったから糸クズを外し強く押さえて置いたのだが前かがみの作業では持たなかった。

**向島日和見会

2016-09-14 | 合混で闘作すれば
 職権あれば使わにゃ損損
        好きにこまして直ぐ移動 ハアコリャコリャ  枕芸

 新設市場は美味しさ満点
        献立全てが握り寿司  ハアコリャコリャ   ドン

 店主は途方盛り土は彼方
        都職の阿呆税悲報  ハアコリャコリャ   被食者

 土を盛るなら菓子折り盛れぬ
        漏れたお足は臍の下 ハアコリャコリャ   向島雀

 変更三昧打ち出の豊洲
        銭来ん相手は左様なら ハアコリャコリャ  銭頭葉

苦肉の策

2016-09-14 | 小人閑居して憮然
 テッポウムシ駆除用のスプレー剤の所在が分からなくなった。いつまでも放置できないから浸透移行性の顆粒剤を幹の穴に落とし込んだ。液剤とは異なり虫本体に届くまでには時間がかかりそうだが薬剤の効果で殺虫出来なくても嫌って幹外に脱出してくれても良い。
 テッポウムシ1匹といっても侮れず、植樹した何本かをこれで失っている。特に幹元が草で覆われてしまった状態が長いと格好の餌食になる。そんな訳で刈り出しや坪刈りは欠かせない。
 まあ、テッポウムシの被害にあったと言う事は、それが出来ていなかったという事に尽きる。

今日のトンボ「蜘蛛の巣のマルタンヤンマ」

2016-09-13 | 小父のお隣さん
 泥水池4のコナギを除草中、草むらから翅音がするから覗きこんだらマルタンヤンマが蜘蛛の巣に絡まっている。蜘蛛はと言えば、寄り付いて糸を掛ける様子も無く網の中心部で動かない。
 ぐるぐる巻きではないから救助しようか見て見ぬふりをしようかと思ったが、直接写真を撮れる良い機会だからと手を伸ばしたところで飛び立ってしまった。小生には間一髪、トンボにしてみれば危機一髪だった。
 摘まみ見る事は出来なかったものの胸部の色合いは至近で見る事が出来た。複眼は青色でなかったからメスなんだろうが、水辺の蜘蛛の巣では、これだけでメスの確率が高いと言うもの…。その時小生は泥水滴る良い小父さん風体だったから「あたしをからめとって…」という謎掛けかもしれん。
 まだまだいけるかも…。

要注意、腰痛だけの人生

2016-09-12 | 水辺環境の保全
 「魔女のひと突き」から2週間経過しても、まだ動き始めが痛くて情けない姿勢になってしまう。それでも安静にしているより歩行をした方が痛みが軽減するようになったから、あえて歩行距離を稼ぐ隣沢取水地まで出かけた。作業は取水河床を平滑化させ集水升へ土砂の流入を減ずる事にある。
 細い水路だと流速も早まり土砂を流す力も強まる。河床を平滑化し流速を弱めれば集水升へ土砂の流入も減るだろう…との思惑なのだ。
 とは言うもののギックリ腰回復途上で鍬での土砂の移動と慣らし作業では油断が出来ない。腰に保護ベルトを装着し作業をしたが、真夏日ではベルトだけで暑く感じる。この日の作業、台風による出水で増水した流れの助けを借り土砂を移動させるもくろみだったが降水量30mm程度では全く増水無し。まあ、人生、願ったり叶ったりや天の助け等、そうそうないものだ。
 ここで言いたい「(腰痛)さよならだけが人生よ!」そう、小生の腰椎は職業柄、座滅してしまったのだ。早い話、潰れている。この事実を忘れると手痛くないが腰痛いしっぺ返しを喰らう。腰痛とは疾病なので要痛意、いや要注意せねば…。まあ、ほとほとチーンではある。

            一突きでホトホトたどる処暑の山
  
         整地前    ➡    整地後

ガチャガチャ鳴くのはクツワムシ

2016-09-12 | 小父のお隣さん
 周囲に家が建ってクツワムシの鳴き声を聞くことができなくなって数年経つが、どういう訳か我が家の玄関先で今季は鳴いているのだ。隣家の壁に反射して二階にいても目の前で鳴いているように大きく聞こえる。鳴く虫の中では大音量のクツワムシだし夕闇が満ちれば深夜まで鳴き通しだ。
 田舎育ちのせいだろう、大音量でも不快には感じない。当地に越してきた頃、鳴き声が珍しくて懐中電灯を照らして探した事があった。概ねクツワムシは、他の虫と比較すると光にも鷹揚でカメラを近づけても平気だった。そんなことを思い出し夕涼みがてら撮影したのだが、料金代わりに何か所も血を吸い盗られた。痒いのなんの、半ズボンで夜外出するもんではない。「ウフ~ン」と美女が寄ってくる…。
 今季はなぜ居ついているのかと考えてみた。カヤツリグサが繁茂しているからかと思うのだが真相は不明だ。童謡で「ガチャガチャ鳴くのはクツワムシ」と教えているが、どうもウマオイの名前が先に出る。「馬を追い立てるほどの音量」と刷り込んでいるのかもしれぬ。
        アガパンサスに居た       両翅を立てて大鳴き中 

   くつわ揃えて牧場の阿呆は民意ムシムシ隠し立て ハアコリャコリャ

   馬は追われて小池にはまる面子形無し水溜り ハアコリャコリャ


*色即是空 空即是色

2016-09-11 | 大震災
 松一本うづみ残した怒涛なり
          不二ひとつうづみのこして若葉哉    蕪村

 松原は悲惨小さき苗をくれ
          松原は飛脚小さし雪のくれ        一晶

 是がまあつひの仮設か逝き五年
          是がまあつひの栖か雪五尺       一茶

 知るたびに更に案じる奥の封
          しるるるは何かあんずの花の色     貞徳

 散々ももとはひとつの袈裟歪み
          三夕も本やひとつの今朝の秋       元隣

 夕迫る浪に放たる雪時雨
          晴行くや波にはなるるよこしぐれ     風虎

 東日本大震災から五年半が過ぎた。当時、暑い盛りの後片付けボランティアは減少し不足すると報道されていたので、小生も及ばずながらと用意していた矢先にアキレス腱断裂をしてしまった。結果として参加は断念せざるを得なかったのだが、せめてもの償いにと「三日三月三年」と言う通り、三年間毎月のアップを決めた。
 三年後、終了するに忍びなく「五年目までは」と目標変更し、ようやく五年目到達となった。今年の3月で終了しても良かったのだが、こんどは「いけるところまで行く」と朝令暮改し6カ月、ついに力尽きた。
 今までは嫉妬や妄想、煩悩のごとく折に触れ湧いた文字列が出てこなくなったのである。義務や修行とも異なる事だから一応の区切りをつける事にした。尽きる事無い泉のごとく湧いてくると思っていたのだが、何事にも終焉はあるものだ。

 つまるところ、自分自身の終焉も考えねばならなくなった年代で、紛う事無く「土は土に塵は塵に」となるのだが、この世界、生成消滅を繰り返す宇宙の一瞬に過ぎない過程を映像で見ていると、般若心経は究極の宇宙科学書だと思われ、全ては無限の一体である事を感じさせるし、孫悟空が捕らわれた掌も理解できる。
 お彼岸はまだ先だが犠牲者のご冥福を改めて祈りたい。合掌。

今が産卵期なのか…

2016-09-10 | 小父のお隣さん
  林道脇絞り水が出る湿った裸地にサワガニがいた。なんとなく肥満体に見えたから取り上げてみたら卵を抱えているではないか。サワガニが卵を抱えている姿は初めて見たのだが「今が産卵期か?」と疑問をぶつけてもハサミでツネツネするだけだったから、もう「ハイハイ」と言うしかなかった。
 満月の夜に産卵する、なんてフレーズが浮かんだので月齢を調べたら9日は半月だった。十五夜まで6日あるが卵は熟しているようにも見える。海のカニと同じように水中で卵を放卵するのかどうか知らないが水辺までは距離があるし、孵化して離れていくのかとも思ったり、まあ、どうでも良いか…。

  同じ場所にアカガエルで2㎝程度の個体がいたが、これもオタマジャクシで生活していた場所が不明だ。この種、隣沢でも見かけたので、どこで育っているのかわからないカエルである。アカガエル科は間違いないだろうがタゴでもなさそうだから、やはりヤマアカガエルか…。人生「曰く不可解」に満ち溢れていても華厳の滝には飛び込まない小生だが、この引用・意味は分からないだろうなあ。

新しい排砂路を開く

2016-09-10 | 今日は真面目に
 排砂路を締め切られ取水プールにされた事で、取水升フイルター周囲の土砂の掃い出し機能が失われてしまって久しい。寄生するにあたり一言あった訳でもないし排砂機能を復活させるためには新たな排砂路を開かねばならなくなった。
 取水部フイルターからのオーバーフロー水で排砂・掃い出しさせるためには流速も必要になる。そのための水勾配は測定器が無いから通水させながら勾配を調節せざるを得なかった。この払い出しさせるには破壊された取水堰の一部を壊さないと水が流れない。そこで、いわゆるゲンコツとタガネを携行し取水部へ出向く。

 石工の様にコンクリート堰を斫り取るのだが、暑い最中ではメガネに汗が流れて視界が効かなくなる。タガネを握る手を潰さないかひやひやのし通しだった。ようやく幅40㎝、深さ25㎝ほどを破壊し取水升に排砂路をつなげる。水の流出はスムーズで「我やったり!」なのだが、当然寄生した取水パイプ口に水は行かない。無断寄生物なので連絡する義務は無いと思いつつ帰路の途中、沢で作業をしている親父さんと挨拶を交わし通り過ぎたのだが、地元の人だろうと思って寄生した取水部の帰属を尋ねたら「部農会」だった。
 
 そこで話し合い調整の必要があるから部農会会長の電話番号を教えてもらったのだけれど、沢にいたご本人が部農会取水世話役で寄生張本人だった。たまたまとは言え取水升から取水していた当事者にようやく会えたことになる。そこで現状の寄生取水では迷惑な事を伝え、取水升からの送水が復旧すればそちらと接続し送水する事を確認できた。10月初めに行える予定の強制送水による排砂作業に合わせ部農会水世話役のS氏も立ち会ってくれることになった。
 この結果、また取水部に戻り土嚢一袋で新しい排砂路の流水を止め「元の木阿弥」。まあ、とりあえずは一件落着の予感、めでたしめでたし…。
                  掘削前   ➡    掘削後

芋虫ゴロゴロ、ひょうたんポックリコ

2016-09-09 | 遊び子は
 隣地の孟宗竹を破砕したチップの中にカブトムシの幼虫がたくさん生息していた。このままだとイノシシにすべて食べられてしまうだろうから、回収できる数に限りはあるものの、回収しレンジフードを活用した蓄養槽に移すことにした。
 現在は朽木を集積しクワガタの産卵場所として用意してあるのだが、急きょ切り替えることにする。クワガタでは生息しているかどうか割り砕かねば確認できないし、野ざらしでもクワガタよりはイノシシの被害には強いだろう。
 今日は3人で200匹くらいを回収しただろうか…。蓄養槽内に餌となる腐葉土が少ないから次は一輪車で生息地の竹粉を運び新居を整えねば…。暑い盛りに「二度わらし」が昼飯も忘れて遊んでしまった。なんともはやだが介護予防と思えば予算倹約に役立つかも…。

 ところで、破砕機で粉砕した孟宗竹粉は腐食堆肥化しなくとも程なく産卵してくれるのが不思議だった。米糠や油粕を配合しても落葉堆肥などは好まれているという印象が無く、当然ゴロゴロと群がって掘りだせる事も無かった。思うに栄養価と組成が作る物理的環境が好まれるのかなどと思ってみたものの、まあ、ほじくらなくても構わない事ではある。
 さて、話は変わり「芋虫ゴロゴロ」はわらべ歌だけれど「二度わらべ歌」になると「爺様ゴロゴロ、お迎えポックリコ」となるのだろうか?。小生、寡聞にして知らないがカブトムシは知っている。
 ここで閃いた事がある。それは「二度わらベ歌」を創作すると言う事で、きっとデイサービスやグループホーム、特養などで重宝されるし著作権収入ザックザックするに違いない。レクは柱なのであるから、年金切り下げを補って「三方一両損」でなく「三方一両得」になるはずだ。泣く人はいない…。

         二度わらし遊ぶ   ➡   芋虫ゴロゴロ
  

今日のトンボ「へのへのもへじ」

2016-09-08 | 小父のお隣さん
 水見回り途中でトンボも楽しむのだが中には形態異常もある。今回のキイトトンボは腹部が「への字」だった。飛翔を見ていると、それほど不都合はなさそうで当たり前の飛翔の仕方だった。
 成体になってから嘴などで損傷を受けたようには見えず、羽化し外殻の硬化途上でトラブルにあったのかどうか…。まあ、小生にわかるはずもないが食物連鎖の中では最優先の被捕食体、五体不満足な小生物でも「僕らはみんな生きている」たった一度の夏なのである。
 その「たった一度の夏」を謳歌したであろうキイトトンボは9月になったら全く見られなくなった。

土手の草刈り

2016-09-07 | 感じるままの回り道
 連合町内会による年に一度の土手の草刈りが終わった。約400戸が隔年で半数ずつ担当する。小生等、町会での土手の担当長さは200m程だから一戸当たり1m程度だ。小生1人で刈り払い機で作業しても30分足らずで終了できる作業量なのだけれど、梅雨前の側溝掃除と合わせ、町会の班内で顔見世挨拶できる数少ない機会でもある。
 小生は刈り払い機を用いたが、刈り払い作業半径に躊躇なく入ってくる人が大半なので安全作業には特に気を使わねばならない。作業時間は僅かでも山野の刈り払いより気疲れする作業だった。

 どういう理由かは不明だけれど数年前から河川敷の刈り払いをしなくなって刈り払い機の出番も減った。愛犬がいた頃は土手も河川敷も散歩コースだったから折々に刈り払いをしていたのだが、家の刈り払い機は年一回30分程度のアイドリング稼働で燃料もカップ1杯程度しか必要なくなった。都会化したのか高齢化したのか過疎化したのか良く分からん。
 まあ早い話、「河川敷から土手に引き上げる作業が大変だ」と言う事だろうと推測するが、小生も易きに動きたい…。