天然居士のとっておきの話

実生活には役に立たないけど、知っていると人生が豊かになるような話を綴りたいと思います。

ある死亡広告

2022-01-12 | Weblog
 1928年(昭和3年)12月、新聞数紙に下記のような死亡広告が出ました。

 「グロテスク」新年号死亡御通知
 愚息「グロテスク新年号」儀サンザン母親に生みの苦みを味はせ、
 漸く出産せし甲斐もなく、急性発禁病の為め、
 昭和三年十二月二十八日を以て長兄「グロテスク十二月号」の後を追い
 永眠仕り候 
 夭死する子は美しい。とは子を失った親の愚痴とは存じ候へども、お察し被下度候。
 生前御愛顧を賜りし諸氏の御期待に叛きし段は何とも残念の至り、
 愚息も草場の陰にて、口惜し涙にむせび居る事と存ぜられ候、
 遺骸の儀は好都合にも所轄三田署に於て一年間保管の上
 荼毘に付してくれる事に相成り候へば、こればかりはせめてもの光栄と存じ居り候。
 猶遺言状に依り、供花放鳥の類は一切御断り申上候へ共、
 第四子『グロテスク』二月号出産の場合は誕生祝として
 賑々しくご声援被下様願上置候
 一九二八年十二月の暗い暖かい夜
 東京三田
 喪主 グロテスク社
 親戚代表 文芸市場社

 ご一読頂ければお分かりの通り、人間の死亡広告ではありません。
 昭和初期のエログロナンセンス文化を代表する出版人である
 梅原北明が出した広告です。
 梅原は、1925年にボッカチオの『デカメロン』を翻訳出版し、好評を博しますが、
 下巻が発禁処分を受けます。
 1925年11月にはプロレタリア作家を擁した特殊風俗誌『文藝市場』を創刊し、
 その他、多数のアングラ雑誌・書籍を多数発刊し、出版法違反で前科1犯となります。

 彼の業績の中で、よく知られているのが、
 1928年11月から1931年8月まで何度も発禁処分を受けながらも、
 出版をつづけた雑誌『グロテスク (GROTESQUE)』(全21冊)です。
 当局の弾圧をかわすためグロテスク社、文藝市場社、談奇館書局など
 数回にわたり発行所の変更を余儀なくされました。
 しかし、そうした苦心にも係わらず、
 「グロテスク」の第3号の「グロテスク新年号」は、発禁処分を受けました。
 このため、梅原は半分ヤケになり、この死亡広告を出したのでしょう。
 社会的にセンセーションを巻き起こし、支持している人は喝采を送ったとの事です。

コメント (2)
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