天然居士のとっておきの話

実生活には役に立たないけど、知っていると人生が豊かになるような話を綴りたいと思います。

ヴィルヘルム1世の死刑執行命令書

2016-12-20 | Weblog
 ヴィルヘルム1世は1797年に生まれた、第7代プロイセン王で、
 ビスマルクやモルトケなどの人材を登用して、ドイツ統一戦争に乗り出し、
 普仏戦争に勝利して、1871年1月18日に初代のドイツ皇帝に即位した人物です。

 このヴィルヘルム1世、死刑執行命令書に署名したのは、
 生涯でただ1度だったとの伝承がドイツに残っていたと、
 淮陰生の「一月一話」に載っていました。
 淮陰生自身も真偽のほどは分からないとの事ですが。

 それによると、プロイセン王になって間もなくの事、
 ある凶悪な殺人事件が起こり、犯人と目される男が捕まります。
 その男は頑強に無罪を主張しますが、裁判の結果死刑の判決が下ります。
 刑場に引き出され、首斬人の振り下ろす斧で、首は籠の底に落ちますが、
 そのとたんに首はギョロリと目玉をむいて、大声で
 「俺は無実だ!」と叫んだとの事です。
 それから間もなく、一人の男が臨終の床で、
 あの真犯人は自分だったと懺悔の告白をして息を引き取ったとの話が、
 ヴィルヘルム1世の耳に入り、
 彼は2度と死刑執行命令書に署名しなかったと言う話です。

 ヨーロッパ諸国では、第二次世界大戦後、
 各国で殺人などの一般的な犯罪に対して死刑を課することを止めています。
 現在のEU加盟の条件の一つに死刑制度の廃止があります。
 西ドイツでも、1949年に廃止されています。
 ナチスドイツの厳罰主義への反省があったのでしょうが、
 ヴィルヘルム1世の伝承も影響があったかも知れません。

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競技かるた

2016-12-07 | Weblog
 競技かるたは、一般的なイメージでは、
 小倉百人一首を使って行われる事から、
 伝統文化の範疇と考えられていますが、
 競技に高度な瞬発力・記憶力・精神力・体力が
 必要とされることなどから、
 「畳の上の格闘技」とも形容され、スポーツに近い面もあります。

 百人一首を用いた競技は明治時代以前から行われていましたが、
 そのルールは地方や主催するかるた会によってまちまちでした。
 競技かるたのルールの統一が図られたのは
 1904年(明治37年)の事で、
 ジャーナリストの黒岩涙香によってでした。
 黒岩は「東京かるた会」を結成し、第1回の競技かるた大会を開催し、
 その後、ルールについては軽微な修正を経て、現在に至っています。

 毎年1月には、滋賀県大津市の近江神宮において、
 名人位戦と女性部門のクイーン位戦が行われ、
 HKが放送していますので、ご存知の方も多いかと思います。

 現在の競技かるたの公式ルールでは、
 使用するかるたは、京都の大石天狗堂製のものと定まっています。
 大石天狗堂は、かるたの製造卸販売を行う老舗企業です。
 創業は江戸時代の1800年(寛政12年)で、
 初代は、能登出身の大石蔵之介(忠臣蔵の大石内蔵助とは別人です)が、
 米屋を営む傍ら、公家相手にかるたを売る商売を始めたとの事です。
 会社のHPに載っている同社の歴史には、
 「黒岩涙香の考案により、活字体の百人一首を製作」とありますので、
 黒岩は、競技かるたの普及に熱心だった事がうかがえます。
 そんな事から、現在も公式競技は、
 大石天狗堂製の百人一首と定まっているのでしょう。

 小倉百人一首の成立には、宇都宮頼綱が関係している事は以前書きました。
 http://blog.goo.ne.jp/tennnennkozi/e/bac85a928118aa9597362b792b5ce6d8
 そうした事もあって、最近宇都宮市内でも競技かるたが盛んになっているようです。
 良い事だと思っています。

 
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