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今日の筆洗

2022年05月06日 | Weblog

アジア系初の米政府閣僚として足跡を残したノーマン・ミネタ氏は、静岡県出身の両親に育てられた日系二世▼日米開戦時は十歳で出生地カリフォルニアの学校で何人かの子にこう怒鳴られたという。「おまえが真珠湾を攻撃したんだ」▼当時の困惑をこう語る。「自分はアメリカの敵じゃない、でも、敵とそっくりの顔をしているからには、きっと敵ということになるんだろう。だって、その子たちはそう思っているのだから」。彼の生涯を描いた米在住作家の著書『十歳、ぼくは突然(とつぜん)「敵(てき)」とよばれた』(もりうちすみこ訳)にあった▼ミネタ氏の訃報が届いた。戦時中、両親らと日系人強制収容所で過ごした体験が下院議員などとしての活動の原点だったようだ。米中枢同時テロでイスラム教徒への偏見が広まったが、ブッシュ(子)政権の運輸長官として容貌や信仰を理由とする搭乗拒否に反対した▼民主党系ながら、共和党政権でも閣僚をした人らしく、トランプ政権以降の両党の対立激化を嘆いていた。かつてレーガン大統領が署名し米政府が強制収容を過ちと認めた「市民の自由法」成立はミネタ氏の功績だが、レーガン氏と同じ共和党の上院議員アラン・シンプソン氏も尽力した。ボーイスカウトの一員として強制収容所を慰問し、ミネタ氏と出会った旧友である▼党派や人種の分断を超える努力を継がねばなるまい。