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第4巻1章

2022-09-04 01:20:42 | 世界史

  《リヴィウスのローマ史第4巻》

  Titus Livius   History of Rome

      Benjamin Oliver Foster

【1 章】

翌年の執政官は M・ゲヌキウスと C・クルティウスだった。この年は国内も外国との関係も波乱に富んでいた。年初に護民官の C・カヌレイウスが貴族と平民の間の婚姻を可能にする法案を提出した。貴族はこの法案に反対した。貴族の血が汚され、各家族の特権が弱まる、と彼らは考えた。また護民官は執政官の一人を平民から選ぶという考えを述べた。事態はさらに進み、9人の護民官が「貴族と平民に関係なく、平民が望む人物が執政官に選ばれるべきだ」と提案した。貴族は慌ててた。「もし最下層の市民が最高権力を共有するなら、権力は国家の主要な人々から平民の手に移り、権力の質が低下するだろう」と彼らは考えた。

ちょうどこの頃、係争地についてローマが不当な裁定をした結果、これに不満を持ったアルデアが反乱したが、元老院は心配する気になれなかった。ヴェイイがローマの国境地帯に侵入した。ローマがヴェツルゴ(ヴォルスキの町であるが、ローマに奪われた。位置は不明)を要塞化したことに対し、ヴォルスキとアエクイが抗議した。彼らはたとえ敗北するとしても、屈辱的な平和より戦争を選ぶぶつもりだった。これらの動きについて、やや誇張された報告を受け取ると、元老院は多数の戦争が引き起こす混乱によって護民官の声をかき消す良い機会だと考え、徴兵を命令し、次のように付け加えた。「全力で戦争の準備をせよ。クインクティウスが執政官だった時のように、できればそれ以上に、しっかり準備せよ」。

これに対し、護民官カヌレイウスが怒りの言葉を投げつけた。

「執政官は我々の法案から平民の目をそらすために戦争の脅威をあおっているが、そんなことをしても無駄だ。私と同僚の法案を採用しない限り、平民は徴兵に応じない。私が生きている限り、徴兵はさせない」。

カヌレイウスはすぐに市民集会を開いた。

【2章】

執政官は元老院に働きかけ、護民官を抑制しようとした。一方護民官は執政官に対する抗議行動を組織した。執政官は元老院で発言した。

 「護民官の革命的な行動を取り締まるべきだ。状況は最悪であり、国家の危機だ。国内の戦争は対外戦争以上に激烈になるだろう。内戦の原因は元老院ではなく平民にあり、執政官ではなく、護民官にある。市民の種々の性格の中で最も発展するのは国家が推奨する性格である。平和な時代に市民は善良になり、戦時において市民は勇敢になる。ローマでは、市民は抗議行動や反乱によって最も報償が得られる。こうした行動は常に個人または大衆に名誉をもたらした。元老の方々は父祖から受け継いだ元老院の偉大さと威厳を思い起こし、何を子供たちに残すべきか、考えなければなりません。貴族の子供たちが元老院の影響力の拡大と強化に誇りを持たななければなりません。今では平民の子供たちが自信を持ち始めまています。平民との争いが終結する見込みはありません。護民官の煽動が成功し、護民官はますます賞賛されている。カヌレイウスはなんと恐ろしい提案をしただろう。彼は家族の破壊を主張している。彼は元老院と家族の神聖な伝統を書き換え、国家と個人の精神を変えようとしている。そんなことになったら、純粋な精神は残らず、すべてが汚染されるだろう。階級の区別が消滅すれば、自分と親類が何者なのか、わからなくなる。貴族と平民の婚姻は動物の雑婚と同じ結果になるだろう。このような結婚から生まれた子供はどのような血が自分の血管を流れているわからないだろう。彼は半分貴族で半分平民なので、神聖な儀式をできないだけでなく、自分が分裂していることに悩むだろう。煽動を得意とする連中にとって、人間に関すること、神聖なことのすべてが混乱してもたいしたことではない。その結果彼らは執政官の制度を総攻撃している。最初執政官の一人を平民から選ぶという考えが私的な会話で生まれた。それが今では、平民であるか貴族であるか区別せずに執政官を選ぶという法律を制定しようとしている。そして何のためらいもなく、平民の中で最も危険な革命家を執政官に選ぶつもりでいる。カヌレイウスやイキリウスのような人物が執政官になってしまうだろう。しかし最高神ユピテルは国王と同等の威厳を有する官職が下落するのを許さないだろう。このように忌まわしい行為を許すくらいなら、我々全員が死んだほうがましだ。我々の先祖が平民に譲歩したのは彼らが友好的になるだろうと期待したからだ。譲歩が彼らの要求を増やす結果になるとは予想していなかった。最初の成功により平民は大胆になり、さらに多くのことをしつこく要求するようになった。彼らの法案の制定を許したなら、彼らの行動がどこまで行くかわからない。繰り返して言う。最初我々の先祖は護民官に関することで譲歩したのだが、さらに譲歩することになり、終わりがなかった。護民官と元老院は両立できず、どちらかが廃止されねばならない。護民官の横暴と無謀な振る舞いを終わらせなければならない。時間がかかっても、このようなことは終わらせなければならない。護民官は不和の種をまき、隣国に戦争の機会を与え、ローマの徴兵を妨害した。このようなことを許してよいだろうか。敵を呼び込んで、自国の防衛を邪魔する人間は、ローマ人ではない。カヌレイウスはまるで勝利者のように元老院に向かって宣言するだろう。「もし私の要求が実現しないなら、私は徴兵を妨害するだろう」。

これは国家を裏切る行為であり、ローマが攻撃され、占領されるだろう。彼は平民を励ましているだけでなく、ヴォルスキ、アエクイ、ヴェイイに勇気を与えているのだ。もし護民官が元老院の権利と威厳を奪うことに成功したら、これらの国の軍隊がカピトールの丘に登り、要塞に侵入するだろう。犯罪的な平民によってローマが敵国の手に渡される前に、執政官が元老の指導者となり、犯罪集団を倒さなければならない」。

【3章】

元老院でこのような議論がされていた時、カヌレイウスは民会で演説し、自分の法案を弁護し、執政官を批判した。

「市民の皆さん! 貴族がいかにあなたがたを軽蔑しているか、私はこれまで何度も見てきた。平民はローマに住む資格がない、平民と同じ城壁の中で暮らすのは嫌だ、と彼らは思っているのです。我々の法案に対する彼らの反対の激しさを見れば、これは明らかです。我々が新しい法案を作成したのは、平民が貴族と同様にローマ市民であることを、彼らに知らせるためです。我々は彼らと同等の権力を持っていないとはいえ、我々は彼らと同じ国に住んでいる市民です。現在提案している法案の一つは貴族と平民の結婚を可能にします。現在平民は隣人や隣国の子女と結婚できるのに、貴族の子女とは結婚できない。ローマは外国人に市民権を与えており、征服された敵にも市民権を与えてきた。市民権は結婚の権利より重要だ。この法案は新しいことを要求しているわけではなく、人民に所属するものを取り戻そうというものだ。つまり賞賛に値する市民に栄誉を与える権利を取り戻すのだ。そもそもどんな理由で、彼らは貴族と平民を対立させるのだ。先日私は元老院の建物の中で暴力を受けそうになった。なぜ彼らは我々を脅迫し、不可侵の権威を攻撃しようとするのだ。もしローマの平民に自由な投票権が与えられ、信頼する人物を執政官に選ぶようになったら、この国は存続できず、ローマの覇権は終わる、と彼らは考えている。平民に最高の官職を得る道が閉ざされず、それにふさわしい人物であれば平民であっても最高の栄誉を与えられることが、国家にとってそれほど危険だろうか。『平民を執政官にしてはならない』というのは平民は奴隷や解放奴隷と同じで、執政官になってはならないということではないか。彼らは平民をどれだけ馬鹿にしているだろう。彼らは平民から日光さえ奪いたいのだ。平民が呼吸し、言葉を話し、人間の姿をしていることが、彼らには我慢ならないのだ。いったいなぜだ。彼らは実際に言った。『平民が執政官になることは神々に対する冒とくだ』。我々平民はファスケス(斧と棒の束、斬首と棒打ちの刑の道具)に近づくことができず、大神官が保管する記録を読むこともできないが、執政官という地位は国王に代わるものととして生まれたことを平民は知っている。これは外国の人間も知っている。だから昔の国王が持っていなかった権限を、執政官も持たない。皆さんは知らないかもしれないが、ヌマ・ポンピリウス(第二大国王)は貴族ではなく、ローマ人でさえなかったが、サビーニの土地から招かれ、ローマの人々に受け入れられ、元老院に承認され、ローマの国王になった。その後 L・タルクイヌス(第5大国王)もローマ人でないだけでなく、イタリア人でさえなく、コリント人のデマラトゥスという人物の息子だった。デマラトゥスはエトルリア人の町 タルクイニアに移り住んだ。彼の息子タルクイヌスはそこで育ち、後にローマの国王になった。第4代国王アンクスの息子たちが生きていたのに、彼は国王になった。彼の次の国王セルヴィウス・トゥッリウスはコルニクルムで捕えられた女奴隷の息子だったが、功績と能力により国王の座を獲得した。

(日本訳注:コルニクルムはアルノ川の北にあり、ラテン人の町。第5代国王タルクイヌスが征服した町の一つ)

 

言うまでもないが、建国の父ロムルスの共同国王となったティトゥス・タティウスはサビーニ人だった。

国王が排除されてからも、有為の外国人に門は開かれていた。実際にクラウディウス家はサビーニの土地からローマに移住し、市民権を得ただけでなく、貴族になった。よそ者が貴族になり、執政官になれるのに、ローマ人である平民が執政官になれないというのはどういうことだろう。

戦時と平時に平民は勇敢でなく、行動力がなく、無能だということだろうか。それとも、勇敢で有能な平民であっても国家のかじ取りの仕事には就任できないということだろうか。そのどちらでもなく、彼らは最悪の人間を特に選んで執政官にしているのだろうか。そのよい例は10人委員だ。最善の国王に匹敵する平民より、10人委員のような貴族のほうが執政官にふさわしいのだろうか」

【4章】

カヌレイウスは話を続けた。

「これまで平民が執政官になったことはない、と彼らは言うかもしれない。それはつまり、いかなる革新もしてはならないということか。しかし我が国は新しく、まだ重要なことが実現していおらず、新しい社会ではそのほかにも多くの課題があり、有利な時にこれらの課題を実現すべきではないか。ロムルスの時代には神官も占い師団もいなかった。これらの神職を創設したのはヌマ・ポンピリウスだった。百人隊と身分を登録することもなかった。これらの登録を始めたのはセルヴィウス・トゥッリウスである。執政官の職はなかった。王政が廃止されてから、執政官が新設されたのである。絶対的な権力を行使する独裁官の制度もなかった。これを創設したのは元老院である。護民官、副護民官、副執政官もいなかった。これらの地位も新たに創設された。最近10年においても、法律を文章にするため、10人委員が任命された。成文法の完成後、10人委員の職は廃止された。永遠に存続し、成長を続けるローマが新しい官職を必要とすることは疑いない。新しい神職が必要だし、市民個人の権利だけでなく家族の権利も修正が必要だ。貴族と平民の結婚の禁止は国家に重大な損害を与え、平民にとってさらに大きな不正ではないか。これは数年前の10人委員に劣らず有害だ。市民の多くが別の身分との結婚にふさわしくない、それは別の身分の血を汚すとみなされていることは重大で、耐え難い恥辱である。これは城壁の中で追放され、亡命していることだ。貴族は平民と親しく結びつくことを嫌い、特に血の結びつきをおぞましく思っている。大部分の平民はアルバ人かサビーニ人の子孫だ。その点では貴族も同じだ。最初は平民だったが国王によって選ばれ、貴族となり、共和制になってからは、平民は市民の信任によって貴族になった。貴族が平民と結婚すると貴族の血が汚れるなら、法律で禁止すべきなのに、単に慣習でこれを禁じてきた。貴族は平民の娘と結婚せず、娘や姉妹を平民と結婚させないようにしてきた。平民は貴族の娘に暴行を加えなかったが、貴族は平気でこのような罪を犯した。誰も本人の意思に反して結婚を強制できないはずである。だからこのことを法律に定めるべきである。とにかく貴族と平民の結婚を禁止することは平民に対する侮辱である。金持ちと貧乏人の結婚をなぜ禁止しないのだ。どこの国でも、いつの時代でも、女性はいかなる家族の男性とも婚約し、結婚してきた。男性も同様だ。我が国の貴族はこのような常識に手錠をはめ、ふたをしている。こうして彼らは社会を破壊し、国家を二つに分断していている。どうして平民は貴族の近所に住んではならないという法律を制定しないのだろう。あるいは同じ道を歩いてはいけないとか、同じ宴会に出席してはならないとか、同時に中央広場にいてはいけないとか、これらのことを法律にしないのはなぜだろう。貴族は平民の女性と結婚してはならないとか、平民は貴族の女性と結婚婚してはならないというのも、これらのことと同じではないか。いったいどんな権利が侵害されるというのだろう。もちろん子供は父親に従うので、不都合なことはない。異なる身分間の結婚禁止に我々が反対する唯一の理由は、平民は貴族と同じ人間であり、同じローマ市民であるからだ。貴族が平民をどれだけ見下し、侮辱することができるか試して喜ぶのをやめれば、平民との争いはなくなる」。

5章】

カヌレイウスは話を続けた。

「一言で言えば、最高の権力がローマ市民に所属するか、という問題だ。王政の廃止により、市民に権力が移り、全員が平等になったのである。市民が望む法律を作るのは正しく、適切ではないか。市民が法案を提出すると、貴族の代表がこれを犯罪とみなし、罰として徴兵を命令する。これでよいのか。私が部族集会に採決を求めようとすると、すぐに執政官が兵役の義務がある市民に忠誠を誓わせ、陣地に向かって出発させる。このような方法で執政官は平民と護民官を脅す。しかし一度ではなく二度、このような脅しが平民の団結を前に無力であることが判明した。これをよく理解してほしい。平民が正面衝突を避けたのは自分たちの利益のためではない。強い側が自分を抑制すれば、争いが起きないのだ。これは現在の対立についても当てはまる。市民の皆さん、彼らはいつもあなた方の勇気を試しているが、あなた方の強さを試そうとはしない。執政官殿、お聞きださい。現実の戦争であれ、平民の関心をそらすための架空の戦争であれ、平民はあなた方の命令に従い従軍するでしょうが、これには条件があります。それは異なる身分の間の結婚の権利を復活させ、我が国を一つにまとめ、平民が婚姻の結びつきにより貴族の同盟者となり、能力と活力ある者は高官の地位が得られ、貴族と一緒に政府を運営できるという希望を持てるようになることです。これが平等な自由の本質であり、一年ごとの高官の交代により、支配と従属が入れ替わることでそれが保障されるのです。

ただし、これには条件があります。もしこのやり方を覆す者がいたら、たとえ元老院や執政官が戦争の切迫について語り、誇張された脅威について噂を流しても、誰も徴兵に応じないし、武器を取って戦場に向かおうとはしません。政治において平民と名誉を分かち合おうとせず、日常生活で平民との結婚を拒否し。威張り散らす主人のために戦う者はいません」。

【6章】

カヌレイウスの長い演説の後、市民集会に出席していた執政官が型どおりの演説をした。これに対し、護民官が論争を挑んだ。「平民が執政官になれない理由を言ってほしい」。

執政官は次のように答えた。「平民は神々の助けが得られないからだ。10人委員が異なる身分間の結婚を禁止したのは、身分の卑しい者の不確実さにより神々の保護が減少するのを防ぐためだ」。

執政官の答えはたぶん正しかったが、カヌレイウスの演説の後では、理解されなかった。執政官の説明を聞いた平民は心の底から怒った。不死の神々は平民を嫌っているので、平民は神々の守護を得られない、というのであるから、怒って当然である。現在の護民官の一人は最も活動的であり、平民から絶対的に信頼されていたので、貴族はこの論争で敗北した。貴族は平民との結婚を許す法律の制定を受け入れた。この譲歩により、護民官はもう一つの要求を取り下げるだろう、と彼らは期待した。もう一つの要求とは平民も執政官なれるようにすることである。この要求を取り下げないまでも、戦争が終わるまで延期してくれればよかった。平民が貴族と結婚できるようになったことに満足し、兵員招集に応じてくれればよかった。貴族に勝利したことで、カヌレイウスの人気は絶頂に達した。これに刺激され、他の護民官たちは他の法案の実現に向けて邁進(まいしん)した。戦争の噂がますます切迫していたにもかかわらず、彼らは日々徴兵を妨害した。また彼らは元老院の会議を妨害したので、執政官は自分の家で指導的な元老たちと協議した。彼らは敵国だけでなく、国内の敵も相手にしなければならなかった。ヴァレリウスとホラティウスは執政官を輩出する家族に属していたが、執政官の家での会議には欠席した。執政官の家での会議では、C・クラウディウスが護民官に対し武力を行使する権限を執政官に与えることを提案した。クインクティス家の元老たち、特にキンキナトゥスとカピトリヌスの二人は護民官の殺害や傷害に強く反対した。貴族は護民官の不可侵性を正式に認めていたからである。協議の結果、執政官の権限を有する副司令官を新たに選ぶことにした。そして平民であっても選ばれる資格がある、とした。

―――――――(日本翻訳注)――――

執政官の家で協議した元老たちは執政官を廃止せず、とりあえず空位として、執政官相当の地位を新設した。これが「執政官の権限を有する副司令官」である。副司令官という地位は既に存在したが、目立たない存在であり、貴族に挑戦した子もなかった。最初の執政副司令官に選ばれたのは全員貴族であり、それ以後も全員貴族または多数が貴族だった。執政副司令官の人数は最初3人だったが、その後4人になった。この制度は紀元前444年に始まり、紀元前367年まで続くが、この期間毎年執政副司令官が選ばれたわけではなく、執政官の制度に戻った年も多かった。副司令副官が執政官を兼任したわけではなく、執政副司令官と副司令官は別者である。最後に副司令官についてもう少し説明する。副司令官は意訳であり、原語はトリブヌス・ミリトゥム(英語ではミリタリー・トリビューン)であり、直訳は「兵士の長」である。しかし兵士の長と言っても彼らはは最高指揮官ではなく、国王または執政官に従属した。王政期前半、ローマには3つの部族しかなく、それぞれの部族がローマ軍に指揮官を派遣していた。これらの指揮官はそれぞれの部族の兵士の代表だった。第6代国王が市民を6段階に分類し、それぞれの段階が供出すべき百人隊の個数を定めた。6代国王の徴兵方式により、「兵士の長」は部族の代表ではなくなり、司令官の補佐官に移行したようである。共和政初期の紀元前495年に部族の数が21に増えたが、これも移行を加速した。いつから兵士の長が部族の兵士の代表でなくなったのか、正確にははわからないが、紀元前5世紀の前半には、「兵士の長」は司令官(執政官)の補佐官に代わっていた。補佐官は現代の参謀に似ているが、作戦の立案に深くかかわる参謀に比べて、あまり重要ではなく、明確な役割はなかったようである。

――――――――――――――――翻訳注終了)

指導的な元老たちの決定は護民官と平民の両方を満足させた正式。市民集会の開催と3人の執政副司令官の選挙が決まり、正式に発表された。すると、平民の反乱を煽動したり、実際に反乱を起こした連中、特に護民官経験者たちが、新しい最高官の候補者に名乗りを上げ、足早に中央広場を動き回り、選挙運動をした。一方で貴族は立候補をためらった。平民は自分たちの階級の最高官の誕生を熱望していたので、貴族は当選しそうになかったからである。仮に当選したとしても、同僚が平民となるので、彼らは気が進まなかった。しかし貴族が最高官の職を平民と分かち合うのを嫌がっていると受け止められるのを恐れて、指導的な貴族が数人の貴族に立候補を強いた。選挙の結果は予想外だった。平民は自由を求め、執政官になれる権利を求めて戦ってきたが、権利が獲得されると彼らは満足し、この心理の変化により、彼らは冷静に判断して投票した。その結果当選したのは全員貴族だった。今日でもこうしたことはよくある。市民一人一人は節度があり、公正で気高い精神を持っていても、集団になるとそうでなくなるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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