tomitaikyoブログ

富退教(富山県退職教職員協議会)事務局からの情報発信です。会員の親睦を中心に教育現場への支援など様々な活動をしています。

会員の寄稿紹介(1)

2015年02月12日 | 会員の寄稿

 先般、会員から寄稿して頂きましたが、富退教だより135号の紙面が決定していたので掲載出来ませんでした。次号での掲載を約束しましたので136号に掲載させて頂きますが、一足先に以下に紹介しておきます。


 

         あいの風自由人の西国観音巡礼とマジックパワー
                                               執筆:中村 勇(あいの風自由人)
 皆さんは観音霊場巡りをどのように思っていますか?
私は、西国三十三カ所観音霊場巡りを始めてから33年目に満願となった。自身の教員生活が33年(本県)で。私は、昭和28年生まれである。霊場巡りの最後が28番札所の天橋立のある成相寺だったのである。しかも6月28日その日が満願の日であった。偶然が重なるというのはこういうことなのかと驚いてしまった。人生において数字のマジックに遭遇したのは初めてであった。   
<満願の証の28番成相寺> 
  昭和56年、私は縁あって奈良県で教員をしていた。そして、4月からは富山県の教員として働くことになっていた。さかのぼって3月末にお世話になった勤務校の校長先生と那智勝浦方面へドライブした折に参拝したのが一番札所那智山青岸渡寺だった。朱塗りの五重の塔の奥に見える那智の滝。この美しい景色に感動し、記念にと買い求めたのが「西国三十三霊場納経帳」だった。霊場巡りのスタートである。その後、しばらく霊場巡りはストップする。富山での教員生活を忙しく過ごす日々が何年か続いた。
 40代から50代にかけて自分自身の心に迷いが生じたことがあった。そのとき自分の心に平安をもたらしてくれるものは何か考えた。マラソン、登山、釣り、観音霊場巡りetc。何かに熱中していたらいいのかな、と考えたりもした。自分は、どこから来てどこへ行く存在なのか?この世をさまよっているだけの存在にしか見えなかった・・・。いろいろ考え行動する中で、1年に1回は、何か心に残る行動を自分で納得できるまでやってみたい。大きなこと、小さなこと何でもよい。1年間を振り返ってみて「よかったな」と思えるものであれば、と考えることにした。どうせ短い人生なのだから、思い出多い人生にしていこう、楽しい人生にしていこう、と心に決めた。いくつかある趣味の中で、西国巡礼に強く関わるようになったのは、今から6年前に母が80歳で他界してからだ。それまでは何年かかることやら、でも、一生のうちに行けたらという程度に考えていた。母の死を機に母の供養と家族の安泰を強く願うようになったため、巡礼に拍車がかかった。折しも平成21年22年は、各寺の観音様が相次いでご開帳される年だった。好機を逃す手はないとさらに巡礼に拍車がかかる。息子が京都で学生生活を始めたのも追い風となった。巡礼のスタートがしやすくなり、次第に巡る寺数も増えていった。親子で参拝した日々もあった。
 観音様は、正式には、千手千眼観世音菩薩といって、修行中の身であり、私たちと仏様の間にいらっしゃる。すなわち、私たちの願いを千の目で見て、千の手で救い、33に身体を変化させつつ願いの実現に向かって働かれるのである。
 各寺院の観音様の願い実現の得意とするところはそれぞれ違う。けれども、巡礼を終えたときに願いの輪がつながるというか、33の御利益が凝縮されたというか、不思議な気持ちになってきたのを思い出す。人里離れた山の中の寺、湖に浮かぶ島にある寺、湖を見下ろせる高台にある寺、山門から本堂まで30分以上登山しなければならない寺などなど。御朱印帳を眺める度に感謝の気持ちでいっぱいになる。
 現在、特に変わった生活をしているわけではないが、日々の生活が平穏無事で過ごせているのは観音様のおかげなのだと感じながら過ごしている。また、今年度自治会会長と公民館主事を兼務させていただいているが、大きなイベント・行事が、好天のもと粛々と続いている。
 ちなみに11月12・13日の富退教の研修旅行も下車地では、好天に恵まれた次第である。まさに観音様に感謝である。


 以上のような大作を寄稿して頂きました。原文には写真も添えてありましたが、ここにはコピー出来ませんでした。「富退教だより136号」には、そのままコピーできると思います。    

 今後も多くの会員から寄稿して頂けると幸いです。 楽しみにしていますので、よろしくお願いします。(土)


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