老師の撞かれる6時の梵鐘、早朝は少し涼しくなったのでしょうか、
すべての戸が開かれた広い禅堂は、すがすがしい風が通ることも。
今朝の仲間は、男4、最近は入られた一人をいれて女4名。
梵鐘の音と老師の般若心経の読経、時に入る手を打つ音、
格別響く朝です。
しばらくして堂に戻られた老師は「検単」、
そして今月も「警策」をいただいた。
スタート前に師の語りが始まる
「お盆、立秋を過ぎ季節は移ろいます「無常迅速」。
(人の世の移り変わりがきわめて速いこと)年月は人を待たず。
先日バトミントン世界一位の「山口 茜さん」の記事を見て
嬉しい思いをしましたので、皆様にも味わっていただきたい。
「私は今まで趣味のバトミントを楽しんできた、しかし、試合会場へ入ると、
設営をで汗を流す人、隠れた仕事をしている人、応援してくれる人、
教えてくれる人、競い合ってくれる人、
等すべての人々に支えられている私がいました、
趣味で有ったバトミントン、この競技を私は「感謝と喜びの競技にしたい」
これが22歳になった私の今日の喜びです。」
山口茜さんは、郷里、勝山から世界へ飛び出してくれた、ともに喜びたい、
この生き方は、それぞれにとって大きな刺激として
切磋琢磨して追いつけ、追い越せ、「無常迅速」、
すぐ変わる世の中の現状、こうした人が世界レベルで頑張っていること
皆様もこれからの生きる目標にしていきたいものです。
こうして「坐る坐禅」この行為の中にも同じことが言え、
日々の生活にもあるはず、人生の参考として味わいたいものです。
そうした意味で最初の「警策」をさしあげた。
ここで小鐘3つ正式のスタート、すでに時計は17分すぎ。
しばらくして、皆様には先月例会で宿題を差し上げています。
「両の大拇指、面いて相拄う」両手の親指を自然に合わせる所作
(法界定印を結ぶ)。
各々に付いて相対するこの関係は、どのように解釈するのか、
簡単に出せる答えでは有りませんが、命の有る限り人生をかけて答えを出してほしい。
「両の大拇指、面いて相拄う」私にとってこのことはどういう事なのか、
こんな問題はいずこの本にも乗っていません、
私が作った問題(公案)です。
ヒントは坐禅を続けているとある日忽然とあらわれてくることでしょう。
どうか力いっぱい正気を詰めて、
感謝と喜びをしつつ、坐の姿を表現してください。」と結ばれた。
この後は無言の世界。
静寂の禅堂では、微かに聞こえるキリギリスの羽音、しばししてアブラゼミ合唱、
ひよどりの鳴き声、世の中が動き出したのでしょう。
予定の1炷が長かったのか、隣人が足を組み替える様子、
見ないけれど見える。
そして待ちに待った小鐘1つ、終りである。
皆は、座り始めて50分となりました。
今朝の義宣寺近景。
なにか始まっている。