アイドルは普遍的か AKB48は普遍的な魅力があるか (KC)
こちらの記事で、ナッキー氏は、初めて見るNMB48のメンバーが個性的か、という観点で鑑賞しているが、
NMB48のメンバーは、個性的であるに決まっているから、意味のない論評であると思った。
何故か、
AKB48を初めて見た時、個性的だと思ったでしょう
SKE48を初めて見た時、個性的だと思ったでしょう
同じプロデューサーが、同じ方針で結成したのだから、個性的に決まっているじゃん。
まあ、世の中の「アイドルは画一的」という評を、受け入れたくないという正義感は認めるが、(啓蒙主義というべきか)
世の中がどう評価しようと、アイドルというのは、自分の目で確かめるしかない。(孤立主義というべきか)
NMB48の公演で、初めて、AKBグループという言葉を聞いた。SKE48では、こんな言葉は聞いたことがない。
AKBグループは、右翼・保守・伝統・核(アイドルらしいアイドル)から、左翼・革新・創造・遠心力(アイドルらしくないかもしれないけど輝きを秘めているメンバー)を揃えている。
アイドルに限らず、スポーツを含む芸能・文化は、継承すべき核になる「文化としての個性」を確かなものにすると同時に、新たに自ら革新して新しい文化を創造する力が必要なのである。
もしドラに登場した、イノベーションというやつである。
アイドルらしさという核をしっかり拡散させず、アイドルファンの心をしっかりつかみ、
一方で、アイドル文化全体を拡張していく推進力(遠心力)により、それまでアイドルに関心のなかった人を、アイドルファンとして取り込んでいくというサイクルが成立しないと、アイドルファンは増えず、アイドル文化は継承されていかない。
文化の核と、遠心力を見極めることができるのは、その文化を十分に鑑賞しているものでないと難しい面はある。
しかし、その文化自体に魅力があり、どの時代でも、誰にでも魅力的にうつる普遍性があれば、自然に継承されていくし、普遍性がなければすたれていくのである。
私が、NMB48を映画館で鑑賞した際のポイントは、「アイドルに普遍性があるか」のシミュレーションである。
10年後に、このパフォーマンスが、面白いと思われ、客がつくのか。
例えば、私が、病気療養して、10年間アイドルを現場でも映像でも見ることができなかったとする。病気が治り、映画館で、今日と同じ、パフォーマンスを見たら、「やはり、アイドルは、素晴らしい文化だ」と感じるのか。
その時は、どの都市の48が新しいのだろう。
秋葉原、栄、難波、博多で6年、16年活動のAKBグループは、札幌、仙台、広島、新潟と拡大し、プロ野球よりチームが増えているかもしれない。
逆に、30年前の20代の私が、突然デビューしたアイドル16人組を見たとしたら、どう感じるか。
アイドルが時代を超えて、輝くのか、魅力的なのか。
AKB48グループは、2010年前後という時代でしか価値がない存在なのか。
すでに、知っているAKB48・SKE48・SDN48では、こういうシミュレーションを頭の中で行うことはできないが、幸運にも、NMB48は見たことがないので、創造の世界に羽を伸ばすことができる。
結論は、アイドルには普遍性がある、ことをNMB48は証明していた。
アイドルはグループで大勢デビューさせれば、個性を揃えることができるというのは、コロンブスの卵であるが、1970年代、1980年代に、何故、宝塚や、松竹歌劇団の手法をアイドルに応用するプロデューサーが出なかったのか。
おそらく、育成費と、収入のバランスが取れないから。てっとり早く、デビューさせて、儲ける。当たらなければ、次の子をデビューさせる、というのが当時のアイドル界。「使い捨て」批判とかもあった。
そういう時代と比較すると、AKB48は、長期的な視野にたち、アイドル文化を築き、継承していこうという志の高さを感じる。
もちろん、金を儲けないと、文化は継承できない。
短期的な金儲けだけではなく、多くの人がファンになるような、普遍的なアイドルをプロデュースしたところに、AKB48の価値がある。
KC