天然居士のとっておきの話

実生活には役に立たないけど、知っていると人生が豊かになるような話を綴りたいと思います。

蘭奢待

2008-08-27 | Weblog
 蘭奢待(らんじゃたい)は正倉院に伝わる香木です。
 この名前の中に「東大寺」がそれぞれ入っている事から、
 付けられた名前のようです。
 蘭の字の東、奢の字の大、待の寺ですね。

 本当の名は、黄熟香で、熱帯アジア産のいわゆる沈香(じんこう)です。
 ジンチョウゲ科の木の幹に樹脂や製油が付着したもので、
 重くて水に沈んでしまうところからその名があり、
 その高級品が伽羅(きゃら)です。
 1996年、宮内庁正倉院事務所の科学調査で、
 蘭奢待の香り成分が伽羅と一致することが確認されているとのことです。

 蘭奢待は長さ156cm 重さ11.6kgで、
 おそらくは9世紀に日本に渡来し、
 宝物として正倉院に保管されて来ました。
 特に、中世以降、日本では香道が盛んになりますが、
 正倉院にある蘭奢待は幻の名香とでも憧れられたのかも知れません。
 どのような香りなのか、試してみたいと思うのは人情でしょう。
 時の権力者が少しずつ試してしまったようです。
 現在、蘭奢待に切り取った証拠(付箋が貼ってあるそうですが)が
 残っているのは、足利義政、織田信長、明治天皇の3人ですが、
 足利義満、足利義教もどうやら試してみてしまったようです。

 正倉院は勅封の倉庫で、
 天皇の許可がなければその扉を開くことができません。
 室町幕府の将軍たちは、おそらく許可を取ったのだと思いますが、
 信長は東大寺に押しかけ無理矢理扉を開けさせたようです。
 延暦寺の焼き討ち事件の後だけに、
 東大寺もびびってしまったようで、扉を開け蘭奢待を見せます。
 見ればそのままで済む訳はなく、二片切り取られたようです。
 信長も、自分だけではきまりが悪かったのでしょう、
 一片は正親町天皇に献上されたようです。
 信長は、他にも自分を診てくれた、
 医聖と呼ばれた名医曲直瀬道三にも下賜したとの話もあります。

 既に1000年以上が経過した香木の香り、どのようなものなのでしょうか?
 香道に興味見のない僕も好奇心が湧きます。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

首斬朝右衛門

2008-08-16 | Weblog
 首斬朝右衛門と言うのは、
 江戸時代に罪人を処刑した人ですが、8代続きました。
 正確には、山田朝右衛門某となる訳で、
 初代が貞武、二代が吉時、以下、吉継、吉寛、吉暁(よしむね)、
 吉昌、吉利、そして八代が吉亮(よしふさ)です。
 なお、本当は吉豊が八代なのですが、
 病弱であったため、弟の吉亮が実質的な八代目を行っていました。

 この山田朝右衛門吉亮の思い出話を読んだ事があります。
 この吉亮、12歳の時から刑場に父吉利とともに行って、
 15歳の時から斬り始め、
 17年間、おおよそ300人の刑の執行を行います。
 中には、米沢藩士で新政府転覆を企てたと言われる雲井竜雄や、
 悪女の典型と言われる夜嵐おきぬ、
 高橋おでんなども含まれています。

 やはり、整理すべき事は年内にと言う事で、
 大晦日などには、それまで溜まっていた罪人を
 2~30人処刑したとようです。
 また、1事件の犯人は何人いても、
 同時に処刑していたらしく、
 例えば、岩倉具視が襲撃された事件(岩倉は軽傷でしたが)では
 9人の犯人が同日に処刑されています。

 さて、この斬首刑、いつまで続いたかですが、
 明治14年7月24日まで続きます。
 24日に斬首された二人の名前が伝わっています。
 巖尾竹次郎と川口国蔵で、共に強盗殺人犯でした。

 歴代の朝右衛門の内、三代吉継は、
 罪人が辞世の歌などを詠むのを聞き取ろうと、
 文学の道を志し、
 それが家訓として受け継がれていたと言う事です。

 この山田家、やはり色々な悪評を流されていたようで、
 例えば罪人の生き胆を薬屋に流しているとか、
 悪霊に取り憑かれているとかの噂が絶えなかったようですが、
 上記の文学の話でも分かるように、
 本当は真面目な人達で、処刑した人の回向を弔うため、
 多くの寺院に寄付を行っていたそうです。

 やはり処刑はかなりキツイ仕事だったようで、
 吉亮は「血に酔う」と言っていますが、
 頭がボーっとして大変な疲れだったようです。
 このため、処刑のあった時などは、
 徹夜で飲んで騒ぐ事が許されていたそうです。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヤシとテキヤ

2008-08-06 | Weblog
 夏祭りのシーズンです。
 各地でそれぞれの地域の特色を活かした祭が
 行われていると思います。
 祭に欠かせぬものは、
 何と言ってもヤシとかテキヤとかの人が開く露店です。
 僕の住んでいる宇都宮では、
 以前、花見の名所から露店を締め出した事がありましたが、
 あの時の花見は味気なかった記憶があります。

 さて、ヤシ(香具師)とテキヤと書きましたが、
 この両者は同じ意味です。
 どちらが古いかと言うと、香具師の方が古いらしくて、
 江戸時代に生まれた言葉のようです。
 元々、町の中で店を持たず、
 商品を売る商売を立売と言ったようです。
 天保年間に著された「守貞漫稿」と言う書物には、
 矢師と言う言葉がありますが、
 野武士が生活のため売薬をしたのが語源だと出て来るそうです。
 つまり、ヤシは野士又は薬師だと言う事のようです。
 旅から旅の小商売人には、がさばらず、価格の高い薬や香は、
 良い商品だったのでしょう。

 これに対して、テキヤは矢的から来ているようです。
 今は、ほとんどなくなりましたが、
 昔は射的も娯楽の一つだったようで、
 射的を商売にしていた人もいた訳です。
 ヤシやテキヤの社会では、よく言葉を逆さまに読む傾向があります。
 場所がショバ、種がネタ、札がダフと言うようなものです。
 ここから、矢的がテキヤになったらしいのです。

 ヤシとテキヤ明確な使い分けはありませんが、
 ヤシは個人の呼称であるのに対し、
 テキヤは一家組織の呼称として使われる事が多く、
 また農村部ではヤシ、
 都市部ではテキヤと呼ぶ傾向が強いようです。

 明治5年、東京府の通達で、
 香具師の名称を廃止しようとしたことがあるらしく、
 それ以降テキヤの名称が一般化したようです。
 香具師と言えば、思い出すのが、フーテンの寅さんですが、
 寅さんのように口上を述べて物を売るのをタンカバイと言います。
 最近のお祭などでは、ほとんど見なくなってしまいましたが・・・。
 以上、神崎宣武さんの「盛り場の民俗史」と言う本に出ていました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする