天然居士のとっておきの話

実生活には役に立たないけど、知っていると人生が豊かになるような話を綴りたいと思います。

千葉さな子

2014-03-20 | Weblog
 千葉さな子は、1838年(天保9年)、北辰一刀流の開祖千葉周作の弟
 千葉定吉の二女として生まれます。
 やはり血筋なのでしょうか、小太刀に優れ、
 十代の頃には早くも皆伝の腕前に達しています。
 また、その美貌も有名で、「千葉の鬼小町」
 あるいは「小千葉小町」と呼ばれたと言われています。

 彼女が16歳のころ、
 北辰一刀流桶町千葉道場に入門していた坂本龍馬と知り合い、
 後に婚約を交わしたとも結婚したとも言われています。
 龍馬の実家宛書簡にはさな子に対する好意が感じられる表現があり、
 少なくとも龍馬が
 千葉さな子へ大変な好意を寄せていたのは間違いがないようです。
 また、坂本家の方でも、
 二人の間をある程度認めていた形跡があるとの事です。

 しかし、1867年(慶応3年)、坂本龍馬は京都で暗殺されます。
 また、その前から楢崎龍と言う女性が
 龍馬の妻となっていたと言われています。
 龍馬と龍が薩摩藩に滞在中、藩内の温泉に行った事を、
 日本最初の新婚旅行とPRしているようです。

 千葉さな子は龍馬の死を知った後も、一生を独身で過ごしました。
 このため、生涯龍馬を思い続けたとも言われています。
 維新後は学習院女子部に舎監として奉職した後、
 千住で、家伝の針灸を生業としてすごします。
 1896年(明治29年)、彼女はその生涯を閉じます。
 死後、身寄りがなく無縁仏になるところ、
 灸の患者であった自由民権運動家の小田切謙明が哀れみ、
 小田切家の墓地のある
 山梨県甲府市の日蓮宗妙清山清運寺に納骨されます。
 墓石には「坂本龍馬室」と彫られていますが、
 これは、龍馬を思い続けたさな子の気持ちを察した、
 小田切謙明の夫人豊次の思いやりだと清運寺では説明をしています。

 山梨県では、千葉さな子を偲んで、
 「千葉さな子杯県下女子剣道大会」が開催されています。
 2013年11月には、第9回が開催され、
 山梨県内の女子剣士約290名が参加する大規模な大会との事です。
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お稲荷さん

2014-03-01 | Weblog
 日本では、八百万神と言われる通り、多くの神様がいますが、
 最も多いのが、お稲荷さんと親しまれている稲荷神だと思います。
 江戸時代には、江戸に多い物として
 「火事 喧嘩 伊勢屋 稲荷に犬の糞」と言われていたそうです。
 現在でも、その総数は2万社とも3万社とも言われていて、
 屋敷神として商家の庭や、
 ビルの屋上などに祀られているものまで入れると
 稲荷神を祀る社は膨大な数になると思います。

 日本各所にある神道上の稲荷神社の総本社は
 京都市伏見区にある伏見稲荷大社です。
 また神仏習合思想によって、仏法における荼吉尼天が本地仏とされ、
 その総本社は豊川稲荷になっています。

 稲荷神は、宇迦之御魂神(うかのみたま)などの穀物の神の総称で、
 宇迦之御魂神の他、豊宇気毘売命(とようけびめ)、
 保食神(うけもち)、大宣都比売神(おおげつひめ)、
 若宇迦売神(わかうかめ)、御饌津神(みけつ)などとされていて、
 本来は穀物・農業の神ですが、現在は商業も含めて、
 産業全般の神として信仰されています。

 伏見稲荷大社は、「日本書紀」によると、
 欽明天皇の時代、711年(和銅4年)2月初午の日に、
 秦(はたの)伊呂巨(具)(いろこ(ぐ))が鎮座したとされています。

 お稲荷さんと言えば、狐を思い浮かべますが、
 伏見稲荷の狐宇迦之御魂神の別名は御饌津神(みけつのかみ)です。
 また、狐の古名は「けつ」であったので、
 御饌津神を「三狐神」と解して、
 狐が稲荷神の使いとされるようになりました。
 狐を稲荷神の使いとする民間信仰は、中世より始まったとの事で、
 後に、狐が稲荷神そのものであると誤解されるようにもなります。
 稲荷神社の前には狛犬の代わりに
 宝玉をくわえた狐の像が置かれる事が多く、
 他の祭神とは違い稲荷神には神酒・赤飯の他に
 狐の好物とされる油揚げが供えられ、
 ここから油揚げを使った寿司を稲荷寿司と称するようになった訳です。
コメント (2)
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