東京大学運動会ヨット部

東大ヨット部の現役部員によるブログです。練習の様子、レース結果、部員の主張から日記まで。

まだ灯は消えない

2023年12月15日 16時12分18秒 | j24全日本

(以下ですます調ではないのですがご容赦ください。である調の方がいまの自分の率直な思いをお伝えできると思った次第です。)

 

 


 

総合7位。

6位とは1点差。5位とは5点差。

結果だけみればものすごく悪いというわけではないのかもしれない。立て続けに1位2位フィニッシュした一昨年と総合成績では同じ。

でも目指してきた場所ではない。狙っていた成績でもない。望んでいた終わり方でもない。

 

最終レースを残して3チームが同点で5位に並んでいた。

競っていたピンクキッス・ダボハゼを抑えきることが条件。

最終レース下有のなかやや上より、それもシエスタのリーバウに入れられてスタート。慌ててタック。まだ大丈夫。ダボハゼがだいぶ下で右海面に伸ばすのを見てそのまま右に伸ばす。ただ月光やシエスタは下のスタートからそのまま左へ。大丈夫、それまでのレースだって右のシフトを掴んできた、待てば右に振れる、そう信じたかった。

ただシフトはずっと左、振れ戻ってこない。上マーク前には左に伸ばした艇とは絶望的な差がついていた。

 

第7レース:ピンクキッス7位、仰秀9位、ダボハゼ12位

総合5位には前日3レースを欠場しながら予想通りの追い上げを見せた月光ダイアナ。総合6位のピンクには1点差で競り負けた。

リザルトを見れば5位は射程圏内だったようにも見える。たが実際には6位が現実的だった。5位以内のチームとの差はわずかではなかった。大きすぎた。惜しいようでものすごく大きな差があった。

 

この結果はもちろん悔しい。満足できない。でもそれ以上に最後の最後に一番良くないレースを作った自分が許せない。左にいかなければならない、このままではやばいと薄々気づいていたはずなのに、後ろばかり振り返って、後続艇ばかり気にして、盲目的に右を選んだ。リスクを取らないことが一番のリスクだとこの一年で学んだはずなのに、自分の判断が間違っていると認めることが怖くて、自分のエゴでレースを、レガッタを壊した。ブローチングした第3レースを除いて何とか耐えていた、1年間の皆の想いを、レースを自分がぶち壊した。1年間、いやもっと長い期間自分のことを辛抱強く信じ続けてくれたチームの期待に報えなかった。折りにつけて指導してくださった監督はじめLBの方々、船の輸送でお世話になったマリーナの方々、いつも練習に付き合ってくださった社会人チームの方々、大会運営してくれたマネージャー、そしてチームの、想いに、支援に、期待に応えられなかった。前入りして船底を磨いてくれたメンバーの時間を溶かした。毎回いいスタートを決めてくれ助けてくれたはずの後輩の、たった一度の失敗も挽回できなかった。動作をミスなくこなしてくれた後輩に、コースを引きやすいようたくさん情報をくれた後輩に、良い景色を見せられなかった。いい走りをしてくれた同期の、そして何より1年間ひとりでチームを導いてくれた先輩の、想いを裏切ってしまった。船の進路を預かっていた者として、不甲斐ない、本当に申し訳ない。ものすごく嬉しかったはずの4位フィニッシュが遠い昔のことのようだった。そっとしておいてくれた、濡れた頬を覗き込まないでくれた皆の優しさが痛かった。

 

でもそれだけではない。最終レースを5位という目標が射程圏内で迎えられることに、内心安堵としていた。何も成し遂げていないのに、落ち着いてはいけないはずなのに、安心していた。5位に絶対に入るという自分の向こう側で、目標を目指せる状態で最後のレガッタに臨めることに自信なんかないもう一人の自分が安心していた。そんな弱い自分が一番嫌だった。

 

もう一つだけ。とても悔しくて、情けなかったのに、本当に楽しかった。レースに出られないのに観覧艇で得た海面情報を共有してくれる後輩が頼もしかった。不甲斐ない自分を叱咤激励してくれる同期がありがたかった。コースを褒めてくれる先輩の言葉が嬉しかった。責任あるポジションを任されるプレッシャーに胸の高鳴りを覚えた。よいコースを引けたときの喜びを知った。今までの中で、圧倒的に悔しくて、最高に楽しい全日本だった。下位に沈み続けてレースをするのが怖かった去年は知らなかった、確かな悔しさ、楽しさ、そして微かな自信と希望を感じた。目標を達成できてないのに楽しいなんて競技者としてはたぶん正しくないし、甘いのかもしれない。でもこの1年間が本当に楽しかった。このチームにいられて幸せだった。だからこそ、1年間のチームの歩みを、自分の道のりを、結果で肯定できる自分でありたかった。

 


 

 

独りよがりの暑苦しい駄文になってしまいましたが、最後に。

日頃から様々ご支援くださるLBの方々、社会人チームの皆様、マリーナの方々、本当にありがとうございます。今後ともよろしくお願い致します。

またこのような素晴らしい全日本選手権を開催してくださった関係者の皆様、ありがとうございました。

 

そして引退された先輩方。お二人の作るチームの雰囲気が大好きでした。くだらないことを言い合うどうでもいい時間(最後まで失礼な後輩でごめんなさい)が好きでした。お二人の安心感があって、陸でも海でも本当に居心地がよすぎて、本当にやりたい放題やってしまいました。未熟でたくさんご迷惑をおかけしました。またお時間のあるときはぜひいらしてください。ボケが聞きたいです。

 

 

チームに必要とされたい。このチームで世界に行きたい。大好きな皆と世界に行きたい。

その想いの灯は消えない。可能性がある限り信じたい。

 

残り1年、精進いたします。

 

 

東京大学運動会ヨット部

新4年 クルーザー班主務 

友成遼


チーム仰秀

2023年12月13日 22時58分17秒 | j24全日本

お世話になっております。

クルーザー班新4年の関根佑樹です。全日本選手権、そして今年の振り返りをしたいと思います。

 

今年の全日本選手権を振り返ると、ただただ楽しかったという気持ちが湧き上がってきます。

一昨年の全日本選手権は、クルーザー班に配属されてたったの3ヶ月。半ば訳も分からず、先輩方が仰秀を走らせ、良い成績を取るのを船の中から眺めるような気持ちでした。先輩たち、すごいなあという気持ちが大きかったです。

昨年の全日本選手権は、バウマンとして不甲斐ない結果を残して、とても悔しかったです。

 

なぜ今年はこんなに楽しかったという気持ちが湧いてくるのだろうと考えると、やはり信頼できる仲間と日本中の強者に立ち向かうことができたからだと思われます。

コースは全て友成に任せていましたし、フォアデッキの動作は源ちゃんを中心に新入生に任せていましたし、船全体をまとめることなどはヒデさんに任せていました。みんなとても信頼でき、自分は走りに集中することができました。そして何よりヒデさんと船を走らせることがとても楽しかったです。

最初にヒデさんとドライブとして一緒に船を動かしたのは去年の関東選手権でした。あの楽しさは、忘れることができません。

そして、最後、全日本選手権の三日目のレース海面からの帰りに、なぜかポジションを交代して2人でドライブをして走らせたヒデさんの現役最後のセーリング、ヒデさんがどう思ってたかは知りませんが、ひどく楽しかったです。

 

思えば、去年の代替わりの時、というか一昨年の代替わりの時からですが、ヒデさんが4年生になった時、最上級生のプレイヤーはヒデさん1人だけである。だから、友成と自分が半分最高学年のような気持ちでヒデさんを支えていかなければならないと決意しました。しかし実際にはどうだったのだろうかと思えてしまいます。ヒデさんを支えるどころか迷惑をかけてばかりではなかったかと思っています。

ヒデさんは事務作業も要領よくできるし、人前で喋るのも得意で、1人でなんでもできてしまうすごい先輩に見えていました。実際そうだと思いますし、そういうヒデさんのことをとても尊敬しています。ただ、最上級生が1人だけというのはかなりのプレッシャーで精神的にもかなりきついものがあったと思います。そういうきつい状況でもやり遂げてしまうのがヒデさんのすごいところだとは思いますが、だからこそ自分から積極的に支えていかなければいけなかったなと反省しています。昔、何人かのクルーザーの先輩方からヒデさんを助けていきなさいと言われたのはそういうことだったんだなと一年経ってやっと気づきました。そういう意味では新3年の源がそういう役割を担ってくれてありがたかったなと思います。

 

全日本選手権に話を戻して、7位という結果はどうだったんだろうなと思います。手放しで悔しがるような結果もない一方で、決して満足のいく結果ではなかったです。一年前に全日本選手権の振り返りブログを書いた時には個人的な目標は3位だったそうですが、それには遠く及びません。もう一つの目標も書いていて、それはヒデさんとかな先輩の満面の笑顔を見ることだったそうです。これは、、、どうなんでしょうか?笑

とにもかくにも、目標には及ばなかったけど楽しいレースでした。ただ、もちろんこれで満足はしていません。全く。

来年の目標は、個人的には全日本選手権優勝です。大きく出たなあと思われるかもしれませんが、それぐらい上を目指します。あとはヒデさんとかな先輩に「すごいね」「すごいじゃん」と言ってもらうことです。リベンジマッチです。そのためにも、ここから一年かけて信頼できる仲間とともにどこよりも強いチームを作りあげたいと思います。

 

さて、つらつらと思いつくままに書き連ねてしまったので、ここら辺で筆を置きたいと思います。

最後に、ヒデさん、かな先輩、本当にありがとうございました。このお2人でなかったら、こんなに楽しくも成長のできる1年間では決してありませんでした。今後も2人に応援し続けてもらえるように精進して成長し続けていきます。宜しくお願いします。

また、応援してくださった家族、LBの方々、その他関係者の方々、1年間ありがとうございました。これから1年間もご迷惑をおかけすることもあるかもしれませんが、応援のほど宜しくお願い致します。主将としてのご挨拶は、リレーブログの方で失礼致します。

 

以上

 

新4年 クルーザー班主将 関根佑樹


悔しい、だけど楽しい

2023年12月11日 23時11分54秒 | j24全日本

目標5位以内、ワールド出場権獲得
結果7位  、ワールド出場権確定ならず


悔しい、本当に悔しい、本当に申し訳ない

6位まであと1点、5位まであと5点、敗因は明らかに第3レースの11点、第7レースの9点。どちらもスタートがうまくいかなかった回だ。第3レースはジブチェンが長引いたことによる焦りから自分が全くまわりを見れておらず、1艇身以上の出遅れ。
風が1上でがっとあがりなかなか順位変動がない中そのまま最下位。このレースはカットレースにしようと励まし合っていたが後がない戦いに。
第7レースはかなり下優かつ左海面がよい状況だったのに関わらず、どちらかというと上側の真ん中、siestaがリーバウにいる形でのスタート。そのまま右に伸ばしたところ左海面は左からのブローが降りてきて左海面にはボロ負け。自分たちより左にいた艇にはほとんど勝てず9点。
悔しい。ヨットにたられば論はないとはわかっているけれど、この2レースのうち1レースだけでもスタートが決まっていたら変わっていたんじゃないか、もっと上位を目指せたんじゃないか、と思う。 
申し訳ない。今まで応援してくれ協力してくれた松山さんをはじめとしたLBさま、親身になって相談に乗ってくれたマリーナや修理業者の皆様。教えたことを素早く吸収して色々サポートしてくれた後輩たち、去年のこの時期の僕と比べて全然上手いし動けてた。僕が疑問に思って質問攻めにしても一つ一つ答えてくれた先輩方。様々な人からの応援、期待に応えられなくて本当に申し訳なかった。



だけど、楽しかった、本当に楽しかった。
ヨットに乗ってる時間だけじゃなく、陸での時間も。
しんどいしんどいと言いながら船底を磨き続けた1ヶ月。あんなに汚かった船底がみるみる白くなってきてみるみるになっていく達成感。
前入の日々。ヒデさんと試行錯誤しながらなんとか美味しいご飯を作って食べようと整備する時間。
海でしょーもないことを言いながら笑い合う時間。
あーでもないこーでもないといいながら整備した時間。
OCSだけは、、と思いながらラインを切ったあの4位。
本当に楽しいことだらけだった。
こんなに気持ちよくヨットができたのはいろんな人がサポートしてくれたからです。
部の運営を支えてくださっているLBの皆様、いつもそばで支えている保護者の皆様、右も左もわからない私たちに親身に寄り添ってくれるマリーナの皆様や社会人セーラーの皆様、また、寒い中運営してくださった運営委員会の皆様、本当にありがとうございました。

この全日本であらためて気付きましたが、やっぱり、ヨットとヨットにかかわる人々、仰秀Ⅵとクルーザー班のみんなが大好きです!!!

クルーザー班新三年 源優介


海辺は寒い。

2023年12月09日 22時51分00秒 | j24全日本

お世話になっております。


ブログを書くのは超絶久しぶりのクルーザーマネージャー松岡渚です。


早速J24全日本選手権の振り返りをしていこうと思うのですが、私は11/24-26に行われた大会のうち25,26の陸運営として大会を支える立場で参加させていただきました。

正直めちゃくちゃ寒かったですが、めちゃくちゃ天気が良く気持ちの良い2日間でした。といっても、陸運営は基本暖房の効いた部屋の中で記録をとっていたので、プレイヤーのみんなが寒い思いをしていたらちょっと申し訳ないです、、


個人的に表彰状の艇名を書かせていただいたのが今年1番緊張しました笑表彰式までの間に何度も下書きをして、カナさんとお互い納得のいくまで見直してを繰り返してました笑


また、合間合間に気にかけてくださった運営の皆様及びこの大会に関わった全ての方に心より感謝いたします。今年も貴重な経験をさせていただき、思い出に残る1年となりました。


そして今回の大会で引退なされたヒデさん、カナさん、2年間という短い間ではありましたが本当にありがとうございました。お二人のつくる優しい空気が大好きです。これからのご活躍も心からお祈り申し上げます。


写真は大会最後の日の夕日です。本当にきれいでした。この光景を見れたことに感謝します。

本当にありがとうございました。



松岡渚


あと少し

2023年12月07日 10時59分02秒 | j24全日本

お世話になっております。

クルーザー班新3年の杉山太智です。

 

先月末、愛知県蒲郡にて開催されたJ/24全日本選手権を振り返ってみたいと思います。

 

【リザルト】

7-6-(11)-6-4-7-9 39点 7位/12艇

 

6位とは1点差、5位とは5点差となりました。5位以内を目指していただけに、もう少しというところで強い悔しさを感じます。最後まで5位に入り込める可能性の残るレース展開だったため、尋常じゃないドキドキがありました。

 

 

3日間ピットとして出場した感想を率直に書きたいと思います。

 

 

低次元な感想となりますが、まずは動作のミス・トラブルを起こさなかったことにひたすらに安堵していました。夏合宿で初めてピットをやった頃を思い返せば、さばきが甘くスピンが上がらなかったり巻き付いてしまったり、スピン回収が遅れて回航が間に合わなかったりなど、自分の未熟さから船を止めてしまうことが多々あったのを覚えています。また、そのようなことが起こったあとの復旧作業としてクローズ中にセールをつけ直したりするのですが、その時に焦って間違った付け方をすることも多く、全日本のレース前にはただただトラブルが起こらないことを願っていました。

しかしそんな中、12m/sほどの強風が吹き込む第3レース1下レグでは、スピンがそれ以上風をはらむと危険なため放たれたスピンシートがスルスルと抜け、見たことのない状態でひらひらとはためいていました(!)。心臓バクバクです。今でこそ状況を整理できていますが、その瞬間は何がどうなったのかわかりませんでした。下回航後、強風の中ハイクアウトをできず申し訳なかったのですが、ひとまず2上レグ中で復旧が完了しました。そして上マークが大きく見えてきた中艤装ミスがないかチェックしていると、スピンシートをツイーカーに通していないという致命的なミスを見つけました(!)。心臓バクバクです。なんとかマーク到達までに復旧させました。10艇身のはずの全日本特有のオフセット区間がとても長く感じられました。そして運命の回航、秀さんのホイストの声とともにスピンを引き上げました。この全日本のために購入した、深い青色が魅力的な、計測に引っかかってしまった(!)スピンが風をはらんでしっかりと広がっているのを見て、ひたすら安心しました。

結果的にこのレースはカットが成立したのですが、ここでちゃんとトラブルに対応できた自信は後の4レースに確実に繋がりました。

 

 

第4レースでは、ぎりぎりラインを超えるか超えないかのスタートの後、リコール艇の存在を示すX旗が降りず、かといって引き返せないほどに船を進めていたのでそのままいくしかなく、OCSで13点を抱えてしまうかもしれない、2レース目の11点を消せないかもしれない、という不安の中船は進みました。強風のためスピンを張らず、1マイルもの間足を上げてジブを張るバウマンの源ちゃんを励ましながら仰秀のゴールホーンを聞いた瞬間生まれた一体感・達成感は言葉にできません。まだ3レースも残っているのに、抱き合ったりなんかしていました。

後から聞いたのですが仰秀はジャストスタートだったそうです。

 

 

第5レースは、スタート・海面選択・ボートスピードなど様々な要素がうまくいき1上を2位回航、最終的には名だたる社会人チームに次ぐ4位でゴールインしました。2下レグでは、後ろとある程度差をつけていたためそのまま行けば4位、という中で大きな緊張と期待を抱いたのを覚えています。スピンがまきついたりしないように、誰かが海に落ちないように、というように誰もが船を正しく進めることだけに集中していたように思います。無事何もおこらずフィニッシュラインを切った時、かつてない喜び・達成感が船を包み込みました。こんな戦い方をしたかった。これを目標にこれまで頑張ってきた。僕なんかよりずっと長く努力されてきた皆さんが思ったことだと思います。

社会人チームの方々はディンギーあがりも多く、概してヨット経験豊富です。そんな社会人チームに、ヨット歴最大3年の学生チームである仰秀チームが立ち向かえた瞬間であり、仰秀の可能性を感じました。しかしそれと同時に、安定して良い順位をとれる社会人チームの強さを再認識できました。

 

 

最終レースは、ピンクキッスとダボハゼに勝てば5位に入り込める、というなかでタクティクスも大きく考慮したレースとなりました。それまでの5レースでは良いスタートが切れていたのですが、最終レースでは少しスタートを失敗してしまい、競っているダボハゼが右海面に向かっているのもあってタックしてそのまま右に伸ばしました。結果、左海面に伸ばした船とはミートすることすらほとんどないくらいに差をつけられてしまいました。続いて2上は風向が25度ほど振れたためチャーリーとなり、新しいオレンジ色三角錐のマークを探さなければならなかったのですが、どれだけ探しても見つかりません。レグの半分ほどいったところでそれらしきものを見つけ、慌ててその方向に向かいました。結果的にピンクキッスは7位、ダボハゼは12位、仰秀は9位というぱっとしない順位で全日本選手権が終わってしまいました。

 

ハーバーに戻る途中、自分なりに今回の全日本選手権を振り返ってみました。

 

まず思ったことは、先ほども書きましたが仰秀は社会人チームと張り合えるチームである、ということでした。

普段のフリートレースや関東選手権ではあまり手応えを得られなかったのですが、今回の大会では艇数が多いのもあり多くの船とミートして、しっかりと戦っているという感覚を覚えました。これは船底塗料を落とした仰秀の本気なのか、これまでの練習の集大成としての仰秀チームの本気なのか、はたまたその両方なのか分かりません。しかし、全日本5位という通年の目標は決して不可能なことではない、社会人チームを到達可能な目標と捉えるべきだ、ということを考えました。

 

次に思ったことは、どのポジションもレースにおいて大事な役割を担っているということです。

良いスタートを連発してくれたこと、堅いバングを懸命に引いてくれたこと、良いコースを考えてくれたこと、ボートスピードを追求してくれたこと、フォアデッキが気にすることがないほど思い通りの航跡を描いてくれたこと、、、

挙げ続けるときりがないですが、そのどれもが大切で、ひとつでも欠けると4位フィニッシュ、ひいては今回の総合順位はありませんでした。7位という結果に決して満足はできませんが、これまでの練習は無駄ではなかった、やりきった、そう感じました。それだけに最終レースが悔やまれました。

 

 

なんだか周りのことばかり書いてしまいましたが、個人的な反省もたくさんあります。レース間のリグ上げに手間取ってスタートに影響させてしまったこと、ジェノアアップが素早くできず良い回航ができなかったこと、角度の振れを分かりやすく伝えることができなかったこと、コースについて友成さんと同じレベルの会話ができなかったこと、マークを見つけられなかったこと、、、

特にリグ上げの失敗がなければ11位という順位を取ることはなかったかもしれない。ストラテジーについてもっと理解できていれば友成さんに良い手助けができていたかもしれない。

後悔はたくさん浮かびますが、この気持ちは来年にぶつけたいと思います。

 

 

秀さん、佳奈さん

お二人にはたくさんお世話になりました。船のこと、小網代のこと、お二人に聞いておけば間違いなく、頼ってばかりでした。成長した姿を見せられるように、小網代で練習を頑張りたいと思います。

 

 

最後に

レース運営に携わっていただいた方々、遠く蒲郡まで駆けつけてくださったLBの方々、その他関係する全ての方に感謝申し上げます。ありがとうございました。

 

新3年 杉山太智


初めてこのチームでの集合写真を撮りました

2023年12月06日 10時38分35秒 | j24全日本
お世話なっております。
新3年仰秀マネージャーの梅山果子(うめこ)です。
クルーザー班のジュニア達3人に引き続き、J24全日本選手権の振り返りブログを書かせていただきます。


第42回J/24クラス全日本選手権大会は11月22日から26日にラグナマリーナ(愛知蒲郡)にて開催されました。
昨年と同様、私達仰秀マネージャーは運営メンバーとしてこの大会に関わることができました。運営ができるよう取り計らって下さった4年生の橋本佳奈先輩、私達を受け入れてくださった実行委員長の横田様、本当にありがとうございました。


私は22日の計測初日から現地入りし、計測員の見習いとしてご指導いただきながらセール計測や体重計測、大会受付業務を行いました。またレースでは下マークのマークボートに乗り、回航順位の確認やマークの打ち替えを行いました。

昨年はジュリーボートに乗っていたためレースを間近で見ることができたのですが、マークボートはマークから離れることができないため、アップウインドでは目印だった青い船底塗料を剥いだ仰秀を見分けることはかなり難く、上回航までの約10分間はとても長く感じられました。後輩の諒真もブログで書いていたように上回航後に見えるスピンの色で初めて仰秀の順位を確認できるのですが、好順位で仰秀の青色のスピンが見えたときは本当に感激でした。
結果は7位と目標の5位以内には一歩届かずでしたが、ベテランセーラーばかりのJ24の世界でヨットを始めて間もない仰秀が善戦していることに、彼らの弛まぬ努力とこれからの可能性を感じました。

話は変わるのですが、運営メンバーは個人的にチームに肩入れすることができません。そのため、運営ボート上でレースを見て感じたことを選手たちに伝えられないということが最も残念でした。この一年間、関東フリートで月光畠山さんのご指導のもと運営を行ったり仰秀や他のキールボートに乗ることでヨットレースについての知識が増えたと感じています。運営ボートはレース海面全体を見ることができることに加え、ベテランセーラーでもある運営の方たちから話を聞くこともできるため、選手よりも広い視点でレースや海面を分析することができます。そのような状況下で昨年よりもレースをより理解することができましたが、海面から得た、選手達に役立つであろう情報を彼らに伝えることができないのがとてももどかしかったです。

今回の大会でマネージャーの先輩が引退したため自分はもう最高学年です。来年の福岡の全日本でも例年のように仰秀マネージャーが運営に参加し、新しくできるであろう後輩マネージャーに全日本のレースを見せてあげられるよう、尽力いたします。

また、これから引退するまでの二年間、仰秀に役立つコネクションを探すべく三崎や部活外のイベントで積極的に参加し、自分の名前と仰秀チームを沢山の人に売り込んでいきたいです。

これからも仰秀と私うめこをよろしくお願いいたします。



仰秀マネージャー 梅山果子





チーム仰秀の一員として

2023年12月03日 23時58分00秒 | j24全日本

お世話になっております。クルーザー班新二年古川諒真です。

同期達の文才あふれるブログに引き続きJ24全日本選手権の振り返りブログとして、全日本とその前後において自分が感じていた個人的な思いをここに素直に述べさせてもらいます。


まずはこの全日本が始まるまでに感じていた意気込みから、


僕は前回のブログでも書かせていただいた通り、途中入部としてヨット部クルーザー班の一員としてありがたくも受け入れていただき8月の下旬から練習に参加させてもらっていました。あまり詳しいことは前回のブログには書きませんでしたが、実は1Sの頃、慣れない大学生活に自分の内向的な性格から孤独に走りがちである傾向が相まって、かなり精神的に病んでしまっていました。そういう経緯もあって僕がこれから4年間を精神的に充実して過ごせるための新たなコミュニティーになってほしいという理由から、ヨットに熱中できるかどうかという不安を完全に棚に上げて、賭けとも言えるような決断で入部を決意しました。

その後は前回のブログでも書いた通り、優しい先輩、同期の皆様のおかげもあり精神的にも充実した生活を送ることができ、練習をすればするほど入部前には知る由もなかったヨットの奥深さを体感でき、ヨットに熱中せざるを得ないという9月、10月を過ごしていました。


そんな中全日本が近づくにつれ今年度の秀さんを主将とする体制の集大成としてJ24世界選手権(通称ワールド)の出場が確実となる5位以内を目標として全日本に挑み、他の社会人チームが占めるであろう上位に食い込むべく全力を尽くそうという先輩方の強い思いも練習の本気度からひしひしと伝わってきました。小網代での練習からの帰りを同期と一緒に歩いたある日曜日に、真面目な話をした時がありましたが、その時はお世話になってきた先輩方のこれらの思いを叶える手助けをするべく、特にこのレースが仰秀ラストランとなる秀さんの有終の美を飾るべく、全日本は自分たちのできる限りの全力を尽くして挑もうという話をして、これらの思いが先輩と同じく自分を含めた同期の共通認識であることも確認しました。


こうしてヨットに対するモチベーションを高めていっている最中、10月の終わりに全日本前の最終確認といった位置づけにあるといえる関東選手権が行われ、自分自身はこの関東選手権で確実に動作をミスなくできることを確認し、いい順位をとって気持ちを高めてから全日本に挑む準備としようと思っていました。そんな中第3レースで自分の不注意から事故が起きました。2上まで手堅く4位を走っていたところ最後の下レグゴール直前で落水、、落水の直前は5位の艇とギリギリまで争っていましたが自分が落ちたことで速度を落とし5位に順位を落としてしまいました。落ちる直前にジブシートを掴んでいたことが不幸中の幸いで、そのおかげで落水救助をさせてしまう必要なくそのまま後ろのエンジンをかけるところから自力で船に戻ることが出来ました、が、自分の落水のせいで順位を1つ落としたことは事実であり、そのレースの終了後先輩方は自分の全身が濡れて寒い事を心配していただきましたが、表面上には示していないだけで内心では順位を落としてしまったことに対して悔しい思い、ひいては自分に対し怒りすら抱かせてしまっていたのではないかと心から申し訳なさを感じていました。その節は各方面にご心配、ご迷惑をおかけして大変申し訳ございませんでした。そうして関東選手権は自分としては不甲斐ない結果として終わってしまったため、全日本では確実に基本的な動作のミスましてやこんな致命的なミスはしてはいけないという思いを確実に強めていかなければならないと自覚しました。また、関東選手権でのこのミスを取り返すべく、というか取り返せるものとは思いませんが、ブラック作業と名高い船底削り作業は一切だらけることなく真剣に働かせていただきました。



ということでようやく、このような意気込みを持った自分の今回の三日間にわたるレース中の動きとその感想を述べたいと思います。


今回の蒲郡で行われた全日本選手権では仰秀として一年生3人を含めたプレーヤー8人が出場ということで風の強さと船員の体重を考慮して一年生の3人が三日間のレースを1日ずつ交代して出場するという流れでした。レースは三日間で7レース行われたのですが、僕は1日目に出場し、1日目は風が強く1レースで終了でした。自分の出場しない2、3日目には今回の全日本で逆転優勝を飾ることとなる月光チームのオーナーである中澤さんが怪我でレースに出れないという理由で観覧艇を出していて、それに乗せていただけるということで乗せさせていただきました。その節は観覧艇の上で様々ご指導いただきありがとうございました。



1日目レースに出場した感想として


まず素直な感想としては落水という致命的なミスを全日本という大きな舞台で犯さなかったことに対する安堵を微かに感じました。が、自分の気持ちの大部分を占めていたのはそのような低レベルなことで少しでも満足している自分に対するやるせなさ、7レース中1レースしか仰秀にのって出場できなかったことやスタートまでの秒数読み、マーク、身近なブローのコールといった基礎的なコミュニケーションを取りつつも基本的に動作に徹するだけで、風の振れ、大局的なブロウ、他の艇との位置関係を考慮したコース引きは、知識、経験、自信の不足から本格的に参加することはなく、先輩方に任せる形になっており、仰秀の順位に貢献できている気があまりしなかったというある意味傲慢なもどかしさでした。ただ、関東選手権で落水したのと同じ下レグでゴール直前を走っているタイミングで友成さんに「落水だけ気をつけて」と言われたこともあり、これまでの集大成として本気で上位を狙おうとしている先輩方に無駄な心配をかけさせてしまっていることを実感して、1レースだけでさえ出させてもらうだけでもありがたいと思いながら、これからの部活は、冬は本当に辛いと聞いていますが、全日本で感じたこれらのやるせなさ、もどかしさを忘れず、この反省をバネに練習に挑み、いち早く仰秀に不可欠な存在になるべくより尽力して励まなければならないと感じました。



2、3日目レースを外から眺めた感想として


2、3日目は中澤さんのゴムボートに乗せていただきレース海面からかなり離れたところからレースを観覧していました。その時は上で書いたような反省はすっかり忘れて、ただ単純に仰秀が総合で5位以内に入る事を祈ってレースを眺めていましたが、2日間通して艇のセール番号、バウナンバーは共にかなり見えづらく、仰秀がどこを走っているかはよく分からない時間帯がかなり多くありました。ただ、上回航で仰秀の青いスピンが好順位で見えた時は心から興奮を覚え、この好順位を走っている仰秀にクルーとして乗ってその景色を眺めたいと心から思いましたが、その景色は来年以降にお預けということにしておきました。3日目は白いスピンの月光、月光DIANAが3レースともそれぞれ1、2位フィニッシュということで月光チームの圧倒的強者感をまじまじと見せつけられ、やはり社会人チームの経験、知識は確かなものであることを再確認すると共に、月光チームが仰秀の練習場所からかなり近くで練習していること、仰秀OBで現月光トリマーかつ日本セーリング連盟オリンピック強化委員長を務めている宮本さん、現月光DIANAクルーで仰秀監督を務めるマツケンさんといった大先輩がいて、繋がりがあることを考えても全日本ひいては世界を舞台に戦うためには教えを乞う機会を待っていても仕方が無いので自ら積極的に得ようとしなければならないと感じました。



全日本選手権全体を通して


このようにこれまで自分のまとまりのない複雑な思いを色々書かせて貰いましたが、1番強く感じたことは「ヨットをもっと深く知りたい」という思いでしょう。

今回の全日本は7位というワールド出場確定となる5位以内を目指すチームとしてはかなり惜しい結果に終わったのですが5位とは5点差、6位とは1点差というかなり惜しいもので、仰秀がワールドに出る可能性をかなり近くに感じた結果でした。さらにブログ投稿予定日の前日である今日、土曜日にちょうど5位以内の1チームと6位のチームに出場意思が無い可能性があることが分かり仰秀がワールドに出場する可能性が生じてきました。このことを踏まえるとなおいっそう、これまでに感じてきた反省点、やるせなさ、もどかしさを忘れずに練習に尽力し、時には社会人チームのJ24や、J24に限らず様々なヨットに乗る機会がもしあるのなら積極的にその機会を得ることでヨットに関するより広い視野及び技術や知識などをできる限り盗むというような気持ちで得て、世界を舞台に戦う上で恥のないようにヨットをより深く知らなければならないと感じました。(機会があるのならディンギーに乗りに是非葉山にも行かせていただきたいとは思っています。途中入部生であることもあり葉山には行った事すらなく、ディンギー班の先輩方には挨拶さえもできていないので。)

また、今回、蒲郡に仰秀OBの多くの初めて見る先輩方も応援にいらっしゃり、僕は伝統を引き継いだチーム仰秀の一員であり仰秀には先輩たちの思いが代々受け継がれ続けていることを自覚したと共に先輩たちが作りあげてきて、非常に恵まれたこの環境をフル活用しながら、現役である自分たちの役目として、おこがましくも先輩たちの結果を越えたいとも思いました。

ということで僕が今から書くことはワールド、ひいてはヨットレースがいかに厳しいものかを深く知らない愚か者の言うこととして聞いてほしいのですが、志は高ければ高い方がいいと信じて、これからのヨット人生、ワールド優勝という目標を掲げて、精進して参ります!


ここまでかなり長くなってしまいましたが自分の拙い文章をお読みいただきありがとうございました。


古川諒真


名は体を表す

2023年12月01日 22時57分58秒 | j24全日本

全日本お疲れさまでした!深夜にブログを書いている僕以外はもう疲れも癒えているところだと思います。前回投稿した木藤がだいぶ凝ってブログを書いたので、正直書きづらいです。さてどうしたものか。

「仰秀」という名前はもともと「富士山(=秀麗)を仰ぎ見ながら鍛錬する」という意味があるそうです。僕の出身校の静岡高校の校訓が「仰高 高きを仰ぐ」だったこともあり、最初聞いたときは東大クルーザー班らしい、向上心の塊のような名前だなぁとおもいました(実際そうでしたが)。

持論ですが、「秀でていること」と「強いこと」は少し違うもので、後者がものの状態=結果を表すものであるのに対して、前者は結果はもちろん、その結果がでるまでの過程の評価も内包した表現だと思います。実際、今回の全日本を経て、他のチームにかなわない点や、基本動作や判断の詰めが足りなかった点はやはりまだあることを痛感し、いわばまだ(月光チーム等から言わせれば)「強くはない」のでしょう。しかし、全日本前の練習すべてを通じていえるのは、練習後のmtgにおける詳細な反省を経て、確実に一歩ずつ成長する力量があり、そのようなフィードバッグをチーム全体として踏まえたうえで新たな課題を見つけることに貪欲になれる、そのような点で「秀でている」ということです。だから、十分伸びしろがあって、慢心ではなく自信がついてくるチーム、それが我々仰秀です。

某アニメで印象に残っている言葉があります。

負けは弱さの証明ではなく、挑戦であり、地べたから這い上がれなくなったときそれこそが弱さの証明となる

                                     1年 芝原夏輝


Now and then

2023年11月29日 18時44分19秒 | j24全日本

Now and then 、今月リリースされたthe Beatles最後の新曲。ジョンらしさを残しつつ心地よい哀愁を感じさせる。彼らの60年のラストソングは、4人が人々を魅了し続けたいままでとこれから音楽界に新しい時代の波が生まれても色褪せることのないであろう彼らの作品の価値の永続性を表している。タイトルのNow and thenの慣用的意味は"時々"。でも、それ以上に、Now and thenthe Beatles"今と、これからと、、、"そんな意味深さを感じる。そんなことに思いを馳せたのは僕だけではあるまい。全日本後、蒲郡からの帰り道、街の電光掲示板にこの曲のミュージックビデオが流れていた。"今とこれからと"。彼らと同時期に誕生した仰秀、仰秀チームの一員としての僕の今とこれからと。そんなことに思いを馳せた。三日間のレースの達成感と悔しさを思い、同時に3年後、4年生になり仰秀を背負っていくであろう自分達の将来を考えた。レースを振り返ると2日目のレース、スピンを張れば26ノッドの風に負けないようにスピンシートを手繰るヒデさん、友成さん、ジブ観音となれば揺れの激しい中ライフラインの上に足を伸ばしてジブを張るゲンさん、終始重い舵を操つる関根さん、自分と同時期に入部し今では正ピットとして不可欠な存在になりつつある太智、そんな素晴らしい先輩方の力で船は進んでいる。それに引き換え強風に呑まれてバングさえも完全に引ききれない自分はあまりに不甲斐なく、情けなく。それでも、第3レース、レース途中で仰秀のリコールが疑わしい中、フィニッシュ時に鳴らされたホイッスルを確認した瞬間は、その安堵と興奮を先輩方と共有している自分がこの4ヶ月で確かに仰秀の一員となったことを実感した瞬間であって、それゆえに目標であった5位に及ばなかった悔しさ、無念さが身に沁みたのだと実感した。ただ、本音をいえば5位という当初の目標に届かなかったということよりも6位のpinkkissにわずか1点勝ちきれなかったということが悔しかったのかもしれない。確かに最終レース前の時点で数字上5位が射程圏内ではあったが、それも実を言えば優勝候補のDIANA月光が2日目のレースをメインハリが切れたことで欠場した事が響いて最終レース前で仰秀より低位にいたためであり、最終結果でそのDIANA月光が5位に食い込んだことを考えれば5位以内のチームとは""の時点でかなり実力差があると言わざるを得まい。それでも、"これから"-3年後を考えるといつか月光やsiestaと張り合える仰秀にしたい。月光の中澤さんは、最終レース後「これだからヨットはやめられない」とおっしゃった。あの言葉は覇者の特権なのかもしれない。3年後そう言える土俵に立った仰秀でありたい。その土俵に立つには四股を踏み続け月光やpinkkiss、ダボハゼの胸を借りさせてもらわねばなるまい。またここから一年、決意を新たに日々努力したい。

 

 

 

最後にもう一度だけ歌としてのNow and then。印象的な歌詞のワンフレーズ。

 

Now and then
I miss you
Oh, now and then
I want you to be there for me

 

ヒデさん、カナさん

お二人がいらっしゃらない小網代はさびしくて仕方ありません。同期単身小網代に来た僕を温かく迎えて頂いたこと本当に嬉しかったです。短い間でしたが本当にありがとうございました。また小網代に遊びに来てくださる日を楽しみにしています。

 

 

 

クルーザー班1年(新2年) 木藤大和


ANIORU'S CUPを振り返って

2023年03月10日 01時07分42秒 | j24全日本
お世話になっております。
新3年470スキッパーの安藤です。

2週連続のブログとなってしまいましたが、どうぞお付き合いください。

この度僕は、3/3~5に愛知みとマリーナで開催されたANIORU’S CUP 2023に、仰秀チームに加わり出場させていただきました。
まずは、開催・レース運営にご尽力いただいた外洋学連の方々、協賛してくださった各企業、マリーナのみなさま、僕と西間を温かく受け入れてくれたクルーザー班、また事前練習なども含め色々と便宜を図ってくれたディンギー班、本当にありがとうございました。

今回の遠征では、普段なかなか経験できないようなものをたくさん経験することができました。その中でも2つ、ピックアップして書こうと思います。

まずは、船の中でスピードをドライブチームに任せ、自分はタクティクスやストラテジーに集中することができる、という経験です。普段470にスキッパーとして乗っていると、どうしてもまずは船のスピードを作ることを考えます。最近はコースを意識することも増えてきましたが、まだその両立をしていくという段階には至っておりません。両立しようとすれば「二兎を追うものは一兎をも得ず」という状態になるのは目に見えているので、まずはしっかりとスピードを、と。しかしJ24ではドライブチームとフォアデッキに、スピードと動作・コースにほぼ独立することが可能となっており、3番だった自分はタクティシャンの友成とコースの話に集中することができました。まるでバーチャルレガッタを海上でやっているようなものです。しかもゲームとも違って、J24の上では他の人と討論を交わしつつ色々な視点からコースを議論することができます。
12個の眼で風と周囲の船を観察し情報共有し、タクティクスに関して自分の考えを言語化して相手に伝える、議論して実践してレース結果としてフィードバックを得る。普段は全くできない経験です。
ディンギーでならもっと練習を重ね、安定してボートスピードを維持できて周りを見る余裕が生まれた頃にようやくできるような、もしくはそうなったとしても物理的にできないような、そんな経験を、今回はさせてもらうことができました。

もう一つは、レースのシビアさを実感できたことです(こう書くと今までは真剣なレースをしてこなかったのか、と言われてしまうかもしれませんが)。僕は今までは正直言って、「優勝を確実にしなければいけない」というレースをしたことはありませんでした。もちろんどんなコース練にせよレースにせよ勝つことを目標としてきましたが、「優勝」を掲げてはいませんでした。シビアに優勝を目指してレースに臨んだのは今回が本当に初めてだったかもしれません。1レース1レースがシビアな戦いであり、次のレースを落としたら優勝がかなり遠ざかる、といった緊張感の中のレースでした。
しかし、レースが終わってみると2-1-(OCS)-2-1という結果。神戸大には勝てず、ヒデさんに優勝トロフィーを渡すこともできませんでした。
いつも小松さんが大会の中日で「明日レースがあるかわからないんだから、毎回のレースで全力尽くすんだ。もしレースができたなら、それは神様がくれたレースと思って。」とレギュラー陣に檄を飛ばしているのを聞きますが、今回の大会でその意味を実感しました。
初日の最初のレースだから気を抜いていていい。この回航で抜かれても大差ないさ。次のレースがあるからそこで頑張ろう。
そんな甘いことを言っているうちに負けてしまって、後で悔しい思いをすることになる、それを自分の身で実感できました。

ディンギー班に戻り、葉山での春合宿。
この大会で、クルーザー班で学ばせてもらったことを胸に、練習を頑張っていきます。

ありがとうございました。
これからも応援のほど、どうぞよろしくお願いします。

安藤 和真