天然居士のとっておきの話

実生活には役に立たないけど、知っていると人生が豊かになるような話を綴りたいと思います。

ギロチン

2015-04-29 | Weblog
 ギロチンは、
 1792年4月25日にフランスで正式に処刑道具として認められたものです。
 当時はフランス革命後の恐怖政治により、毎日何百人もが処刑されていました。
 絞首刑が平民の処刑方法だったのに対して、
 斬首刑は貴族階級に対してのみ執行されていました。
 当時の斬首には斧や刀が用いられていましたが、
 死刑執行人が未熟練であったりした場合、囚人の首に何度も斬りつけるなど、
 残酷な光景が展開され、犠牲者に多大な苦痛を与えることも多かったと言われたため、
 内科医で国民議会議員だったジョゼフ・ギヨタンが、
 受刑者に無駄な苦痛を与えないため、「単なる機械装置の作用」によって
 「人道的」な処刑を行うよう議会で提案したものです。

 設計の依頼を受けた外科医のアントワーヌ・ルイは、様々な研究を行い、
 ルイ16世の意見なども聴いた上で、国会に報告し国会はこれを採択します。
 試作品が作成される事になり、
 フランスの有名な死刑執行人シャルル・アンリ・サンソンは、
 知り合いのチェンバロ製造業者のトビアス・シュミットに960リーヴルで発注します。
 当時の一般市民の平均年収が400リーヴル強だったといわれています。
 シュミット工房は、フランス死刑執行人の元締めであるサンソンとの関係から
 ギロチンの製造独占権を得て、
 フランスだけでなくドイツなどの周辺諸国にも輸出する
 ギロチン製造メーカーとなります。

 1793年6月13日にギロチンを各県に1台ずつ配置することが政令で決定し、
 当時のフランスの行政区分に従い、
 83台のギロチンがトビアス・シュミットに1台812リーヴルで発注されました。
 この時に熾烈なギロチン受注の利権争いが発生しましたが、
 サンソンとルイ博士の後ろ盾によりシュミットの独占権が守られます。
 その後も改良型ギロチンを売り込む業者や、
 ダンピング・政治活動によって
 ギロチン利権を得ようとする業者は後を絶たなかったようですが、
 シュミット工房が最後まで独占権を守り続け、現在に至っています。

 ギロチンによる処刑は、公開で行われて来たため、
 ギロチンのミニチュアが玩具として販売されるようになり、
 子供たちが捕まえてきた
 生きた鳥やネズミの首を切り落として遊んだと言われています。
 ギロチンの製造権はトビアス・シュミットが独占していたため、
 このような玩具のギロチンも製造できるのは、シュミット工房だけでした。
 現在でもシュミット工房では、ギロチンの製造販売を行っているため、
 個人が新品のギロチンを購入することは可能であるとの事ですが、
 価格は時価だそうです。
コメント (2)
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動物のご利益

2015-04-07 | Weblog
 江戸時代の庶民の娯楽として、多くの見世物が行われました。
 その種類も、籠を使った巨大な細工ものから、軽業など様々なものがありましたが、
 その一つ分野に動物の見世物がありました。
 ゾウ、ヒクイドリ、ラクダ、ヒョウ、トラなど
 当時の人々が見たこともない動物が長崎から輸入され、見世物になりました。

 当時の見世物では、引札と呼ばれる宣伝のビラが作られました。
 この引札を見ると、どのような点が売りだったのかが分かります。
 1790年(寛政2年)に大阪でヒクイドリが見世物になっています。
 この時は何故かダチョウと間違われていますが、
 それはともかくとして、
 その引札には、ヒクイドリの羽が疱瘡除けのまじないになると書かれています。
 また時代が下がって、1862年(文久2年)に輸入されたインドゾウの引札には、
 仮名垣魯文が、
 「一度此霊獣を見る者は七難を即滅し七福を生ず」と書いています。
 つまり、ちょっと見ただけで災難を除けて福が来るとしている訳で、
 これを信じた人も多かったのでしょう。
 この他、アザラシ、ロバ、ヒョウ(当時はトラと間違われていました)
 の引札にも、同様のご利益が書いてありました。

 1824年(文政7年)には、江戸の西両国で、
 2頭の雌雄つがいのヒトコブラクダが公開されます。
 一日に入場者5千人を超える日もあったとの事であり、
 興行の期間も延長されて半年近くも行われていました。
 しかもこのラクダはその後10年間にわたって、
 全国30箇所で公開されたとの事です。
 このラクダについては、歌川国安が絵を描き、
 山東京伝の弟でやはり戯作者の山東京山が説明を書いています。
 それによると、ラクダの尿からできる薬は、瀕死の人も救う霊薬との事であり、
 このラクダの絵を貼って常に見ていると、子どもの疱瘡や麻疹が軽く済み、
 更に雷が落ちる事もないとされています。
 以上、川添裕さんの「江戸の見世物」に載っていた話です。

 今の我々の感覚からすると、何と馬鹿な事をと感じるかも知れませんが、
 当時の人々の多くは、これを信じていたのでしょうね。
 現代社会では、動物のご利益を信じる人は少ないでしょうが、
 これに類する話は結構あるのではないかと思っています。
コメント (3)
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