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今日の筆洗

2016年12月28日 | Weblog

 作家の五木寛之さんが歌謡曲について、こう分析している。「日本人の意識下に渦巻(うずま)くルサンチマン(怨念)をすくいあげて商品化」しているという。そういう部分もあろう。名曲がすぐ浮かぶ▼<泣けて 涙もかれ果てた こんな女に誰がした>(一九四七年『星の流れに』)。「アカシアの雨にうたれて このまま死んでしまいたい」(六〇年『アカシアの雨がやむとき』)。「人の世を泣いて怨(うら)んで夜が更ける」(六六年『悲しい酒』)▼ままならぬ世の中への憂いと絶望。自分自身の存在さえ無価値なものといわんばかりの嘆きだが、その切ない歌が同じ境遇にあえぐひとびとの心を慰めた▼「ナンバーワンにならなくてもいい」。おそらく、このフレーズこそ戦後歌謡曲の「怨念」の歴史を大きく変えた。SMAPの「世界に一つだけの花」(二〇〇三年)である。成功、成長という画一的なゴールや評価を疑い、たとえ世の中とうまく折り合えなくても誰もが個性あるきれいな花。そう歌った▼低成長期が続く。大震災もあった。自信を失いかけた時代にあって、すべての人の存在を力強く肯定する歌を救われる思いで聴いた方もいるだろう▼そのオンリーワンのグループとの別れである。<悲しみっていつかは消えてしまうものなのかな>。そう思えぬほど今は寂しさの方が先に立つ。<冬の風のにおい>が濃い。