北朝鮮は8月に金剛山地区の韓国側関係者全員の退去を命じる「追放措置」を取ったが、このところ韓国の企業人の訪問が相次いでいる。
統一部は29日、「KB物産関係者3人が本日、金剛山にある天然水工場の施設点検と凍破防止作業のため訪朝した」と明らかにした。
別の企業関係者6人もこの日、流通センターの点検などのため金剛山地区を訪れた。今月9~15日には金剛山観光事業を担当する現代峨山の関係者らも外金剛ホテルなどに対する凍破防止作業のため、毎日同地区を訪れている。
北朝鮮が韓国側関係者の訪朝と凍破防止作業を容認しているのは、今後金剛山観光の再開に備え、最低限の施設管理の必要性があると判断したためとみられる。
一方、韓国のカトリック教会関係者9人はこの日、北朝鮮側の朝鮮カトリック教会協会の招きで中国・北京経由で訪朝する。
東北亜歴史財団は29日、韓日両国が国交正常化や韓日基本条約の締結に向け交渉した1951年から1965年までの外交記録文書などの歴史資料をデータベース化したと明らかにした。来月中旬、インタネットで一般に公開する。
公開されるのは韓国(当時は朝鮮王朝)と中国の国境設定について議論した朝清国境会談資料集や両国の境界を表示するために建てた白頭山定界碑の資料集、朝鮮王朝時代後期の外交文書「同文彙考」など計9種。
同財団は朝清国境会談資料集や白頭山定界碑資料集などは関心が高まっている韓中の国境問題に関する資料で、現在の国境が決まるまでの過程が分かると紹介している。
少女時代は今年末で3rdオリジナルアルバム『The Boys』で活動を続けていく。
少女時代は10月半ばに3rdアルバムをリリース、アルバム名と同じタイトルのリード曲『The Boys』がKBS『ミュージックバンク』5週連続1位、SBS『人気歌謡』3週連続1位ほか、Mnet『M Countdown』でもトップに立つなど、地上波局とケーブルテレビ局を代表する音楽番組だけで11回も1位に輝いた。
これほど人気を呼んだリード曲『The Boys』に続き、来月2日の『ミュージックバンク』からは同アルバムに収録されている『MR.TAXI』(韓国語バージョン)をステージで新たに披露するほか、ほかの番組でもスペシャル・ステージを用意し、年末まで活発に活動を続ける予定だ。
『MR.TAXI』は今年4月に日本でシングル・リリースされ、オリコンのデイリーランキングで1位になっただけでなく、現在約70万枚を突破した日本での1stオリジナルアルバム『GIRLS' GENERATION』にも収録されている曲だ。7月に行われた少女時代にとって2回目の単独コンサートでは初めて韓国語バージョンが披露された。また、3rdアルバムのステージでも『The Boys』と共に歌われ話題を呼んでいただけに、さらなるヒットが期待される。
また、少女時代の新たなイメージ写真がジャケットに入った3rdアルバム『MR.TAXI』バージョンも12月7日にリリースされるため、ファンは今から心待ちにしている。
今年初めに俳優チョン・ジュノと結婚し、話題を集めたイ・ハジョンMBCアナウンサー。28日にMBC側に辞表を提出し、テレビ朝鮮に入社することが分かった。
MBCアナウンサー局のチェ・ジェヒョク局長は「イ・アナが28日に辞表を提出したのは事実だが、まだ辞職の手続きは終わっていない、残念だが本人が情熱を持って選択した仕事なので、うまくやれると思う」と語った。
イ・アナはテレビ朝鮮に移り、看板アナウンサーとして活動するものと予想されている。特に、プライムタイムに当たる9時のニュースのアンカーに抜てきされる可能性が高い。
平日午後6時30分に放送される『MBCニュース』のアンカーを務めていたイ・アナは、今年初めまで『6時ニュースマガジン』のコーナー「イ・ハジョンが出会った人」の進行を務め、視聴者の関心を集めた。結婚したチョン・ジュノとも、このコーナーを通じて出会った。
捨てられた動物を保護するため、歌手イ・ヒョリが1億ウォン(約674万円)を寄付した、と動物自由連帯が28日発表した。
25日午後、捨てられた動物向けの保育園設立のためのイベントが行われ、イ・ヒョリは非公開で1億ウォンを寄付。この事実がイベントの最後に公開された。この日、愛犬スンシムと参加したイ・ヒョリは、約130人の参加者とともに動物保護活動についてトークを行った。
動物自由連帯はこの寄付金で「イ・ヒョリ館」の設立を検討中。「イ・ヒョリ館」は、より多くの保護動物が新しい飼い主を見つけられるよう治療し、管理する保護施設として活用される。
なお、イ・ヒョリはこの日シンガーソングライター、イ・サンスンとの交際を公表し、話題を集めた。
気候変動に関する政府間パネル(IPCC)が示した「新シナリオ」に基づき、初めて作成された「気候変化の新たな様相」と題する報告書は、韓国政府の気候変化政策全般の大きな転換を予告するものだ。気候変化のペースと幅がこれまでの予想をはるかに上回り、過去の見通しを基に作成した気候変化への対応策、適応戦略が役に立たなくなったからだ。新たな気候変化見通しについて、韓国政府高官は「排出権取引制度の導入など温室効果ガスの削減に努力し、グリーン成長政策についてこれまでを上回るペースで協力に推進する必要がある」と指摘した。
今回の報告書で注目されるのは、気温上昇とともに海水面がこれまでの予測より大幅に上昇すると予想された点だ。2020年時点でも海水面が現在より平均で4センチ上昇し、ソウル市の汝矣島の7.7倍に当たる65平方キロメートルが浸水の危険に直面する見通しだ。2050年時点での予測値は、これまで南海岸で13.9センチ、東海岸で9.6センチ、西海岸で5センチだったが、新たな予測値は東海岸で34.9センチ、南海岸で23.4センチ、西海岸で22.8センチという大幅なものだ。このため、政府は全国22の港湾(貿易港15カ所、沿岸港7カ所)と51の自治体の141地域を対象に、海水面上昇による浸水被害危険地域の暫定指定を進める方針だ。
降水量増加と海水面上昇に備え、ダム・港湾などのインフラに対する補強事業が急がれる。カナダ、ニュージーランドなどは既に海水面上昇による浸水の危険性に対処するため、◆防波堤を高くする◆堤防を陸地側に大幅に後退させる◆海岸道路を計画より高い場所に建設する―などの対策を検討、推進している。
地球温暖化により、韓国では当初予想をはるかに上回るペースで気候変化が進み、過去100年間(1912-2010年)の変化が今後10年間で起きるとの韓国政府の分析が示された。最近40年(1971-2010年)と比較すると、気温の上昇ペースが最大で4倍速まるとみられる。過去40年の韓国の気温上昇は1.4度だったが、今後10年で最大1.5度上昇する可能性があることが分かった。
大統領直属のグリーン成長委員会、環境部(省に相当)、気象庁など8官庁はこのほど、「気候変化の新たな様相と基本対応方向」と題する報告書をまとめ、先月30日に李明博(イ・ミョンバク)大統領に提出した。内容について、李大統領は「(大きな波紋を呼ぶので)専門家による検証を経てから発表するように」と指示。その後、1カ月にわたり再検証作業を行ったが、結果はほぼ変わらなかったという。報告書の作成を主導した気象庁は、国連傘下の気候変動に関する政府間パネル(IPCC)が昨年示した「新気候変化シナリオ」を初めて適用し、韓国の気候変化を分析した。内容は29日に正式に発表される予定だ。
本紙が28日に入手した報告書によると、過去100年間に韓国の平均気温は1.8度上昇した。これに対し、2020年には最大で現在より1.5度高い13.8度、50年には最大3.7度高い16.0度に達するとの予想が示された。韓国政府関係者は「IPCCの以前のシナリオによれば、50年時点での気温上昇幅は2.8度だったが、新シナリオでは3.7度に達する。気候変化のペースがこれまでの予想をはるかに上回るレベルで進んでいることを意味する」と説明した。
地球の気温上昇で、極地や高山地帯の氷河が解け、50年には韓国の海水面がこれまでの予想値(9.5センチ)を2.8倍上回る27センチ上昇するとみられることも分かった。年平均降水量も20年には9%増の1378ミリ、50年には15.6%増の1461ミリとなる見通しだ。特に、ソウル・京畿、南海岸の降水量が大幅に増えるとの見方も示された。
最高気温が33度を超える日、日没後の最低気温が25度以上の熱帯夜、1日の降水量が80ミリ以上の集中豪雨など極端な気象現象も50年には大幅に増えるとみられる。全国平均で8.8日だった猛暑日は、20年には10.3日、50年に25.1日に増え、熱帯夜の日数(ソウル)は、昨年の7.8日から20年には11日、50年には31.6日に増えると予想される。
なぜテッキョン(韓国の古武術)は登録されたのに、中国の功夫(カンフー)は登録されなかったのか。国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産に登録されるためには、5項目ある登録基準を満たさなければならない。テッキョンは、この五つの関門をすべてクリアしたが、中国の功夫はこのうち2項目を満たせず、登録申請を自主撤回したという。
第一に、ユネスコ無形文化遺産リストに登録されるには、申請する遺産が当該共同体内で何世代にもわたって伝承された無形遺産という事実を立証しなければならない。関連共同体内での社会的機能が明確でなければならず、現在の技能保有者たちによって当該遺産が再創造され、その人々にアイデンティティーと持続性を付与していなければならない。第二に、遺産登録によって当該遺産の可視性が高まり、その重要性に対する一般の認識が高まることも予想されなければならない。第三に、遺産に対する現在および未来の保護措置に関する協約がなければならない。第四に、登録申請の過程で当該共同体に対し、事前にいかなる代価もなく関連情報が提供され、登録に同意しなければならない。第五に、当該遺産が申請国の関連団体や個人の要請により、国内の重要無形文化財リストに含まれていなければならない。
中国の功夫の場合、このうち第三・第五の項目を満たせず、登録申請を自主撤回した。すなわち、現在の保護措置に関する技術項目が抜けていたほか、国内リストへの登録をめぐり、いかなる過程を経て登録されたのかに関する具体的な説明が漏れていたという。
これに対しテッキョンとチュルタギ(韓国伝統の綱渡り)=写真右=は、今回の登録決定により世界中の関心を集めることになった。テッキョンは、踊りの振り付けのようにリズミカルな動作で、相手を蹴ったり倒したりする技術を特徴とした伝統武術だ。柔らかく滑らかな動きの中にも、爆発的な力が秘められている。現在およそ50人の公式履修者が活動しており、韓国伝統テッキョン協会がテッキョンを伝承・発展させる上で重要な役割を果たしている。
映画『王の男』でも注目を集めたチュルタギは、世界のほかの国々でも見られる公演芸術だ。しかし外国の場合、ほとんどは綱渡りの技に重点を置いているが、韓国のチュルタギは、それに音楽が加わる。また、綱を渡るチュルグァンデ(綱渡り師)と地上にいるオリックァンデ(道化師)の間で交わされる会話も特徴的だ。チュルグァンデは観客の前で、簡単な技から徐々に難しい技へと移り、40種類以上の技を数時間にわたって披露する。現在、京畿道のチュルタギ保存会がチュルタギ伝承のために中心的な役割を果たしている。
歯でカラムシを裂き、唇につばを付けてつなげ、膝で編んで真心込めて織り…。
1500年間、韓国の暮らしに涼しさをもたらしてくれた「からむし」。素朴ながらも品があり、清潔感と華やかさを兼ね備えた服、韓国女性の忍耐の象徴「韓山からむし織り」が、28日に国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産に登録された。これで、イラン・アゼルバイジャンのカーペット織りと同じレベルの評価を受けたことになる。
■最後の最後に登録成功
文化財庁(金讃〈キム・チャン〉庁長)は28日、インドネシアのバリ島で行われた第6回ユネスコ無形遺産委員会で、韓国が登録申請していた6件のうち、テッキョン(古武術)、チュルタギ(伝統の綱渡り)、韓山からむし織りの3件がユネスコ無形文化遺産に登録されたと発表した。特にテッキョンは、世界の伝統武術の中で初めて無形文化遺産に登録された。
テッキョンとチュルタギは、予備審査の段階ですでに「登録」の勧告を受けており、ユネスコの慣例上、登録決定は確実視されていた。一方で韓山からむし織りは、予備審査で「追加情報が必要(登録保留)」との勧告を受けたものの、本会議での韓国側の積極的な説明が功を奏し、劇的に審査を通過した。
これで韓国は、2001年の宗廟(そうびょう)祭礼(朝鮮王室の祭礼儀式)・宗廟祭礼楽を筆頭に、03年にパンソリ、05年に江陵端午祭、09年にカンガンスルレ(伝統の円舞)、男寺党ノリ(男寺党と呼ばれる旅芸人一座の公演)、霊山斎(四十九日の法要)、済州チルモリ堂燃燈グッ(済州島の漁村に伝わる巫女の儀式)、処容舞(伝統の仮面舞踊)、昨年の歌曲・大木匠・鷹狩りに続いて、合計14件のユネスコ世界無形文化遺産を保有することになった。
■からむし織りが生まれるまで
忠清南道舒川郡の特産品「韓山からむし」は、身に着けているとは思えないほど軽くて通気性に優れ、昔から夏場の衣類として脚光を浴びてきた。「韓山からむしは、飯椀一つに一疋(2反分)が全て入る」と言われるほど繊細なことで有名で、韓国からむしの代名詞だった。
しかし、からむし織りが誕生するまでには、非常に長い手間と苦労を経なければならない。植物のカラムシの収穫から漂白まで、大きく分けて8段階あり、およそ3-4カ月はかかる上、その全工程を手作業で行うという、過酷な労働の産物なのだ。(グラフィック参照)
カラムシを乾燥させて作った「テモシ」の繊維を、歯や唇で細く裂く、という伝統的なやり方で製造するため、韓山からむしはカラムシ畑に農薬をまくことができない。
「13歳のとき、訳も分からないまま家族全員が平安南道北倉郡鳳倉里の18号管理所(政治犯収容所)に連れて行かれた。28年間収監され、40歳を過ぎて出所した。管理所を出てから、ずっと前に祖父が韓国に渡ったために収監されたという事実を知った」
今月23日にスイスのジュネーブで開かれた第11回北朝鮮人権・難民問題国際会議で、2009年に脱北して韓国に入国した女性、キム・ヘスクさん(49)=仮名=が、北朝鮮の政治犯収容所の惨状について生々しく証言した。
平壌で生まれたキムさんは、13歳だった1975年2月に家族全員と共に政治犯収容所に収監され、02年8月まで28年にわたり「イヌにも劣る暮らしを送った」と語った。
■「イヌにも劣る収容所の人間」
収容所で弟2人が生まれ、キムさんも結婚して2人の子どもをもうけた。しかし父方の祖父、両親、弟、夫は全て収容所で亡くなった。2人の子どもは収容所を出てすぐ、03年8月の洪水で命を落とした。
キムさんは、中学校を卒業した16歳の時から、炭鉱で1日16-18時間も石炭を掘る重労働を強いられた。右手の親指は石炭掘りの作業で切断され、頬には石炭の粒が当たってできた真っ黒な傷が残っていた。
強制労働で苦しんでいるにもかかわらず、家族7人に対する1カ月の配給量は、6―7キロのトウモロコシが全てだった。キムさんは「とにかく、おなかいっぱい食べることが唯一の願いだった。地獄のようなあの場所で、自分の子どもを食べてしまった女性を2人も見た」と語った。
■父を思い続けて42年
「私が2歳の時、国際赤十字委員会など国際社会に父の送還を訴えるために撮った家族写真だ。あれから42年が過ぎたが、父は帰ってきておらず、生死の確認もできていない。そのため再びこの写真を持って、ジュネーブを訪れた」
色あせた写真を見せたのは「1969年大韓航空機拉致被害者家族会」のファン・インチョル代表(44)。ファン代表の目は赤かった。ファン代表は、69年12月11日に大関嶺上空でハイジャックされた大韓航空機の乗客の1人、嶺東MBC放送(現在の江陵MBC)でプロデューサーを務めていたファン・ウォンさん(当時32歳)の長男だ。北朝鮮は事件直後、国際社会から非難が集中したことを受け、70年2月に乗客・乗員50人のうち乗客39人を送還したが、ファン・ウォンさんを含む乗客7人と乗員4人の合わせて11人の身柄は解放しなかった。ファン代表は「父が拉致されて以来、母は徐々に正気を失っていった」と語った。ファン代表の母親は現在、精神病院に入院しているという。
北朝鮮人権市民連合とヒューマン・ライツ・ウォッチ(HRW)、ブラジルの人権団体「コネクタス」が共同で主催し、本紙などが後援したこの日の会議には、国連人権理事会の理事15カ国の代表や人権団体の関係者など、合わせて100人余りが出席した。