天然居士のとっておきの話

実生活には役に立たないけど、知っていると人生が豊かになるような話を綴りたいと思います。

リヒトホーフェン

2008-06-26 | Weblog
 第一次世界大戦の時、
 「レッドバロン」と呼ばれたパイロットがいました。
 もうだいぶ前になりますが、
 彼を主人公にした映画もあったので、ご記憶の人も多いかと思います。

 彼の名前は、マンフレット・フォン・リヒトホーフェンです。
 男爵の家に生まれ、彼の愛機を真紅に染めていたことから
 このニックネームがついた訳です。
 彼は、当時技術革新が猛スピードで進んでいた航空機を駆使して
 80機を撃墜したと言われており、
 第一次世界大戦のパイロットの中では、
 ナンバーワンの撃墜王になっています。

 彼の愛機は、アルバトロス、ハルバーシュタットD.2、
 フォッカーDr.1と変わりますが、
 特に最後のフォッカーは3枚羽の複葉機として優雅な姿でした。
 当時は姿を隠すための迷彩の塗装ではなく、
 自分の姿を誇示するための塗装で、
 言うなれば騎士道精神のような華やかさを持っていたのだと思います。
 ドイツ軍は、彼が有名になるに従い、
 彼が撃墜されて戦意が低下する事を恐れ、
 なるべく彼の出撃を止めようとしたらしいのですが、
 彼は聞き入れなかったようです。
 イギリス軍から「レッドデビル」と恐れられていたリヒトホーフェンも、
 1918年イギリス軍に撃墜され
 (地上からの銃撃だったと言う説もあるようです。)死亡します。
 不時着した機体から彼の遺体が見つかると、
 連合軍は50万人の参列による国葬をもって、
 英雄を弔ったと言われています。
 享年24歳でした。
 正に騎士道精神の最後の華やかさと言う感じがします。
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キャッチフレーズ・・・

2008-06-17 | Weblog
 最近、「キャッチフレーズの戦後史」と言う本を読みました。
 著者は、「違いがわかる男のゴールドブレンド」などの
 キャッチフレーズを制作した深川英雄さんと言う方です。
 戦後の社会現象とキャッチフレーズの関係を
 分かりやすく解説しています。
 今も使われているキャッチフレーズで、
 かなり以前に作られたものがありましたので、紹介します。

 ゴホンといえば龍角散(昭和28年から)
 何とこれは、もう50年以上も使われているのですネ!
 こりと痛みに!(トクホン)(昭和29年から)
 クシャミ3回ルル3錠(昭和30年から)
 などなどです。
 全て薬のキャッチフレーズなのですが、
 やはり長く変わらない事が信頼を得るのかも知れません。
 この外、懐かしいキャッチフレーズが沢山出て来ますので、
 興味を持たれた方は、ご一読なさって下さい。
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サー・ウォルター・ローリー

2008-06-02 | Weblog
 サー・ウォルター・ローリーは歴史上の人物の中では、
 僕が好きな人物の一人です。
 エリザベス一世の寵臣として16世紀から17世紀にかけて活躍し、
 1618年に亡くなりましたが、一代の快男子と言っても良いでしょう。

 廷臣として活躍し、海に出ては敵国スペインの港を襲い、
 冒険家として黄金を求めて南アメリカを探検し、
 やがて女王が亡くなり、ジェイムズ一世が即位すると、
 謀反の疑いで死刑を宣告されます。

 投獄されたロンドン塔で「世界史」を執筆し、
 罪を許されてふたたび南アメリカに黄金探しに出かけたものの、
 帰国すると、許されたはずの死刑が
 スペインとの政治情勢から蒸し返され、
 結局は断頭台の露と消えた人物です。

 彼の表した「世界史」なのですが、
 第一巻だけで終わっています。
 この理由と言うのが振るっています。
 ある日、彼が幽閉されていたロンドン塔の下で
 取っ組み合いの大喧嘩がありました。
 これをつぶさに観察していたローリーですが、
 やはりこの喧嘩を見ていた人とその状況について話したところ、
 ことごとく事実が食い違っていました。
 目の前で見た事件でさえこの始末では、
 遠い昔の真実など分かるはずがないと絶望して、
 それまでの原稿を火中に投じてしまい、筆を絶ったのです。
 この話、人間の目の不確実さの例えとして良く使われますが、
 執筆を止めてしまう辺り、
 ローリーの性格もあるのかな~と思います。
コメント (2)
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