まあ、諸説あるらしいんですが、最近webサーフィン中拾ったネタ:
本ブログで良く紹介させて頂いているのが、「目黒筋御場図」という江戸時代、1700年位の東京23区西の方、当時麻布領とか馬込領とか言われていたエリアの古地図で、この中に現在の東大駒場キャンパスが駒場原という将軍直轄の土地で、その南、今の駒場東邦学園がある辺りが明治時代に至るまで「御薬園」だったことが分かります。
さて、そこと標題の関係…というのが今回の小ネタなんですが、ここで出て来る登場人物が「川井権兵衛」さん。
恐らく上述の駒場原=だと思うのですが、この権兵衛さん、駒場野鷹狩場の初代綱差だったとのこと。町田野津田あたりでキジ狩り名人と呼ばれた農民だった彼がスカウトされたらしく、猟場の管理を行っていました。
一説では猟場にキジを集めるため、他説では上述の御薬園でなにやらを栽培するため、なんですが、いずれその職責を全うするため、権兵衛さんが種を播いた。それを狙ってもいないカラスがほじくったので、正式バージョンでは、「権兵衛が種蒔きゃカラスがほじくる。三度に一度は追わずばなるまい。」という事態に立ち至った その状況を語ったということらしいんです。
ふむ、カラスに引っ掛けるには、”キジを集めて将軍様を喜ばせる”説が面白いですねえ。だけどそうだとすればわざわざ”種”と言わないかも知れないし、ほじくる深さまで埋める必要もない… それに三度に一度、という頻度に何か意味がないのかこれも引っ掛かる…
さらに、権兵衛さんがカラスを追ったのは三重県の山の中、という説もあるとか。取り合えず本ブログでは無視、ということで…
さて、この権兵衛さん一族は、その後、代々目黒一帯の綱差を拝命、駒場野あたりに御子孫がいらっしゃるそうです。この方のお墓が寿福寺という寺院、目黒不動の末寺らしいのですが、にあるそうです。上目黒、野沢通り、目黒ゴルフ/テニス練習場の反対側、といったロケーションですね。ここにも行ってどんな情報があるか調べてみましょう ←ジョギングで行きましたが、カメラを持ってゆっくりお邪魔したいお寺でした。
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