散歩のついでに・・・

犬も歩けば棒にあたる。デジカメを常に持ち歩き、気ままに撮った写真を中心に思い思いに綴っています。

川崎-生麦

2010-01-04 20:44:58 | 旧東海道
さてさて、思いつきで川崎から散歩を始めた訳ですが以前自転車で走行した事がある東海道五十三次ルートを行ける所まで歩いてみようと出発。
六郷から砂子までに旧東海道沿いには旧跡の案内や宿場町の解説板などが所々にありますが、川崎信用金庫横の道に入ると繁華街の通りになりしばらくは史蹟案内表示はお目にかかりません。
ひたすら旧東海道を進むと京急八丁畷駅近くの電柱に「芭蕉の句碑 350m右」というプレートが前回は自転車で通り過ぎてしまったので今回は見落とさないように右を気にしながら歩いて確認。
京急八丁畷駅の踏切手前に小さな祠がありその中に句碑がありました。
「麦の穂を たよりにつかむ 別れかな」と書かれているそうです。
踏切を渡って京急八丁畷駅の並びにあります「八丁畷の由来と人骨」という解説板と慰霊塔があります。
片側1車線の歩道もない通りを歩いて行くと横浜熊野神社や市場村の一里塚、庚申塔などがあります。

鶴見川に架かる鶴見川橋です。
徳川家康が東海道を整備した慶長6年(1601)頃架けられたそうで長さ25間、幅3間の橋といわれているそうです。
現在の橋は平成8年(1996)にアーチ橋として完成。
橋を渡った左手には開港当時外国人に危害を加えることを防ぐため関門が万延元年(1860)4月に関門が設けられていたそうで「鶴見橋関門旧跡」の解説があります。
橋を渡りしばらく進むと道標と解説があります。
解説によるとこれは「寺尾稲荷」へ向う道との分岐点の道標。
ただ、この石柱は複製でオリジナルは鶴見神社境内に移設。
鶴見神社へ向かう途中の街並と鶴見神社・オリジナルの寺尾稲荷道道標と鶴見駅に向かう途中の東海道の解説板。

鶴見神社は推古天皇の時代の創建と伝えられている横浜最古の社で、境内より弥生時代から鎌倉期に及ぶ多数の祭祀土器が出土したそうです。
寺尾稲荷道道標は横浜市地域有形民俗文化財に指定されており、正面には「馬上安全 寺尾稲荷道」右側面には「是より廿五丁」左側面には「寛永二乙酉二月初午 寛延三庚牛十月再建 文政十一戌子四月再建之」と刻まれているそうです。
旧生麦街道(旧東海道)沿いの浄土宗慶岸寺と子育地蔵尊、正泉寺と山門手前のお地蔵さん。

前回は気付かなかったですが、道念稲荷神社というのがあり「蛇も蚊も」という行事は横浜市指定無形民俗文化財に指定されているそうです。
この行事は約300年前に疫病が流行した時に萱で作った蛇体に悪霊を封じ込めて海に流したことに始まると伝えられているそうで「蛇の蚊も出たけ、日和の雨け、出たけ、出たけ」と大声で唱えながら萱で作った蛇体を町内を担いでまわるそうです。
ここ本宮のものが雄蛇で原(後ほど訪ねた神社)のものが雌蛇で境界で絡み合いをさせた後、夕刻には海に流していたそうですが、現在は別々の行事となっているそうです。

住宅街を歩きとある民家の門扉脇に取付けられたパネル。
「生麦事件発生現場」
ここで文久2年8月21日(1862年9月14日)薩摩藩主の父・島津久光の行列を乱したとされるイギリス人4人(内女性一人)が供回りの藩士に殺傷(死亡1・負傷2)された事件。
重傷を負ったイギリス人は生麦事件の碑がある場所まで馬で逃げたが、結局は深手のため落馬し、死亡。
国道を渡り、キリンビール横浜工場脇の道を第一京浜へ合流する地点を目指して歩きます。

生麦神明公園の一角に神社の社があり、この神社が先程の生麦にあった「蛇も蚊も」の原にある神社らしいです。こちらも横浜市指定無形民俗文化財に指定。
第一京浜と合流したJR貨物線の高架の手前に生麦事件の碑があります。
碑の周りは第三京浜港北JCTと生麦JCTを結ぶ建設予定の横浜環状北線のため土地が収容されたのか、以前会った民家がなくなっていましたが、この碑はどうなるのでしょうか?
新子安駅から帰路へ。
コメント (4)
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ラーメン川崎番家

2010-01-04 13:23:08 | 昼飯
川崎に買い物に出たついでに散策開始!
先に軽く食事を取ろうと入ったお店。
そこそこ混んでいます。
ただ年明けでボケているのか、段取りが悪いようです。
オーダーの取る順番もバラバラ!
ノリラーメン600円。
スープは悪くないと思いますが、麺はボソボソというか、コシや弾力がなく…。
どうも今年は食に関して出だしから躓いたようです。
コメント
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