「民主的再建は主として日本自体の問題」総司令部当局談

2019年10月29日 | 歴史を尋ねる
 巣鴨拘置所に出頭を指定された12月16日の朝、近衛公爵は自決した。公爵の遺言には「戦争に伴う昂奮と激情と、勝てる者の行き過ぎた増長と、敗れたる者の過度の卑屈と故意の中傷と、誤解にもとづく流言蜚語と、是等一切の所謂輿論なるものも、いつかは冷静さを取戻し、正常に復する時も来よう・・・」と。
 公爵の死の五日後、12月21日、総司令部当局談が発表された。「・・・日本の民主化に関する基本的指令は一応出つくした。今後は日本の民主的再建は主として日本自体の問題となっている・・・」 堀切善次郎内相は、日本政府に対するGHQの励ましと受け止めた。指令は出つくした感じだった。①(9月2日)陸海軍解体指令、②(9月10日)言論および新聞の自由に関する覚書、③(9月19日)日本プレス・コードに関する覚書、④(9月22日)日本ラジオ・コードに関する覚書、⑤(9月24日)新聞の政府からの分離に関する覚書、⑥(9月27日)新聞および言論の自由に対する追加措置に関する覚書、⑦(10月4日)政治的、公民的および宗教的自由に対する制限の撤廃に関する覚書(自由の指令)、⑧(10月22日)日本の教育制度の行政に関する覚書、⑨(11月6日)持株会社の解体に関する覚書(財閥解体指令)、⑩(11月18日)皇室財産に関する覚書、⑪(12月8日)制限会社の規制に関する覚書、⑫(12月9日)農地改革に関する覚書、⑬(12月15日)国家神道に対する政府の保証、支援、保全、監督および弘布の廃止に関する覚書。
 これらで、日本の政府、経済、教育、宗教、思想など社会全般にわたる旧体制の破壊が行われた。ポツダム宣言第12項は、降伏条件が履行され、日本国国民の自由に表明せる意思に従い平和的傾向を有し且つ責任ある政府が樹立されれば、占領軍は撤退する、と規定している。日本民主化という降伏条件を実施するために必要な指令は、現在実行中で、後は自由で平和で責任ある政府が誕生すれば、占領は終わりになる。ゆえに自由で民主的な選挙をおこなえばよい、総選挙だ、と堀切内相は考えた。内相は内閣発足した二日後、10月11日、閣議に選挙法改正方針を提議し、了承を得た。

 「選挙年齢の引き下げ」「婦人参政」「大選挙区制」・・・などの内容であり、とくに「婦人参政」は米国でも実施されていない画期的なものであった。同じ日、幣原首相がマッカーサー元帥に会い、その婦人参政を含む「五大改革」を指示されたとき、泰然として受諾を回答したのも、すべて先取りする用意が出来ていた。その後、作成された選挙法改正案は、11月27日、開会した第89臨時帝国議会の冒頭に提出され、12月15日に議会を通過し、17日に公布された。その翌日、政府は衆議院を解散し、19日総選挙スケジュールを定めた。ところがこの予定表を総司令部に伝えると、選挙日程の発表を禁止された。選挙中止が指示されるのかと緊張していると、改正選挙法の英訳文の提出が求められ、続いて冒頭の「総司令部当局談」が発表された。「彼等も総選挙の早期実施を希望している。早目に帰国したいのだ」、堀切内相はそう感じ取った。
 松本烝治国務相は、総司令部当局談を憲法改正を促す黙示と理解した。政府は10月27日、「憲法問題調査委員会」を発足させていた。委員長:松本国務相。顧問:美濃部達吉東京大学名誉教授、野村淳治同名誉教授、清水澄枢密院副議長。委員:宮沢俊義東京大学教授、河村又介九州大学教授、清宮四郎東北大学教授、次田大三郎内閣書記官、楢橋渉法制局長、入江俊郎法制局次長、佐藤達夫法制局第一部長。ふーむ、当時の錚々たるメンバーだ。 日本の民主化を永続させるべく米国側が憲法改正をせまるのは必至とみられ、また、日本としても、民主的改革に見合う憲法の改正は必至と判断された。ただし、憲法改正は格別急ぐ必要がないというのが、政府および委員会の見解であった。「あらかじめ時期をかぎって、政治的に急いでおこなおうというなら、自分は委員を辞職したい」(美濃部達吉)、「内はともかく外から要請があった場合、いつでもこれに応じ得るように、切実にやむを得ないと思われる条項を深く掘り下げてゆかなければならない」(松本烝治)、「そりゃあ、ポツダム宣言を受諾した以上は明治憲法みたいに勇ましいのはダメでしょう。しかし、駄目だとわかっていても、人間の頭というものは一足飛びに進むものじゃない。せいぜい、吉野作造的デモクラシー、美濃部達吉的リベラリズムといったところでしてね」(宮沢俊義)、その美濃部達吉は、憲法改正の基本方針に関する意見書をまとめ、新日本を建設し民心を一新するためには、部分的改正よりも新憲法の制定に着手すべきだ、と強調した。では、どのような新憲法にするかといえば、美濃部の意見は、結局、旧憲法の部分的手直しを提議するにとどまった。

 松本国務相も委員たちも、憲法改正を無用だとは考えていない。ただ、新憲法の制定またはそれにひとしい大幅な改定をしなくとも、部分的修正によって民主日本の法的枠組みを規定することは可能だ、と判断していた。大日本帝国憲法の根幹は、天皇制という立憲君主制度を定めた点にあり、他の条項もすべてそこから派生している。権威の象徴ではあっても支配者ではない立憲君主の下での政治改革は可能であり、立憲君主制を共和制に変えなければ民主化が出来ないものではないから。議員たちの間にも、天皇制保持の声が高かった。
 斉藤隆夫議員(日本進歩党)「如何に憲法を改正するとも、之によって我が国の国体を侵すことは出来ない。統治権の主体に指をふれることは許されない」
 鳩山一郎議員(日本自由党)「わが日本に於て天皇が統治し給うということは、国民の血肉となっている信念である」
 北昤吉議員(日本自由党)「日本的民主主義とは、君民同治あるいは君民共治主義にほかならない」
 松本義一議員(貴族院)「天皇制廃止などという文字を見るだけでも、不快千万である」
松本国務相は、この世論に逆らって天皇条項に手を触れたら非常な論議が起る、と確信した。そこで、他の条項を改正することによって憲法の民主化を図ることにし、かつゆるゆると作業を進めて来た。だが、社会の改編を指令した後の総司令部当局談、とくに日本自体の問題だという表現は、警戒感を誘発した。革命の呼びかけでなければ、国家の基本法である憲法に対する介入を示唆し、それが嫌なら早く民主的に改正せよ、と催促しているようにも思えた。松本は、年内に各条項の改正に必要な検討を終えることにし、総括的検討のために天皇条項も対象に含めた。
 
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