天然居士のとっておきの話

実生活には役に立たないけど、知っていると人生が豊かになるような話を綴りたいと思います。

八幡橋

2022-06-14 | Weblog
 2008年9月6日の事ですから、14年ほど前の事になります。
 東京メトロ東西線の門前仲町駅の近くにある富岡八幡宮に行った事があります。
 富岡八幡宮は、相撲の発祥の地と知られた神社です。
 境内を散策した後、神社の東側に行った時に、不思議な橋を見ました。
 赤い橋なのですが、車は通れず、人だけが渡る橋で、
 下に川が流れていなくて、遊歩道がありました。
 遊歩道は、かつて川が流れていて、それが暗渠になったのかなと思いましたが、
 橋はかなり立派なものでした。

 6月13日のwithnewsにこの橋の事が出ていました。
 これによると、国指定の重要文化財にも指定されている橋との事で驚きました。
 そこで、この橋について、調べてみました。

 この橋の名称は八幡橋ですが、
 元々は、1878年(明治11年)、
 東京市京橋区(現・中央区)の楓川に架けられた弾正橋との名称でした。
 楓川は、現在は埋め立てられ首都高速都心環状線が通っています。
 アメリカ人技師スクワイヤー・ウイップルの発明した特許をベースにして、
 工部省赤羽分局が製作、架橋したもので、
 設計は明治初年にアメリカに留学して工学を学んだ松本荘一郎です。

 現在、「鉄橋」といえば鋼(はがね=強度を高めた鉄合金)でできていますが、
 この橋は純粋な鉄製のトラス橋で、
 鉄を主材料として造った鉄橋としては日本最古のものと言われています。
 アーチ材を鋳鉄製、引張材は錬鉄製という鋳錬混合の独特な構造手法で、 
 鋳鉄橋から錬鉄橋にいたる過渡期の鉄橋として非常に価値が高い事から、
 1982年(昭和52年)に国の重要文化財に指定されています。
 更に、1989年(平成元年)には、スクワイヤー・ウイップルの特許を基本とし、
 アメリカ本土においてもこの形式の橋が少ないことから、
 日本で初めてアメリカの土木学会から「土木学会栄誉賞」が贈られています。

 初代の木製の橋が架橋された江戸時代初期に、
 東詰に2代目南町奉行を務めた島田弾正の邸宅があったため、
 弾正橋と名付けられました。
 明治11年に架けられた橋は、
 橋長15.76m(8間2尺)、幅員9.1m(5間)というトラス橋です。
 工部省が製作したので、ピンの接合部に菊の紋形の花弁装飾が施されています。
 架設経費は4058円で、文明開化のシンボル的存在の鉄橋でした。
 1912年(大正2年)に、北側に新しく弾正橋が架橋されたため、
 「元弾正橋」と改称され、
 1923年(大正12年)の関東大震災当時までは現役でしたが、
 関東大震災の復興計画で、廃橋となり、
 1929年(昭和4年)に八幡堀に移設されました。
 移設当時の八幡堀は運河で、
 昭和30年代ころには傍らに材木問屋が並び、
 運河には巨木が浮かんでいたとの事です。

 2008年9月に撮った橋の写真を載せておきます。


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