天然居士のとっておきの話

実生活には役に立たないけど、知っていると人生が豊かになるような話を綴りたいと思います。

鬼丸

2012-02-15 | Weblog
 鬼丸(おにまる)と言う日本刀があります。
 現在は皇室御物となっていますが、
 天下五剣と言われる名刀の一つです。
 ちなみにこの天下五剣とは、
 国宝の童子切、国宝の三日月宗近、やはり国宝の大典太、
 そして日蓮の佩刀と言われる数珠丸とこの鬼丸です。

 この鬼丸を造ったのは、京粟田口派の刀工で、
 粟田口6兄弟の末弟である国綱です。
 鬼丸という号の由来は太平記に記載があります。
 北条時政が毎夜毎夜、夢の中に現れる小鬼に苦しめられていました。
 ある夜、夢の中に老翁が現れ、
 「自分は太刀国綱である。
  ところが汚れた人の手に握られたため錆びてしまい鞘から抜け出せない。
  早く妖怪を退治したければ早く自分の錆を拭い去ってくれ」と言いました。
 早速国綱を手入れしたところ、
 時政の部屋にあった火鉢の足に付いていた銀の鬼の首を、
 そばに立てかけてあった国綱が倒れかかって、切り落としたと言います。
 それ以来時政の夢に小鬼は現れなくなり、
 この事件によりこの太刀を鬼丸と命名したと言われています。

 鬼丸は北条家の重宝でしたが、
 北条高時自刃後、新田義貞の手に渡り、やがて足利家の重宝となります。
 その後は、足利義昭より織田信長を経て豊臣秀吉へ伝わったり、
 秀吉はこの鬼丸国綱を本阿弥光徳に預けます。
 豊臣家滅亡後、徳川家のものとなりましたが、
 徳川家康・徳川秀忠ともにそのまま本阿弥家に預けたと言います。
 8代将軍徳川吉宗は京都の本阿弥家に命じ、
 江戸城に持参させたとの記録があるそうです。
 そして明治に至り、預け主の江戸幕府が崩壊したので、
 本阿弥家が新政府に届けを出し、
 1881年(明治14年)明治天皇が手にしました。
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日本で最初の解剖

2012-02-04 | Weblog
 日本で最初の医学的な解剖は、
 1754年(宝暦4年)に山脇東洋が、
 京都の六角牢獄で男の刑死人の解剖を行ったのが最初と言われています。
 この解剖により、「臓志」と言う書物を著しています。
 この解剖は、杉田玄白の「解体新書」の17年前のことでした。

 しかし、この解剖から更に600年ほど遡った平安時代末期、
 自分の娘を生きたまま解剖して名医になったと言う奇怪な伝説が、
 栃木県の旧粟野町(現鹿沼市)に残されています。
 その名医は中野智玄(なかの ちげん)で、
 安蘇郡粕尾村(旧粟野町 現鹿沼市)の人です。
 智玄には、一人娘がいましたが、難病に罹ります。
 彼は懸命に治療しましたが、快方に向かわず、
 このため、病気治療のため娘を旅に出します。
 旅に出て、娘が野宿をしていると、夢枕に白髪の老人が現れ、
 吹上村(現栃木市)の伊吹山のヨモギで
 灸を据えれば治る旨伝えます。
 娘は、老人の言葉に従い、伊吹山でヨモギ草を採り、
 17日間灸を据えると、病気が平癒しました。
 娘は家に戻り、両親へ一部始終を報告しました。

 智玄は、娘の完治を不思議に思い、
 その訳を知るため、解剖したいと娘に頼みます。
 娘は父親の頼みを受け入れ、
 母親がいない間に解剖して、腹部に鳥の形をした所を見つけ、
 その嘴の所に灸が据えてあるのを見つけます。
 しかし、彼は帰宅した母親に責められ、家を出てしまいます。

 諸国を巡っている内に都に着き、
 後鳥羽院が難病に罹り、誰もが治せないでいる事を耳にします。
 智玄が参上し、薬を処方したところ、
 たちどころに院の病気は平癒しました。
 このため、彼は「録事法眼」という法号を賜り、
 更に粕尾郷を与えられます。

 智玄は、粕尾郷の領主となり、
 安楽に暮らしができるようになります。
 しかし、妻は、娘の命を奪った事を忘れず、出家してしまいます。
 智玄は多くの人々の病を治し、
 雷様の病気を治したとも伝えられており、
 これによって、粕尾郷には落雷がないと言われています。

 現在、鹿沼市の瑠璃光山蓮照常楽寺に祭られていて、
 毎年2月11日には録事尊大祭として多くの参拝客を集めています。
 中野智玄が実在した人物なのかどうかは分かりません。
 しかし、中野智玄(録事尊)と御内室観世音(妻)は、
 2つの厨子に納められ、今も粕尾の各家々を廻ることになっています。
 この時、この2つの厨子が一軒へ宿することはするべきではなく、
 また、一カ所へ納めることをしてはならないと伝えられています。
 やはり、一人娘の命を医学の発展のために犠牲にした中野智玄に対し、
 妻の怒りはおさまっていないということでしょうか、
 現在においてもこの風習は続いているとの事です。
コメント (1)
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