前回も書きましたように、先日京都に行って来ました。
京都に行くに当たって、参考にしようと思い、
高橋昌明さんの「京都<千年の都>の歴史」を読みました。
僕が常識と考えていた事が覆る事も多く、とても参考になりました。
その中で、昔の京都観光について書いてあった所があったので、
抜き書きしておきます。
1575年(天正3年)の旧暦4月の中旬から5月の下旬にかけて、
薩摩の武将島津家久が伊勢神宮参詣の途中に京都に立ち寄っています。
この頃の京都は、織田信長が支配していた時期で、
同年の旧暦5月21日には、長篠の合戦が起きています。
家久は連歌師の里村紹巴の案内で、寺社参詣・名所めぐりをしています。
あるいは、信長の指示があったのかも知れません。
一行は、嵯峨・東山(清水・祇園)・
北山(千本・北山)・鞍馬などを訪れています。
5月1日には賀茂の祭、
5月中旬には紹巴と親しかった明智光秀の近江坂本城でもてなしを受け、
屋形船で琵琶湖を遊覧し、日吉社・大津・石山にも詣でています。
家久は、伊勢参宮の帰途、6月にも3日ほど京都に立ち寄り、
宇治・伏見・稲荷を通過して、祇園会も見学しています。
時代が下がって、江戸時代になると
名所案内記が数多く出版されるようになります。
「京都もの」も多く出版されますが、
初めの頃は古典の教養に裏付けられた「読み物」が中心ですが、
次第に実用的なものに変わって行きます。
1708年(宝永5年)に刊行された「京都まゐり」では、
三条大橋を起点にして82か所を3日間で巡る行程が案内されています。
初日は、百万遍から東山山麓を経て清水寺までの南北の広範な地域、
2日目は、洛中、東西本願寺、三十三間堂、東福寺、伏見稲荷、
3日目は、下鴨、上賀茂、大徳寺、北野天満宮、金閣寺、二条城と
盛りだくさんです。
概ね1日20km程度の行程ですので、
当時の人の足ならば可能だったのでしょう。
現在でも人気を集める観光スポットが網羅されている感じがします。
京都の街も古いですが、観光ルートも400年以上の歴史があるのですね。
京都に行くに当たって、参考にしようと思い、
高橋昌明さんの「京都<千年の都>の歴史」を読みました。
僕が常識と考えていた事が覆る事も多く、とても参考になりました。
その中で、昔の京都観光について書いてあった所があったので、
抜き書きしておきます。
1575年(天正3年)の旧暦4月の中旬から5月の下旬にかけて、
薩摩の武将島津家久が伊勢神宮参詣の途中に京都に立ち寄っています。
この頃の京都は、織田信長が支配していた時期で、
同年の旧暦5月21日には、長篠の合戦が起きています。
家久は連歌師の里村紹巴の案内で、寺社参詣・名所めぐりをしています。
あるいは、信長の指示があったのかも知れません。
一行は、嵯峨・東山(清水・祇園)・
北山(千本・北山)・鞍馬などを訪れています。
5月1日には賀茂の祭、
5月中旬には紹巴と親しかった明智光秀の近江坂本城でもてなしを受け、
屋形船で琵琶湖を遊覧し、日吉社・大津・石山にも詣でています。
家久は、伊勢参宮の帰途、6月にも3日ほど京都に立ち寄り、
宇治・伏見・稲荷を通過して、祇園会も見学しています。
時代が下がって、江戸時代になると
名所案内記が数多く出版されるようになります。
「京都もの」も多く出版されますが、
初めの頃は古典の教養に裏付けられた「読み物」が中心ですが、
次第に実用的なものに変わって行きます。
1708年(宝永5年)に刊行された「京都まゐり」では、
三条大橋を起点にして82か所を3日間で巡る行程が案内されています。
初日は、百万遍から東山山麓を経て清水寺までの南北の広範な地域、
2日目は、洛中、東西本願寺、三十三間堂、東福寺、伏見稲荷、
3日目は、下鴨、上賀茂、大徳寺、北野天満宮、金閣寺、二条城と
盛りだくさんです。
概ね1日20km程度の行程ですので、
当時の人の足ならば可能だったのでしょう。
現在でも人気を集める観光スポットが網羅されている感じがします。
京都の街も古いですが、観光ルートも400年以上の歴史があるのですね。