27日(土)。第一生命保険が「2022年サラっと一句!わたしの川柳コンクール」(旧サラリーマン川柳コンクール)の上位10句を発表しましたね 約8万5千句の応募の中から、第一生命の社員200人による社内投票で優秀作100句を選出し、その後、約6万人から一般投票があり、順位を決めたとのことです 今回が36回目ですが、応募者や詠まれる内容の多様さを反映し、今回、コンクール名から「サラリーマン」という言葉を取ったが、「サラ川」の愛称で長年親しまれてきたため、新名称でも愛称が変わらないようにしたそうです
現代の世相を反映して、物価高や新型コロナがらみの入賞作が目立ちました
第8位の「送料を 無料にするため ムダ使い」は、身近に対象者がいます 仕掛け人は、世界最大の河川の名前に関係する通販会社・・・アマゾンです
第7位の「パスワード つぶやきながら 入れる父」は、お父さん パスワードの意味がないです
第3位の「店員が 手とり足とり セルフレジ」は、スーパーでよく見かけます 全然合理化になってません
第1位の「また値上げ 節約生活 もう音上げ」は、笑いごとではありません 個人的に一番頭にきているのは電気代の値上げです その主な原因は、ロシアのウクライナ侵攻に伴う世界的なエネルギー事情のひっ迫と、エネルギー価格の急上昇です プーチンの野郎、絶対許さない
ということで、わが家に来てから今日で3056日目を迎え、25日の旧ソ連圏経済ブロック「ユーラシア経済同盟」首脳会議で、ウクライナ侵攻で低下した求心力の回復を目指していたプーチンの思惑に反し、アルメニアとアゼルバイジャンの両首脳が領土問題を巡り大論争を繰り広げ、かえって「勢力圏の亀裂」を露呈させる結果になった というニュースを見て感想を述べるモコタロです
ロシアなんて 国土面積が広いだけで大国気取りしてるけど 考えが甘い小国だよね
昨日、夕食に「蒸しジャガ タラコバター」「生野菜とアボカドのサラダ」「シメジの味噌汁」を作り、「ヤリイカ」を酢味噌でいただきました 「蒸しジャガ~」は娘の強いリクエストによって作りましたが、癖になる美味しさです
クラシック音楽情報誌「ぶらあぼ」に連載の城所孝吉氏によるコラム「気分はカプリッチョ」第83回(6月号掲載)は「『レコ芸』休刊後、録音について語るメディアが必要な理由」です
城所孝吉(きどころ たかよし)氏は1970年生まれ。早稲田大学第一文学部独文専修卒。90年代からドイツ・ベルリンを拠点に音楽評論家として活躍し、『音楽の友』『レコード芸術』等の雑誌、新聞で執筆する 10年間ベルリン・フィルのメディア部門に在籍した後、現在はレコード会社勤務
コラムを超略すると次の通りです
「『レコ芸』が音楽界で担ってきた役割は絶大だった なぜなら同誌が、音楽についての『言説』を作り出す場所だったからである ある演奏がどうであったか、何が優れ、また何が問題であったかを『言語化』することによって初めて、受容できるようになる 『音楽に、言葉はいらない』と言う人がよくいるが、それは誤謬だ。哲学では、『赤いという色は、赤という概念(=言葉)がないと認識できない』ということは常識である。音楽も、それを指し示す言葉の存在によってようやく『扱える』ようになる その際、日本の音楽受容のレヴェルは、国際的に見ても突出して高い 例えば、マーラーの交響曲を耳で諳んじている人の数は、非常に多いだろう。ショパンのバラードやスケルツォのすべての音を把握しているファンも、ごく普通にいる。そのような聴衆は、実は欧米にはほとんど存在しない 例えばドイツなら、ベルリン・フィルハーモニー(約2400人収容)でマーラーの交響曲第9番が演奏された際に、全曲を予め覚えている人の数は、20人にも満たないだろう 日本では、その絶対数ははるかに高いと思われる。それはなぜか。日本が、『録音を聴くことによって音楽を知る』文化を持っているからである ドイツでは、コンサートが日常的かつ安価に聴けるため、一生懸命CDを聴かなくてもライブで体験できる しかし日本では、演奏会が高価であるため、録音が最も実際的で手近な手段なのである そしてCDによって音楽に目覚め、聴き込む人々が、楽曲や現在・過去の演奏についての知識を集める場所が、他ならぬ『レコ芸』であった また、『良い演奏とはなにか』『音楽はどのような基準で聴くのか』についての(相当に濃い、オタク的なまでの)価値観=言説そのものが作られる場所であった 筆者は、日本の音楽界が(世界的に見てもトップである)聴衆の質を保つためには、こうした議論が行われる場所が作られることが必須だと思う 『レコ芸』なき後、そうしたメディアが(特にネット上で)登場し、『音楽をめぐる言説』が培われ続けることを願ってやまない」
この記事を読んで、一番意外に思ったのは「ベルリン・フィルでマーラーの交響曲第9番が演奏された際に、全曲を予め覚えている人の数は、20人にも満たないだろう」という箇所です 「えっ、たったそれだけ」という感じです。しかし、城所氏の解説を読むと納得できます 確かに日本ではコンサートのチケット代が高すぎます とくに海外のオケやアーティストの来日公演の場合はとんでもない高額な料金設定になっていて手も足も出ません 私もかつて「CD中心主義」でクラシックを聴いていましたが、その頃は 海外オケの来日公演のチケット代が1万円と聞くと、「CDなら4枚買える」と計算していました しかもCDなら繰り返し聴けるのでコスパ抜群だし しかし、CD4000枚、LP2000枚(現在は1500枚)になった時点で、これ以上 置き場所がない という危機に直面し、一期一会の「ライブコンサート中心主義」に移行したという経緯があります
一方、日本の聴衆の特性に目を転じると、例えばマーラーやブルックナーの交響曲の場合は、「版」の問題をはじめオタク的な知識を持った聴衆が多く存在していることは確かです 私はクラシック・オタクではありませんが、『レコ芸』はこれらの聴衆のサロン的な「場」を提供してきた側面もあると思います その意味では城所氏の言われる通り、レコ芸に代わる新たなネット・メディアが登場し、『音楽をめぐる言説』が培われ続けるよう願いたいと思います
その一方で、現代は「CDの時代はいつまで続くのか」という問題に直面しています YouTube や他の配信サービスの普及によってCDの売り上げが減少しているというニュースは、もはや旧聞になってしまいました そんな中、「若者を中心に、LPレコードの売り上げが再び伸びている」という話題も出ています 果たして、音楽界はどういう方向に進むのか、まったく予想がつきません 私の場合は、CDを聴くのはコンサートの予習が中心で、自分の足で歩ける限りコンサート通いを続けるつもりです
ということで、今日は午前中 川崎でモーツアルトを聴き、午後 初台でリヒャルト・シュトラウスのオペラを観ます
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