現在、夏の甲子園に向けた各都道府県の予選が盛んに行われていると思います。
野球の応援には、応援歌が付き物です。
宇都宮高校の応援歌は、童謡の「花咲爺」の曲で歌います。
二荒山の神主が 御神籤引いて申すには
きーっと宇高は勝つ勝つ勝つ
もしも宇高が負けたなら、電信柱に花が咲き
焼いた魚が踊り出す 踊り出す
この歌、旧制中学の頃から歌われていたようですので、
その頃は「宇高」ではなく「宇中」でした。
この応援歌、全国に広がっているようです。
最も有名なのが、プロ野球の広島カープの応援歌です。
「宮島さんの神主が おみくじ引いて申すには
今日もカープは 勝ち勝ち勝ち勝ち」
この「宮島さん」は、宮島の厳島神社を指すのだと思います。
元は、県立広島商業高校の応援歌だったようです。
更にこの歌の由来がネット上に出ていました。
ひろしま郷土史研究会が1982年に発行した「ふるさとひろしま」第4号に、
渡辺通氏が「野球応援歌『宮島さん』誕生由来記」を書いているとの事です。
それによると、1897年(明治30年)頃、
広島県西部に位置する廿日市市の地御前(じごぜん)で、
青少年がハワイの移民帰りの人に習って野球の試合を始めました。
1907年(明治40年)頃に他町村との対抗試合で
「いつも地御前が勝ち勝ち勝ち勝ち」と歌われ、原型ができました。
1911年(明治44年)夏には
「宮島さんの神主が~」のフレーズが頭に付け加えられたとの事です。
童謡の「花咲爺」は1901年(明治34年)に発表されたので、時期は合います。
新潟県の上中越地方では、
「妙高山から雲が出た……」と歌っているようで、
山の名前は地域によって異なるようです。
柏崎地方の民謡「三階節」では、「米山さんから雲が出た……」との歌詞がありますが、
新潟県では、三階節からの連想で、
新たな歌詞が付け加えられた可能性があるようです。
この応援歌、宇都宮中学だけでなく、
群馬県の太田中学、茨城県の水戸中学などにもあるようです。
旧制中学に野球が広まるのと同じ時期に、応援歌も広まったのかも知れません。
以上、2014年5月22日付の上越ジャーナルの記事を参考にさせて頂きました。
野球の応援には、応援歌が付き物です。
宇都宮高校の応援歌は、童謡の「花咲爺」の曲で歌います。
二荒山の神主が 御神籤引いて申すには
きーっと宇高は勝つ勝つ勝つ
もしも宇高が負けたなら、電信柱に花が咲き
焼いた魚が踊り出す 踊り出す
この歌、旧制中学の頃から歌われていたようですので、
その頃は「宇高」ではなく「宇中」でした。
この応援歌、全国に広がっているようです。
最も有名なのが、プロ野球の広島カープの応援歌です。
「宮島さんの神主が おみくじ引いて申すには
今日もカープは 勝ち勝ち勝ち勝ち」
この「宮島さん」は、宮島の厳島神社を指すのだと思います。
元は、県立広島商業高校の応援歌だったようです。
更にこの歌の由来がネット上に出ていました。
ひろしま郷土史研究会が1982年に発行した「ふるさとひろしま」第4号に、
渡辺通氏が「野球応援歌『宮島さん』誕生由来記」を書いているとの事です。
それによると、1897年(明治30年)頃、
広島県西部に位置する廿日市市の地御前(じごぜん)で、
青少年がハワイの移民帰りの人に習って野球の試合を始めました。
1907年(明治40年)頃に他町村との対抗試合で
「いつも地御前が勝ち勝ち勝ち勝ち」と歌われ、原型ができました。
1911年(明治44年)夏には
「宮島さんの神主が~」のフレーズが頭に付け加えられたとの事です。
童謡の「花咲爺」は1901年(明治34年)に発表されたので、時期は合います。
新潟県の上中越地方では、
「妙高山から雲が出た……」と歌っているようで、
山の名前は地域によって異なるようです。
柏崎地方の民謡「三階節」では、「米山さんから雲が出た……」との歌詞がありますが、
新潟県では、三階節からの連想で、
新たな歌詞が付け加えられた可能性があるようです。
この応援歌、宇都宮中学だけでなく、
群馬県の太田中学、茨城県の水戸中学などにもあるようです。
旧制中学に野球が広まるのと同じ時期に、応援歌も広まったのかも知れません。
以上、2014年5月22日付の上越ジャーナルの記事を参考にさせて頂きました。
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