演奏会や舞台などで観衆が拍手をするのが普通になっていますが、
これは日本の古来からの習慣ではありませんでした。
明治時代以前は、雅楽、能、狂言、歌舞伎などでは、
観客は拍手をしませんでした。
もちろん日本人が拍手をしなかった訳ではありません。
神社などで神に祈る時に柏手と呼ばれる拍手は行っていました。
手で音を出す理由は、神への感謝や喜びを表すため、
願いをかなえるために神を呼び出すため、
邪気を祓うためといわれています。
更に古く、魏志倭人伝には、
貴人に対し、跪いての拝礼に代えて手を打っていたと記されていて、
当時人にも拍手を行っていたようです。
古代では神・人を問わず貴いものに拍手をしたのが、
人には行われなくなり、神に対するものが残ったのかも知れません。
このような歴史的な経過から考えると、
一方において芸人などは河原乞食と呼ばれ、蔑まれていた訳ですから、
その人達の演技に拍手する習慣がないのも分かるような気がします。
では、いつから舞台などで
観客が拍手をするようになったのか気になります。
永六輔の「芸人その世界」によると、
1878年(明治11年)、守田勘也が新富座を建設して、
同年6月7日の開場式に、
太政大臣・三条実美をはじめ各外国公使らを招待した際、
これらの外国人達が、マナーとして拍手したのが最初との事です。
守田勘也は、歌舞伎役者の名跡です。
当初「森田勘彌」は江戸三座の一つ森田座の座元の名跡でしたが、
後代になると座元が役者に転じたり、
逆に役者が座元を兼ねたりしていました。
新富座を建設したのは十二代目の守田勘也です。
守田は森田から変わりました。
新富座の前身守田座は、森田太郎兵衛(初代森田勘彌)が
木挽町五丁目に開場した劇場で、江戸3座の一つです。
1876年(明治9年)11月、日本橋区数寄屋町の火災で類焼したため、
新富町4丁目に移転して建設されたものです。
「芸人その世界」には、
1911年(明治44年)に、西欧風の帝国劇場が完成した頃、
拍手が定着したと書かれていました。
なお、この本の別の箇所には、六代目尾上菊五郎の言葉として、
「手を叩いて喜ぶのは池の鯉だ。池の鯉みたいな役者は嫌いだ。」が
載っていました。
六代目菊五郎は、1885年(明治18年)に生まれた歌舞伎役者です。
大正から戦前にかけて活躍しましたが、
拍手をしなかった頃の歌舞伎が好きだったのかも知れませんね。
先日、ある音楽家の偲ぶ会があり、出席しました。
会では、追悼の言葉を述べた所縁の方の外、
何人かの音楽家が献奏を行いました。
司会の方から、
故人に捧げる演奏なので、
参列者は拍手をしないようにとの注意がありました。
現在でも拍手をしない場合もあるのですね。
これは日本の古来からの習慣ではありませんでした。
明治時代以前は、雅楽、能、狂言、歌舞伎などでは、
観客は拍手をしませんでした。
もちろん日本人が拍手をしなかった訳ではありません。
神社などで神に祈る時に柏手と呼ばれる拍手は行っていました。
手で音を出す理由は、神への感謝や喜びを表すため、
願いをかなえるために神を呼び出すため、
邪気を祓うためといわれています。
更に古く、魏志倭人伝には、
貴人に対し、跪いての拝礼に代えて手を打っていたと記されていて、
当時人にも拍手を行っていたようです。
古代では神・人を問わず貴いものに拍手をしたのが、
人には行われなくなり、神に対するものが残ったのかも知れません。
このような歴史的な経過から考えると、
一方において芸人などは河原乞食と呼ばれ、蔑まれていた訳ですから、
その人達の演技に拍手する習慣がないのも分かるような気がします。
では、いつから舞台などで
観客が拍手をするようになったのか気になります。
永六輔の「芸人その世界」によると、
1878年(明治11年)、守田勘也が新富座を建設して、
同年6月7日の開場式に、
太政大臣・三条実美をはじめ各外国公使らを招待した際、
これらの外国人達が、マナーとして拍手したのが最初との事です。
守田勘也は、歌舞伎役者の名跡です。
当初「森田勘彌」は江戸三座の一つ森田座の座元の名跡でしたが、
後代になると座元が役者に転じたり、
逆に役者が座元を兼ねたりしていました。
新富座を建設したのは十二代目の守田勘也です。
守田は森田から変わりました。
新富座の前身守田座は、森田太郎兵衛(初代森田勘彌)が
木挽町五丁目に開場した劇場で、江戸3座の一つです。
1876年(明治9年)11月、日本橋区数寄屋町の火災で類焼したため、
新富町4丁目に移転して建設されたものです。
「芸人その世界」には、
1911年(明治44年)に、西欧風の帝国劇場が完成した頃、
拍手が定着したと書かれていました。
なお、この本の別の箇所には、六代目尾上菊五郎の言葉として、
「手を叩いて喜ぶのは池の鯉だ。池の鯉みたいな役者は嫌いだ。」が
載っていました。
六代目菊五郎は、1885年(明治18年)に生まれた歌舞伎役者です。
大正から戦前にかけて活躍しましたが、
拍手をしなかった頃の歌舞伎が好きだったのかも知れませんね。
先日、ある音楽家の偲ぶ会があり、出席しました。
会では、追悼の言葉を述べた所縁の方の外、
何人かの音楽家が献奏を行いました。
司会の方から、
故人に捧げる演奏なので、
参列者は拍手をしないようにとの注意がありました。
現在でも拍手をしない場合もあるのですね。