天然居士のとっておきの話

実生活には役に立たないけど、知っていると人生が豊かになるような話を綴りたいと思います。

新訳和蘭国全図

2024-04-22 | Weblog
 先日、茨城県古河市に行きました。
 古河市には、古河藩の家老鷹見泉石の旧宅が残っているとの事で、
 それを見るのが主目的でした。
 鷹見泉石については、以前書きました。
 https://blog.goo.ne.jp/tennnennkozi/e/c2fc02b0fefc78e18e7c054e8c43b538

 その鷹見泉石の旧宅の前に古河歴史博物館があります。
 鷹見泉石関係の資料などが沢山展示されています。
 そこで、「新訳和蘭国全図」との地図を見ました。
 嘉永3年(1850年)正月、鷹見泉石が出版したもので、
 一枚物にまとめて版木で刷った立派なものです。
 その図は、都府大街(都市の大通り)、市街、城塞、大邑(大都市)、
 邑里(村落)の地名表記に加えて、
 国州境、道路、宿駅の位置に至るまで明らかにしたオランダおよびベルギー地図で、
 日蘭交流二百五十年を記念して出版されたものでした。
 泉石は慶長5年(1600年)、オランダ船リーフデ号が
 豊後の佐志生に漂着した時に日蘭の出会いが始まる、と考えていたようです。

 鷹見泉石は、その頃の最高水準の洋学者の一人で、
 ヤン・ヘンドリック・ダップル(Jan Hendrik Daper)という蘭名も署名に用いています。
 地図に興味があったようで、多くの地図を残しています。
 その中には、伊能忠敬が作成した地図の東半分を、
 自宅に持ち帰り、僅か7日で、自ら精密に筆写したと言われています。
 伊能忠敬の地図は、幕府の機密資料でしたが、
 何らかの方法で借り出せたのだと思います。

 また、天保10年(1839年)、主君土井利位が本丸老中の時、
 オランダ大通詞の中山作三郎が江戸へ来ます。
 その時に持参した品に 「ハントアトラス」 という世界地図帳があることを知り、
 それを見せてもらいに通詞の定宿へ出かけます。
 これが3月7日のことでした。
 泉石は、この地図帳が大変気に入り、
 10日に、再び中山を訪ね、それを借り出します。
 その前日には、縮一反を届けさせた上での訪問でした。
 借りた翌日には、中山に白魚目刺を届けています。
 中山が長崎に帰る前日の17日に、
 数々の贈り物を、泉石は息子又蔵に届けさせるとともに、
 地図帳の買い取りを交渉させています。
 この結果、16両で買い取る事が出来ました。
 その次第が日記に書かれているとの事です。

 「新訳和蘭国全図」は、
 1816年刊行のWeygand 図(Nieuwe kaart van het Koninkrijk der Nederlanden) と
 極めて一致しており、
 Weygand 図のオランダ地名と地形の忠実な描写であることから、
 これを原図にして『泉石図』は作成されたとみられています。
 20年近く経過した後、家老職を辞して隠居生活になってから、出版したのでしょう、

 この地図の画像や詳しい内容等については下記で見る事が出来ますので、
 興味のある方はご覧ください。
 http://www.aobane.com/books/1048

コメント
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