朝日新聞から
古い小咄(こばなし)にこんなのがある。親子で散歩していると親父の方が川に落っこちてしまう。子どもが親父を助けてくれと通行人に頼むと謝礼金の交渉になる。次第に金額がつり上がっていくのを聞いていた親父、「それ以上、出すぐらいなら、オレは沈むぞ」▼こっちはスコットランドの冗談。沼に落ちて身動きが取れない男がいた。上半身だけ見えている。人々がロープで引き上げようとするが、動かない。持ち上げられないと声をかけると、この男、「しかたない。あぶみから足を抜くか」。男は馬にまたがったままだった▼いずれもけちんぼうの話だが、馬をあきらめた分、スコットランドの男にはまだ救いがある。安倍首相も馬をようやくあきらめたようである。政府は新型コロナウイルス対策として国民一人当たり十万円を給付する方針を決めた▼国民を守るため総額十数兆円規模の馬を犠牲にすることになるのだろう。当初閣議決定した減収世帯への三十万円給付は時間がかかる上、対象が限定的。不安を募らせる国民が中途半端な給付に納得しないのは無理もない▼見直しは当然でいくらかかろうとも、目の前の危機から守らなければならない国民の生活がある▼首相が見直しを決断し、混乱をわびたことはよしとする。が、最初は渋って、馬から下りなかった人のことを国民が忘れてくれるかどうかはまた別の話である。