【16章】
独裁官が言った。「無駄な言いのがれをやめよ。確かな証拠を出せ。それができないなら、虚偽の理由で元老院に罪を着せたことを認めよ。元老たちが盗みをしたと君が言いふらしたために、人々は彼らを憎むようになった。最も権威ある人々の名誉を失わせるのは重罪である」。
マンリウスは罪を認めなかった。「敵の質問に答える必要はない」。
独裁官はマンリウスを投獄せよと命令した。警吏が彼を逮捕すると、彼は叫んだ。「カピトルの丘に住む最高神ユピテル、女王神ユノーとミネルバ、あなた方を防衛する兵士が敵によって迫害されるのを許すのですか。ガリア人をあなた方の神殿から追い出した私の右手が縛られ、拘束されてもよいのですか」。
マンリウスが辱められるのを見るのを耐えられる者はいなかった。しかし国民は国家の最高権威に従わねばならず、越えてはならない一線を守る必要があり、護民官と平民は独裁官に怒りの視線を向けることはなく、抗議の声を発することはなかった。マンリウスが獄につながれると、多くの人が喪に服し、髪を切らなかったとつたえられている。獄の入り口の前に、群集が集まった。彼らは落胆し、悲しんでいた。
独裁官はヴォルスキ戦の勝利を祝ったが、彼の評判はかえって悪くなった。独裁官は戦場で敵に勝利したのでなく市民に勝利したのだ、と人々は不平を口にした。彼らは皮肉を言った。「勝利を祝う暴君の凱旋行進には足りないものがあった。独裁官の戦車の前を歩く捕虜たちの中に、マンリウスの姿がなかった」。
急速に反乱の機運が高まった。元老院が率先して混乱を抑えようとした。平民をなだめるために、元老院はサトゥリクムに200人の植民者を送ると決定した。
(日本訳注:サトゥリクムはローマの南東60km、ポンプティン地方の内陸の町。沿岸の都市アンティウムの東。サトゥリクムはラテン人のアルバ王国によって建設されたが、紀元前488年ヴォルスキに征服された。紀元前386年ローマはサトゥリクムを奪取した。前386年はこの章の前年)。
植民者は2、5ユゲラ(1ユゲラは約四分の1ヘクタール)の土地を受けとることができた。しかしこれは少数の限られた市民への恩恵であり、受け取れる土地も狭かった。そしてマンリウススを裏切ることを促す賄賂だった。元老院の計画は裏目に出て、人々の怒りに油をそいだ。マンリウスの支持者たちは薄汚れた衣服を着て、険しい表情になり、彼らの意図が明らかになった。独裁官が戦争に勝利し辞任し、恐ろしい存在が消えると、人々の精神は自由になり、言いたい放題になった。
【17章】
人々は自分たちの代弁者をけしかけ、断崖の先端まで行くが、危険を前にして代弁者を見捨てる。たとえば Sp・カッシウスは、平民に土地を与えようとした。また Sp・マエリウスは自分のお金で市民を飢餓から救った。しかし二人とも破滅した。同じように、M・マンリウスも高利貸しに責めたてられ苦しんでいる市民を救い、自由な明るい生活を取り戻してやったが、自分は敵の手に渡されてしまった。平民は自分たちの保護者を見殺しにするのである。家畜を肥やしたあとで、と殺するのと同じである。執政官階級の貴族は独裁官の命令や呼び出しを拒否できないのだろうか。マンリウスは嘘を言ったとしても、また突然質問されて返事に窮したとしても、彼を投獄するのはやりすぎである。奴隷が嘘をついたからといって、投獄されることはない。独裁官と元老院はローマの最悪の日を忘れたのだろうか。ガリア兵がタルペイアの崖を登った夜はローマにとって最後の夜となったかもしれない。もし一人のローマ兵が物音に気づかなければ。見張りが眠ってしまった時、マンリウスが敵の接近に気づき、カピトルの丘は守られた。マンリウスは最初一人で戦い、負傷したが戦い続けた。カピトルの丘は最高神ユピテルの居所であり、マンリウスはユピテルを蛮人から守ったと言える。市民はマンリウスに精一杯のお礼として、半ポンド(1ポンド=454グラム)のトウモロコシを差し出した。それにより、元老院は救世主への感謝は果たされたと考えた。元老院はマンリウスを神のような人物、ユピテルに匹敵する人物と称賛し、人々は彼をカピトリヌスと呼んだ。元老院と市民から尊敬されたマンリウスが警吏に引き立てられ暗い獄につながれてよいのだろうか。すべての市民を助けた人間を助けようとする市民はいないのだろうか。
牢獄の前に集まった群集は夜になっても去ろうとせず、「マンリウスが釈放されなければ、牢獄の壁を打ち破る」と大声で言った。群集が実力行使をする前に、元老院はマンリウスの釈放を決定した。これで反乱は終らず、指導者を奪い返した群集は反乱を開始した。このような時、ラテン人とヘルニキ族使節がローマにやって来た。キルケイとヴェリトラエの植民者の使節も一緒に来た。彼らは弁明した。「我々はヴォルスキと同盟していない。われわれの仲間を釈放してほしい。我々の法律で彼らを裁きたい」。
ローマはラテン人とヘルニキ族の要求を拒否し、キルケイとヴェリトラエの植民者の使節に対してはさらに厳しい措置が取られた。彼らは母国を攻撃するという不敬な企てをしたからである。元老院は捕虜の釈放を断っただけでなく、直ちにローマを立ち去れと命令した。「さもなければ大使としての権利を認めない」。
大使は一般の外国人と異なり、安全を保障されているが、元老院は大使の地位を認めないと脅したのである。
【18章】
この年の末、マンリウスが指導する反乱の最中に、最高官の選挙がおこなわれた。新しい執政副司令官は Ser・コルネリウス・マルギネンシス(2回目の就任)、P・ヴァレリウス・ポティトゥス(2回目の就任)、M・フリウス・カミルス(5回目の就任)、 Ser・スルピキウス・ルフス(2回目の就任)、C・パピリウス・クラッスス、T・クインクティウス・キンキナトゥス(2回目の就任)だった。
年初は戦争がなかったので、貴族も平民も喜んだ。平民は従軍せずに済み、借金の重荷から解放されることを願った。現在強力な指導者がいるので、彼らは期待していた。貴族は戦争に注意を奪われずに国内問題に専念できた。貴族と平民は互いに戦う準備ができていたので、闘争は間もなく始まった。マンリウスは自分の家に平民を集め、昼も夜も指導者格の平民たちと革命の計画について話し合った。マンリウスはこれまで以上に激しい口調で憎しみをこめながら話した。名誉を重んじるマンリウスは生まれて始めて屈辱的な扱いを経験し、彼の怒りは尋常ではかった。クインクティウス・キンキナトゥスが独裁官だった時、Sp・マエリウスを投獄しなかった。しかし昨年の独裁官コルネリウス・コッススはキンキナトゥスを手本としなかった。コルネリウス・コッススはマンリウスを投獄すると、平民の憎しみをかわすかのように辞任した。元老院も知らんふりをしていた。このように考えて、マンリウスはくやしさを募らせ、ますます大胆になった。彼は激烈な調子で演説し、平民の感情を煽った。平民も怒りに火が付ていたので、熱心に彼の話を聞いた。マンリウスは以下のように述べた。
「諸君はいつになったら自分たちの力に気づくのか。動物だって本能で多くのことを知っている。諸君は自分たちの人数と敵の人数を知っている。仮に人数が互角な場合でも、諸君のほうが自由を求めて必死に戦うだろう。連中は権力を守ろうとするだけで、受け身だ。それに加えて諸君のほうが人数で圧倒的に優勢だ。従僕として貴族に使えている市民も反乱し、貴族を敵とみなすだろう。諸君が戦いを開始するだけで、勝負は決まり、再び平和になるだろう。だから、諸君が戦う姿勢を見せるだけで、連連中はひき下がるだろう。諸君は団結して立ち上がるべきだ。さもなければ、弱い個人としてすべてを耐えるしかない。諸君はまだ迷っているのか。私は諸君の期待を裏切らない。神々が私の見方であることを、諸君は知っているはずだ。私は諸君の敵を倒す人間だ。敵はうまい具合に私を処分した。何人かの市民を破滅から救った私が投獄されるのを見て、諸君は私を助けてくれた。私の敵が私にもっとひどい仕打ちをしようとしたら、私はどうなるだろう。カッシウスやマエリウスと同じ運命になるだろう。そうなったら、私は恐怖の叫びをあげるしかない。その時神々が介入してくれるかもしれない。しかし神々自身はは地上に降りて来れない。地上で私を助けてくれるのは諸君だ。神々が諸君に勇気を与えるだろう。私が兵士として野蛮人から市民を守った時、また非情な高利貸しから諸君の仲間を守った時、神々が私を勇気づけた。偉大な国家ローマの市民の精神が小さいはずはない。貴族との戦いにおいて、諸君の護民官が提供してくれるわずかな助力に満足してはいけない。諸君は貴族の支配を制限するのに熱心だが、それ以外にも貴族と論争すべき議題があるのに、諸君は関心がない。このような態度は葉諸君の本来の本能ではない。習慣により奴隷のような精神になってしまった。たとえば、諸君は外国に対しては気概があり、ローマが他国を支配するのは当然で正しい、と諸君は考えている。彼らと戦と戦い、彼らを支配するのに慣れているからだ。ところが自由を求めて国内の敵と戦う場合には、挑戦するだけで、完全な自由をに獲得きないでいる。情けない状態に甘んじている。どれほど素晴らしい指導者を得ても、また諸君自身どれほど勇気があっても、これまで完全な自由を獲得できなかった。力を発揮できて、運がよかった時、個々の目的を達成してきたが、最大の目的を達成できていない。今こそ真に偉大な目的に挑戦すべきだ。諸君が自分の幸運を試すなら、また、実績のある私に挑戦させれば、貴族に対する支配を獲得できるだろう。これまでのように貴族に抵抗するだけでは、いつまでたっても真の目的に到達できない。独裁官と執政官になる資格を平等にしなければならない。平民も独裁官や執政官になるべきだ。そうなれば、平民も貴族のように胸を張り、誇り高い精神を持つだろう。直ちに行動を始めよう。中央広場に行って席を確保しよう。借金を払えない市民に対する判決を阻止するのだ。私は『市民の保護者』になるつもりだ。私は市民に忠実であり、保護した経験もあるので、資格があるだろう。もし諸君の指導者に別の称号を望むなら、それにすればよい。諸君の目的の実現に向けて、私はさらに精力的に働くだろう」。
彼が最後に言ったことは、国王になるための最初の一歩だったという説があるが、彼の周りの陰謀者たちの目的について明確なことはわかっていないし、国王になる計画がどの程度実行されたかもわかっていない。