お盆も終わり、なんと無く早朝はスガスガがしい。
早起きも苦でない季節。
午前6時の時梵鐘と、老師の般若心経の読経は、
開け放された、禅堂に大きく届く。
仲間はすでに坐に着いている。
小鐘3つは、正式坐禅のスタート。
「いつも申すことですが・・・」と、老師の坐中の語り。
こうして坐ることは、座ってどこへ行くのでしよう。
静かな世界に入る、
すなわち坐禅とは、「坐定」のことです。
静かな世界に入る条件は3つ、
一つは「坐姿」を整えるのです。
坐姿は足を組みその上に乗せた手のひらを法界定印に結び、
背をピンと伸ばし、・・・目はすべからく開くべし、すなわち閉じない
、見つめるところは、身のかまえ、坐姿が崩れていないか、
無理がかかっていないかを見つめる。
二つ目は、呼吸、鼻息かすかに通じ、とは「確かに」通じる。
三つ目は、意識(心)は、時間によりいろいろと飛び交う、
多くの妄想を手のひらに戻す。
これに集中するのです。
意識を手の平に置くとは、「集中すること」を意味します。
それぞれの日常生活で起こる物事、それぞれに集中する力を
自分の体に覚えさせる訓練と思えば・・。
こんな経過の中で改めて坐姿を点検することを繰り返す。
難しいけれど妄想など起こりえない。
そのようになれるよう、「坐姿・呼吸・心」への意識の連続・繰り返しが大切。
(しばらく静かに坐ります・・・無言20分)
再度、始まるお話し。
生きている生活の中で、いろいろなことが起こる、そうした事象に対して、
「ある大きな力の中で生きている」事を意識したことありますか。
生きているときには、いろいろなことが起こるのは当たり前、その何れもが、
ある大きな自然の力の中での小さな動きだ、
と意識してみてはどうですか。
各自が、自由に生きていける事を許される力を感じて、喜びたいものです。
「坐禅は」、こんな大きな力を感じる機会でもあるはずです。
今年もお盆を過ぎ半分終わりました。
毎月こんな機会を得られる事をお互い喜び、
精進したものです。と結ばれた。
この後小鐘2つ、すく立ち上がり10分間の「立禅・歩行禅」、
不思議なことに1烓坐った直後でも、
足の痛さを感じなかったのは不思議。