米軍の日本駐留

2019年10月26日 | 歴史を尋ねる
 日本進駐兵力は第八、第六軍計40万人であった。そのうち第八軍では2師団、翌年初めには1師団が帰国予定。第六軍は、第八軍よりも早期に編成されたので、それだけ復員資格を獲得している部隊も多く、来年前半にはほとんどが米国に帰る筈。結局は、日本占領は米軍復員と共に終了せざるを得ず、その時期は翌年の秋以降になることはないだろう。アイケルバーガー第八軍司令官はそう考え、マッカーサー元帥も同意見に思えた。9月17日、「日本占領の円滑な進展は、その目的のために当初に予想された兵力に思い切った削減を加えることを可能にした」「不測の事態が発生しない限り、日本占領の兵力は今後六カ月以内に二十万以上にはならない、残った兵力は、われわれの意思を保障するために十分に協力なものとなるであろう」と元帥は声明した。

 ワシントンはこの発言に反発した。日本が降伏すると政府幹部の人事異動が行われ、戦時中とは別の着想と構想が必要となった。冷戦によるヨーロッパの政情の不安定さ、アジアも軍事情勢は危機的流動性に満ちている。満州と北朝鮮に進出したソ連軍の動静は不鮮明で、中国では国府軍と中共軍が対立している。陸軍省は、有力は在日米軍の存在がアジア安定のための唯一最大の基礎となる、と判断し、兵力保持に苦慮していた。そこに兵力半減を約束するようなマッカーサー元帥の声明。国務省のアチソン次官は激怒した。元帥は日本占領の本質を全く理解していない、日本占領の根拠はポツダム宣言第六項、「吾等は、無責任なる軍国主義が世界より駆逐せられるに至る迄は、平和、安全及び正義の新秩序が生じ得ざることを主張する・・・」 戦争のない新秩序を確保する手段として、①戦争を国家間の紛争の解決手段とみなす従来の戦争観を改め、戦争を犯罪とする新戦争観を確立する。②ドイツ、日本を戦争不能国に改造する。
 アジア諸国に安心感を与えるためにも、日本の徹底的改造は断行しなければならぬ。それが新戦争観に基づく米国のアジア政策の基軸になる、とアチソン。しかしことは慎重に運ばねばならぬ、日本改造は、一国が他国に干渉してその国を思いのままに作り替えるに等しいい作業、歴史に前例のない政治的テストケースだ。しかも、日本の民主化は一時的なものではなく、定着させ永続させねばならない。日本に無かった民主主義をよほど日本国民に理解させなければ、成果は期待できない。それには適切な手順が不可欠、時間もかけねばならない。それなのに、マッカーサー元帥は、日本占領が政治問題であるとの認識を欠き、米国のアジア政策の足を引っ張る声明を発表した。次官はトルーマン大統領にそう述べると、大統領も同感した。「彼の声明は、とんでもない損害を与えることになる。何という出しゃばりだ」と。

 一方で、マッカーサーはここで本国に帰っても満足できるポストの空きはない、現在の地位を保持続けるのではないかと、アイケルバーガー中将は考えた。
10月2日、総司令部の機構改革が実施された。参謀部が、一般参謀部と特別参謀部とに分かれ、特別参謀部にそれぞれ担当事項を持つ九局が所属することになった。①民政局:中央、地方の政治および行政一般。②経済科学局:経済、産業、科学。③民間情報教育局:教育、宗教、美術、言語、映画、演劇、出版、放送。④天然資源局:農業、林業、水産業、鉱業。⑤公衆衛生福祉局:公衆衛生及び社会福祉。⑥法務局:B、C級戦争犯罪者の調査。⑦統計資料局:占領軍の非軍事面の統計、資料の作成。⑧民間通信局:電信、電話、郵便。⑨民間諜報局:占領軍内部の防諜公安。日本国内の検閲、傍受。警察、消防、刑務所、海上保安行政の指導、監督。この9局はそのまま日本政府の機構に対応した。特別参謀本部の設置は、各省に対する指導による降伏条件履行の促進策でもあった。特に、民政局が重視され、総司令官にたいして四項目について勧告する権限を与えられた。イ、日本政府及びすべての下部組織、行政区画の非軍事化。ロ、地方分権化および地方権限の増大奨励。ハ、人民による政府の出現を妨げる封建的全体主義的慣習の除去。ニ、日本の潜在戦力を持続させ、占領目的達成を妨げようとする政府と実業界との関係の排除。 そして民政局は、日本の民主化に必要な法律、制度を自由に改変する権限を持った。

 そして元帥は中将に折に触れ語るようになった。この占領は三年間はつづくよ、日本が大丈夫だと得心が行けば帰国するが、それにはまだ長い時間がかかるだろう、と。占領に期限はない、日本の民主化が完了すれば占領軍は引き揚げる、とポツダム宣言に規定されているだけだった。戦時中からこの時点までに変遷があるが、占領の終結すなわち講和時期について、米国側には、早く故国に帰りたいという軍人の希望以外には、なんの腹案のなかったことが理解できる、と児島襄氏。

 機構改革に際し、民間諜報局長E・ソープ准将は、総司令部内に回覧した覚書で、「いまや、総司令部の直接命令がなければ、日本国民は諸指令が求めるいかなる屋内清掃(政治改革)の措置を取ることも、無さそうである」と強調した。この観察はおかしいと、児島襄は声を挙げる。米国は日本を非民主国と見定めた。そして、どこをどうすれば民主国に出来るかの方針を策定して、総司令部が次々と指令を連発、日本側はすべてを唯々として実行する。この解釈を裏書きするように、総司令部の動きは活発になった。戦争犯罪人特に政治指導者を対象とするA級戦犯については、9月11日に元首相東條英機ら39人が指名され逮捕されて以来、音沙汰なしの状態が続いていた。11月20日、ドイツでナチスA級戦犯を裁くニュルンベルク国際軍事裁判が開かれ、被告席に並んだ旧指導者は22人。日本では、マスコミがしきりにかっての指導者を弾劾して戦争犯罪人の列に加えるべきだと主張したが、総司令部は沈黙していた。ドイツ事情に照合して戦犯指名は終わりだとの観測が広まった。すると、12月2日、梨本宮守正大将、元首相広田弘毅を含む59人の戦争犯罪人指定が発表された。ついで四日後、さらに9人が指名され、その中には、元内大臣木戸幸一と並んで元首相近衛文麿公爵の名前もあった。合計百七人、旧指導者は根こそぎ逮捕され、さらに皇室にも累が及ぶのではないか、と国民は改めて衝撃を受けた。
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