天然居士のとっておきの話

実生活には役に立たないけど、知っていると人生が豊かになるような話を綴りたいと思います。

ハネムーン

2015-06-18 | Weblog
 昔は6月に結婚する人は少なかったと思うのですが、
 今はジューン・ブライドと言う言葉が流行って、多くなったようです。

 新婚旅行をハネムーンと言うのは、既に定着しています。
 結婚したばかりの新婚夫婦2人だけで旅行に出かけることで、
 ハネムーンは、かつては蜜月と訳されていましたが、
 現在では「蜜月」と言うと、
 仲の良い時期と言うような意味が強いかも知れません。

 ハネムーンの語源は蜂蜜酒に関連します。
 古代から中世にかけてのヨーロッパでは、蜂蜜酒を飲んで、
 約1ヶ月の間、新郎新婦は家から出ずに子作りに励んだと言われています。
 蜂蜜酒は、蜂蜜を水で薄めてアルコール発酵させて作る酒ですが、
 古代から中世初期のゲルマン人の間では、
 ビールと並んで最も一般的な酒でした。
 蜂蜜に強壮作用があるとされていて、
 更に、ミツバチの多産にあやかる意味もあったようです。

 日本初の新婚旅行を行った夫婦は、坂本龍馬夫妻であるとされています。
 鹿児島県では、これを観光PRに使っているようです。
 龍馬は、妻のお龍との結婚後、しばらく九州薩摩に滞在しています。
 これは寺田屋事件で負った傷の治療もかねてという事で、
 今のハネムーンとは少し違うのかも知れません。

 日本でハネムーンに行くカップルが多くなったのは、
 大正・昭和時代のようです。
 第二次世界大戦以降から高度経済成長期までは、
 専ら日本国内の近場が行き先だったようです。
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帝室技芸員

2015-06-09 | Weblog
 戦前の美術界の制度として、宮内省が運営する帝室技芸員がありました。
 1890年(明治23年)に設置された美術・工芸作家の顕彰制度で、
 戦後の1947年(昭和22年)に廃止されています。
 ジャンルは幅広く、日本画家や西洋画家、彫刻家の他、
 金工や陶工、漆工といった諸工芸作家に加えて、
 刀工と写真家等も認定されています。

 制度ができた背景には、
 1889年(明治22年)に東京美術学校を創立した
 フェノロサと岡倉天心らの革新派と、
 従来からのグループとの対立があるとされています。
 旧派は、伝統絵画を護るという意図から宮内省の庇護を求め、
 1887年(明治20年)に有栖川宮熾仁親王を総裁に迎えて、
 新たに「日本美術協会」を発足させます。
 同会は宮中や宮内省との結びつきが強く、
 翌年には帝室技芸員の前身とされる「宮内省工芸員」を認定します。

 1890年には正式に帝室技芸員制度が始まります。
 宮内大臣により任命された選択委員により作家が推薦され、
 帝室博物館館長の招集した会議によって任命されるというものでした。
 定員は25名であり、生涯、勅任官の待遇を受ける一方、
 年金の他に下命された制作に対しては制作費が支給されました。
 1944年(昭和19年)までの55年間に、79名しか選ばれていません。
 現在の重要無形文化財保持者(人間国宝)の数と比較しても少なく、
 いかに優れた芸術家が選ばれたか分かります。

 この第一回の帝室技芸員の日本画に選出された画家が6名います。
 田崎草雲、森寛斎、狩野永悳、守住貫魚、橋本雅邦、野口幽谷です。
 この他、柴田是真も選ばれますが、
 画家ではなく漆工芸として選ばれています。

 この内、田崎草雲は下野国足利藩の出身です。
 幕末の頃から足利に居を定め、終生足利から離れませんでした。
 以前、栃木県の足利市出身の田崎草雲の旧居に行く機会がありました。
 作品を見ながら、改めてその素晴らしさを感じました。
コメント (2)
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