天然居士のとっておきの話

実生活には役に立たないけど、知っていると人生が豊かになるような話を綴りたいと思います。

最初のノーパン喫茶・・・

2018-07-16 | Weblog
 今はほとんど死語になってしまったかも知れませんが、
 1980年代、全国的な広がりを見せていた喫茶店の1形態にノーパン喫茶がありました。
 その最初の店について、先日井上章一さんの「京都ぎらい 官能編」に書いてありました。
 それによると、最初のノーパン喫茶は、
 1979年(昭和54年)に出来た、京都の西賀茂にあった「ジャーニー」です。
 井上さんが、恥ずかしがりながら断言していますので、行ったのでしょう。

 ノーパン喫茶の発祥の地は、これまで大阪とか福岡とか色々ありました。
 この手の風俗関係の店は、何となく大阪が発祥の地のような気がします。
 特に過激なサービスを生み出した大阪の「あべのスキャンダル」が、
 ノーパン喫茶を全国的に広めたのかも知れません。

 当初のノーパン喫茶は、ミニスカート姿で、パンティーは履いていないものの、
 パンティストッキングを履いていたようです。
 僕も1981年(昭和56年)に大阪で、ノーパン喫茶に入った事がありましたが、
 そのようなスタイルで、何が面白いのかと思った覚えがあります。
 その後、スタイルがトップレスになったり、ストッキングがなくなったりと、
 どんどん過激になり、それと同時に全国に広がりを見せますが、
 1984年(昭和59年)の風営法の改正によって、ブームは終わりました。

 井上さんが、恥を忍んで、この話を書いたのは、
 今は、京都無垢幻想とも言うべき観念が広がっていますが、
 本来の京都は違うと言いたいからなのだと思います。
 東海道新幹線が開通し、当初は停まる予定ではなかった京都に停まる事になり、
 1970年代から、アンノン族と呼ばれる女性客が京都を訪れるようになりました。
 これによって、京都の雰囲気が大きく変わってしまったとの事です。
 それまでは、島原などの遊郭はもとより、至る所に男を楽しませる場所があり、
 明治大正期の記者などは、京都は卑猥な街と書き立て、
 それを受け入れて来たのが京都だったとの事でした。

 現在の京都のイメージは、
 女性の観光客を受け入れるために作られたもののようです。
 ノーパン喫茶の発祥地が京都だとすると違和感のある人も多いでしょうね。
 
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2 コメント

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Unknown (井頭山人)
2018-07-17 09:18:39
確かに今では死語に成りました。風俗の流行廃れは、歳月を経るがごとくで泡沫の感が有ります。僕は入った事が有りませんので、その雰囲気は分りませんが、シャブシャブもその範疇に入るのかも。元々京都は千年の都で、それこそ白拍子が犇めいて居た所でしょう?歴代の天皇陛下の都で有りますが、またそれ以上に歓楽の都でもあったはずです。世の中に男と女が居る以上、恋の道行きは伊勢物語を始め、掃いて捨てるほど有りました。市井には求める男が居れば、適える女も居たわけです。その点京都はやはり奈良平安以来の大都市でしたね。都の風は、何でも範に成りましたから。ですから赤線は戦後に否定された。なるほど女性のファッション誌が京都の雰囲気を変えたのですか?。好いか悪いかは別として、残してほしい電燈も有りますが、国際観光都市となるに及んで、むかし風という訳にも行かなくなったのかも知れませんね。
有難うございました (天然居士)
2018-07-29 18:48:27
井頭山人さん コメント有難うございました。

井上章一さんの説では、当初停まる予定のなかった東海道新幹線が京都に停まるようになり
盛んになった女性の旅行ブームで特に京都に来るようになったため、
京都の無垢幻想が作られたとの事です。
確かに千年の都だった訳ですから、
多くの男が京都に集まり、それをもてなすための様々な仕掛けがあったようです。
ノーパン喫茶の発祥が京都では、相応しくないと言う京都無垢幻想に対する反論として。
井上さんが書かれたのだと思います。

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