東京都西部の中央線沿いの町に住んでいるが、緊急事態宣言にも町の雰囲気にさほど変わりはないようである▼さすがに夜の人通りは目に見えて減ったものの、昼時分の駅周辺は買い出しに歩く夫婦や家族連れも目立ち、さながら日曜日である。平和な春の光景に新型コロナウイルスの脅威がうそのようである。政府は外出が思ったほど減らぬことに焦っているようだが、そう簡単な話ではあるまい▼路地で子どもの姿をよく見かけるようになった。近所の女の子は毎朝なわとびをしている。家の中での遊びに飽きてしまったのか。なわとびの音が懐かしい▼夜の路地で子どもたちが騒いでいる。望遠鏡を持ち出し「スーパームーン」を観察している。これも何となく昭和を思いだす光景である▼のぞかせてもらう。ほんのりピンク色のお月さんがまぶしく、心が落ちつく。「万(よろず)の事は、月見るにこそ慰む物なれ」。どんなときも月を見れば心が癒やされる。「徒然草」に吉田兼好がそう書いている。困難にある地球上の人間があの月を見上げる光景を想像する。慰めを見つけ、緊張をほぐしたい。長い闘いになる▼本日の笑話。町中の飼い犬たちが一斉にエサを食べなくなったそうだ。事情を聴くとどうもハンガーストライキらしい。「緊急事態宣言以降、われわれの散歩の回数が突然増えた理由を説明せよ。一日五回は多すぎる」
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万のことは、月見るにこそ、慰むものなれ。ある人の、「月ばかり面白きものはあらじ」と言ひしに、またひとり、「露こそなほあはれなれ」と争ひしこそ、をかしけれ。折にふれば、何かはあはれならざらん*。
月・花はさらなり、風のみこそ、人に心はつくめれ*。岩に砕けて清く流るゝ水のけしきこそ、時をも分かずめでたけれ。「げん・湘、日夜、東に流れ去る。愁人のために止まること少時もせず」といへる詩を見侍りしこそ*、あはれなりしか。康も*、「山沢に遊びて、魚鳥を見れば、心楽しぶ*山沢」と言へり。人遠く、水草清き所にさまよひありきたるばかり、心慰むことはあらじ。
折にふれば、何かはあはれならざらん:折にふれ、なんだってみな面白いのだ。もちろん、「月」も「露」も。
月・花はさらなり、風のみこそ、人に心はつくめれ:月や花が人の心を慰めるのはいうまでもないが、風というものもまた人にしみじみとした感慨を与えるものだ。西行の歌「おしなべてものを思はぬ人にさへ心をつくる秋の初風」(『山家集』)などを意識しているのであろう。
「げん・湘、日夜、東に流れ去る。愁人のために止まること少時もせず」といへる詩を見侍りしこそ:げん(さんずいに元)・湘 <しょう>は中国の河の名前。戴叔倫『湘南即事』の一節を引用。二つの河は日夜流れて、人生を愁える人など知らぬげにとどまることはない。作者は、「無常」感で共感しているのであ る。
康:<けいこう>。竹林の七賢人(中国晋代に、俗塵を避けて竹林に集まり、清談を行った七人の隠士)の一人。7人は、阮籍 <げんせき>・
康 <けいこう>・山濤<さんとう>・向秀<しようしゆう>・劉伶<りゆうれい>・阮咸<げんかん>・王戎<おうじゆう>。(『大字林』より)。
山沢に遊びて、魚鳥を見れば、心楽しぶ:『文選』巻22より引用。 山川に行って魚や鳥を見ると心が洗われる。