最近読んだ、神坂次郎著の「おかしな大名たち」に
強請り(ゆすり)の語源が載っていました。
語源は例幣使の行状から出た言葉との事でした。
例幣使に関しては、以前書きました。
https://blog.goo.ne.jp/tennnennkozi/e/de62e1ba46bd4d7fe7a3c433e9bfef56
これは、篠田鉱造の著した「幕末百話」に載っていた話からで、
強請りの語源に近い話もありましたので、書き改めたいと思います。
天皇の命により神社・山陵などに幣帛を奉献することを奉幣と言います。
天皇が直接親拝して幣帛を奉ることもありますが、
天皇の使い・勅使を派遣して奉幣せしめることが多く、
この使いの者のことを奉幣使と言いました。
中世以降、伊勢神宮の神嘗祭に対する奉幣のことを特に例幣と呼ぶようになります。
この例に基づくものなのでしょう、1646年(正保3年)から、
日光東照宮の例祭に派遣される日光例幣使の制度が始まりました。
家康を尊敬していた三代将軍家光が始めたものです。
江戸時代には、単に例幣使と言えば日光例幣使を指すことの方が多かったとの事です。
例幣使は、毎年天子を補佐する要職から選ばれますが、
官位は4位と高くても、当時の公家は経済的に豊かではありませんでした。
生活に困っていた公家は、日用品をつけで買っていましたが、
例幣使に任命されると、
こうした出入りの業者から供奉にしてくれと強烈な売り込みがあります。
公家の方では、供奉に加えてやって、それまでの借金を帳消しにしてもらう訳です。
この随員の供奉達は、道中疲れたといって駕籠に乗ると、
たちまち駕籠を揺さぶり始めます。
揺すられたかご屋の人足は担げません。
供奉達は、暗に袖の下を要求し、それでも応じないとみると、
大きく揺さぶり、わざと駕籠からころげ落ち、
「おのれ、ようも振り落としおったな。このうえは公儀のお裁きを・・・」と
と凄んでみせたとの事です。
そのため仕方なく、「なにとぞ、ご内聞に」と金銭をつかませてしまう訳です。
ここから、おどして金銭を奪い取る事を意味する
強請りと言う言葉になったとの事でした。
強請りは「揺すり」とも書きますが、こちらの方が本来の意味に近い感じがします。
随行者ですらそうなのですから、公家が、この際とばかりに無理難題を言って、
私腹を肥やした事は言うまでもありません。
使命が終わった後に、江戸に寄って、
1年前の例幣を切って、多くの大名家に送り付け、
これから例幣使がお見舞いに行くと言うと、
来られては大変と、どこの大名家でも、何がしかの金品を送って
来訪を遠慮してもらったそうです。
それだけでも多くの財産を蓄えられたようです。
また、江戸では、宿を取らず新築した家に泊まり、
その家に付属している家財や什器などを
残らず長持ちに入れて持ち帰ってしまったとの事でした。
このため、例幣使を一度やると、公卿の邸も立ち直る位の役得があり、
貧乏公家達の間では、この役が垂涎の的であったようです。
強請り(ゆすり)の語源が載っていました。
語源は例幣使の行状から出た言葉との事でした。
例幣使に関しては、以前書きました。
https://blog.goo.ne.jp/tennnennkozi/e/de62e1ba46bd4d7fe7a3c433e9bfef56
これは、篠田鉱造の著した「幕末百話」に載っていた話からで、
強請りの語源に近い話もありましたので、書き改めたいと思います。
天皇の命により神社・山陵などに幣帛を奉献することを奉幣と言います。
天皇が直接親拝して幣帛を奉ることもありますが、
天皇の使い・勅使を派遣して奉幣せしめることが多く、
この使いの者のことを奉幣使と言いました。
中世以降、伊勢神宮の神嘗祭に対する奉幣のことを特に例幣と呼ぶようになります。
この例に基づくものなのでしょう、1646年(正保3年)から、
日光東照宮の例祭に派遣される日光例幣使の制度が始まりました。
家康を尊敬していた三代将軍家光が始めたものです。
江戸時代には、単に例幣使と言えば日光例幣使を指すことの方が多かったとの事です。
例幣使は、毎年天子を補佐する要職から選ばれますが、
官位は4位と高くても、当時の公家は経済的に豊かではありませんでした。
生活に困っていた公家は、日用品をつけで買っていましたが、
例幣使に任命されると、
こうした出入りの業者から供奉にしてくれと強烈な売り込みがあります。
公家の方では、供奉に加えてやって、それまでの借金を帳消しにしてもらう訳です。
この随員の供奉達は、道中疲れたといって駕籠に乗ると、
たちまち駕籠を揺さぶり始めます。
揺すられたかご屋の人足は担げません。
供奉達は、暗に袖の下を要求し、それでも応じないとみると、
大きく揺さぶり、わざと駕籠からころげ落ち、
「おのれ、ようも振り落としおったな。このうえは公儀のお裁きを・・・」と
と凄んでみせたとの事です。
そのため仕方なく、「なにとぞ、ご内聞に」と金銭をつかませてしまう訳です。
ここから、おどして金銭を奪い取る事を意味する
強請りと言う言葉になったとの事でした。
強請りは「揺すり」とも書きますが、こちらの方が本来の意味に近い感じがします。
随行者ですらそうなのですから、公家が、この際とばかりに無理難題を言って、
私腹を肥やした事は言うまでもありません。
使命が終わった後に、江戸に寄って、
1年前の例幣を切って、多くの大名家に送り付け、
これから例幣使がお見舞いに行くと言うと、
来られては大変と、どこの大名家でも、何がしかの金品を送って
来訪を遠慮してもらったそうです。
それだけでも多くの財産を蓄えられたようです。
また、江戸では、宿を取らず新築した家に泊まり、
その家に付属している家財や什器などを
残らず長持ちに入れて持ち帰ってしまったとの事でした。
このため、例幣使を一度やると、公卿の邸も立ち直る位の役得があり、
貧乏公家達の間では、この役が垂涎の的であったようです。