11月12日、クルド軍はミスタヌールの丘をISISから奪回した。丘の上にYPGの姿が見えた、とネットに報告された。クルド軍の反撃の象徴となった勝利について、I.B.Timesが書いている。
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《クルド、 ミスタヌールの丘を解放》
クルド軍がミスタヌールの丘とそのふもとを走る道路をISISから奪回した、とコバニの役人イドリス・ハッサンがロイターに電話で話した。「ISISはこの道路を通って、援軍と弾薬をコバニに運んでいる。ISISが市内を砲撃をできなくなくするように、我々の軍は市の外縁部にある敵の陣地を攻撃している」。
ミスタヌールの丘からは、市内にはりめぐらされている全ての道路を一望できる。ISISはこの丘の上から迫撃砲を市内に向けて撃っている。ミスタヌールの丘はコバニ制圧をめざすISISに、戦略的な利点を与えている。
米国主導の有志連合は9月以来コバニのISISを繰り返し空爆した。英国のシリア人権監視団の報告では、空爆による死者は865人であり、50人が民間人である。また死者の中に68人のヌスラ戦闘員がいた。
(全文) Kurdish YPG Fighters Liberate Strategic Mistanour Hill in Battle for Kobani/ By Jack Moore
November 12, 2014
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10月19日米軍から武器・弾薬の補給があり、11月1日イラクのクルド部隊(ペシュメルガ)が重火器と共に到着し、クルド軍は抵抗を継続することが可能になった。ペシュメルガが持ってきた重火器の量はわずかであり、ISISの優勢は変わらない。米空軍の援護により、クルドは何とか持ちこたえるができるという程度にすぎない。しかしクルドは果敢であり、積極的に反撃に出た。11月16日にはISISの陣地に攻め込んで、ISISの武器と弾薬を手に入れた。
ミスタヌールの丘の勝利の後、クルドは市内のISISに対しても攻勢をかけ、保安地区の近くにある6つの建物を奪取した。これらの建物はこの保安地区周辺を支配するISISの戦略的拠点となっていた。
10月10日に保安地区を失った時、クルドはもう終わりか、と思われた。保安地区にはクルド政府の役所が集中しており、またYPGの本部があった。保安地区の北に接する6つの建物の奪取によって、クルドは保安地区の支配を回復した。これもクルドの反撃を象徴する勝利だった。
勝利後、クルドの兵士はISISが残した大量のRPG、銃、機関銃の弾薬を獲得した。
<ISIS、すかさず反撃>
11月半ばのクルドの反攻はめざましかったが、ISISは黙って引き下がらなかった。クルドはミスタヌールの丘を維持できず、4日後にISISに奪われてしまった。ただし丘の一角に踏みとどまり、丘の争奪戦は翌年の1月19日まで続く。
ISISは保安地区の拠点である6つの建物も取り戻そうとしたが、クルドに撃退された。
この間、ISISは多くの戦死者を出した。クルドのネット・ニュースARAが11月17日に伝えている。
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《ISISの司令官が死亡》
10月16日の戦闘で28名のISISが死亡した。その中には2名の指揮官が含まれる、とYPGが発表した。死亡したISISの2人の司令官はアブ・アリ・アスカリとアブ・モハメド・マスリである。この2名はコバニ作戦を計画した中心人物である。
YPGは自由シリア軍に属するブルカン・フラト旅団とペシュメルガの重火器による支援があり、いくつかの地区の奪回に成功した。市内の接近戦で敗れたISISは、市内に向けて砲撃を開始した。
コバニの野戦病院で援助活動をしているフェラス・ハムザがARAニュースに電話で次のように伝えた。
ーーISISに勝利した後、YPG、ペシュメルガ、自由シリア軍の兵士たちは地区の街路を自由に歩きまわている。ISISは遠くから市内に砲撃しており、民家が破壊されている。
YPGと親しい人が、コバニ戦を指揮してきたISISの司令官の3人目の死亡を、ARAニュースに知らせてきた。ーーセレカニエの郊外の村マブルーカを根拠地にしている司令官アブ・ハティブがYPGの待ち伏せにあって殺害された。殺された場所はセレカニエの南西30㎞にあるタル・バクルという村である。ハティブと一緒にいた仲間も殺された。
(原文) Islamic State’s commanders killed in Kobane
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アブ・ハティブ・クルディはイラクのハラブジャ出身のクルド人で、「クルドと戦うクルド人ISIS司令官」として注目された。ISIS系のサイトが彼にインタビューをしている。ARAニュースも殺された3人の司令官のうち、彼の写真だけを掲載している。彼はコバニ戦に参加していたが、根拠地のマブルーカ付近で、YPGに襲撃された。
9月末-10月上旬、クルドは防戦一方でじりじりと追いつめられていた。10月下旬になるとクルドは逆攻勢をかけるようになり、情勢は一変した。しかしクルドはISISを完全に押し返したわけではない。ISISはしぶとく支配地に踏みとどまろうとしており、戦闘が続いている。
次の地図で、ISISの支配地が戦場となっていることがわかる。
これまでISISの支配地域だった部分(黒色)に、クルド支配地を示す黄色が重なっている。クルドが南部のISISを攻撃していることがわかる。
クルドは東部の奪回を後回しにした。南部の方が戦略的に重要だったからである。勝利が決定した1月24日の地図を見るとそれがはっきりする。南部を制圧することで、東部のISISは立ち枯れになった。
<戦場では予測しないことが起きる>
戦線がISIS支配地に移り、クルドの方に勢いがあったが、戦場は予測がつかず、クルドの優勢も水の泡になりかねないことが起きた。コバニ包囲の輪は北側が開いており、ISISは輪を完全に閉じようと、これまで何度も越境地点を攻撃したが、すべて失敗した。今度はISISは新たな攻撃法を用いた。ドイツのシュピーゲル紙が書いている。
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《ISIS、トルコ側からコバニを攻撃》
シリアの国境の町コバニは、この一週間激烈な戦場となった。イスラム過激派ISISはコバニ包囲を完全なものにしようと試みた。その際彼らは初めてトルコ側から攻撃した。
朝コバニの北側の国境付近でISISが自爆攻撃をした。それに続き今度は爆発物に点火した。2度の爆発とその後の戦闘により、30人以上が死亡したようだ。英国人権監視団はISISの死者21名、クルドの死者9名と報告している。
国境のシリア側はクルドが防衛しているので、ISISの自爆攻撃者たちはトルコ側から国境に近づいた。コバニのクルド政府の広報官のナワフ・ハリルは次のように述べた。「これまでISISは3方角から攻めてきたが、今日は4方角からせめてきた」。
周辺で観察しているジャーナリストたちは、コバニとムルシトピナル(トルコ側)の国境付近一帯で激しい銃撃戦の音がするのを聞いた。
ISISはムルシトピナルの穀物貯蔵庫(サイロ)を占拠し、そこから国境の向こうのクルド兵に向かって銃撃した。クルドのテレビ局は穀物貯蔵庫の周辺にいるISIS兵の姿を放映した。トルコ政府はこの件について、口を閉ざしている。
ISISがコバニ攻撃を開始してから、2か月になる。現在彼らは、コバニ市の東部と南部を占領している。YPGとイラクのクルド軍(ペシュメルガ)が市の北西部を守りぬいている。
トルコ側からクルド軍を攻撃することにより、ISISハコバニの北部に新しい戦線を開いた。
原文)Schlacht um syrische Grenzstadt: IS-Kämpfer greifen Kobane aus der Türkei an
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