天然居士のとっておきの話

実生活には役に立たないけど、知っていると人生が豊かになるような話を綴りたいと思います。

悶絶

2017-12-15 | Weblog
 色々な事情で悶絶してしまう人もいるでしょうが、
 100人近くの女性にキスされて、半ば近くで悶絶してしまった人がいます。
 その人は、大黒屋光太夫です。

 大黒屋光太夫は、江戸時代後期の伊勢国白子の回船(運輸船)の船頭です。
 1782年(天明2年)、嵐のため江戸へ向かう回船が漂流し、
 アリューシャン列島のアムチトカ島に漂着し、
 多くの苦労を乗り越えて、ロシア帝国の帝都サンクトペテルブルクまで行き、
 女帝エカチェリーナ2世に謁見して帰国を願い出、
 漂流から約9年半後の1792年(寛政4年)に帰国しました。

 悶絶したのは、1791年5月28日の
 エカテリーナ二世との最初の謁見の際に起きます。
 場所は夏の離宮、ツァールスコエ・セローでした。
 光太夫は、居並ぶ100名近くの女官たちの前で、エカテリーナ二世に謁見し、
 帰国したい旨の嘆願をし、
 エカテリーナ二世からは調べるよう指示が出ます。
 その後、エカテリーナ二世は玉座から立って光太夫に近付き、
 いきなり抱擁されたとの事です。
 そして、玉座の両側に居並ぶ女官達も、次々に女帝を見習います。
 片側の女官達のそれが終わる頃、脂粉と体臭で光太夫は気分が遠くなります。
 女帝との謁見の仲立ちをした
 ヴォロンツフォフ伯爵が慌てて光太夫を抱きかかえ、
 控えの間まで引き取らせて水を飲ませ、意識を回復した光太夫は、
 元の場所に戻り、残りの女官達との抱擁を何とか済ませたとの事です。

 この話、山下恒夫さんの「大黒屋光太夫」に載っていた話で、
 「船頭幸太夫漂流聞書」から引用していました。
 この聞書の中では、光太夫は自ら悶絶と言っています。
 もっとも山下さんも、この光太夫の話が、
 船乗り特有の奇想天外のほら話だったのか、
 それとも正真正銘の話なのかの検証は出来ないと書いてありました。

 光太夫はサンクトペテルブルクに来てからは、遊郭に出入し、
 エリザヴェータと言う遊女を懇ろだったようで、
 何故か行く度にプレゼントをもらっていたようです。
 最後の逢瀬の時には、
 メリヤスの靴下と旅行用の薬を贈られたとの事でした。

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日本最初の犬の名前

2017-12-01 | Weblog
 犬は最古の家畜と言われていて、
 古くから人間と共に歩んで来ました。
 分子系統学的研究では
 1万5千年以上前にオオカミから分化したと推定されています。
 日本における犬の起源は不明ですが、
 家畜化された犬を飼う習慣が
 日本列島に渡ってきたと考えられています。
 縄文時代早期の遺跡から犬が出土していて、
 その一部は埋葬された状態でしたが、
 多数例は散乱状態で出ているので、
 家族の一員として飼われた犬と、
 そうでない犬がいたと考えられています。
 弥生時代になると、犬の埋葬例は激減します。
 長崎県の原の辻遺跡などでは、
 解体された痕のある犬の骨が発見され、
 食用に供されていた事が推測されています。

 「日本書紀」には、
 日本武尊が神坂峠を超えようとしたときに、
 悪神の使いの白鹿を殺して道に迷い、窮地に陥ったところ、
 一匹の犬が姿を現し、
 尊らを導いて窮地から脱出させたとの記述がありますが、
 この犬には名前は付いていません。

 最初の犬の名前は、足往(あゆき)です。
 同じく日本書紀の垂仁天皇87年2月5日条に、
 昔話の形で記された説話の中に出て来ます。
 昔、丹波の桑田村(京都府亀岡市保津町・篠町一帯)に
 甕襲(みかそ)という名の人物がいました。
 甕襲の家に飼われていたのが足往ですが、
 この犬が、牟士那(むじな)という名の山獣を食い殺しました。
 すると、獣の腹から八尺瓊の勾玉が出てきたので、
 甕襲はこれを朝廷に献上しました。
 その勾玉は石上神宮(奈良県天理市)にあると記載されています。

 垂仁天皇は在位99年と言う極端な長命の天皇で、
 没した時の年齢も日本書紀では140歳、
 古事記では153歳となっています。
 伊勢神宮の建立や大規模な灌漑事業を行い、
 相撲、埴輪など著名な神事の起源も
 この天皇の治世にあるとされていますが、
 実在したかどうか学説は分かれています。
 垂仁天皇の在位年についても実態は明らかではありませんが、
 日本書紀に記述される在位を機械的に西暦に置き換えると、
 垂仁天皇87年は、西暦58年になります。

 なお、ここに出て来る「八尺瓊の勾玉」は、
 「八尺」という長さで単に大きいことを表した普通名詞であり、
 三種の神器の1つとして知られる八尺瓊勾玉とは
 別のものと考えられています。

コメント (2)
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