探墓巡礼顕彰会-墓碑調査・研究プロジェクト-

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1月23日 済松寺

2010-02-04 00:56:22 | 会員の調査報告
会員のカトケンです。

予約公開を行っている新宿区榎町の済松寺を訪ねました。

本堂右裏手に広大な庭を有し、大きな池に茶室などを備え、閑静で趣のある雰囲気となっています。(=写真)



開基は祖心尼という、徳川家光時代に大奥に仕えた女官であり、春日局の姪に当たる人です。

境内西側にある墓域には祖心尼と開山の清光和尚、家光の室2名、和泉岸和田藩主岡部家の墓などがあります。

墓域ほぼ中央にあって東向きに建っている家光室の墓はお里佐の方(定光院)とお「まさ」の方(養春院)。二人とも家光との間に男児を産みますが、ともに夭逝。右側のお里佐の方は五輪塔、左側のお「まさ」の方は宝篋印塔です。

これらに背を向けて建っているひときわ大きな五輪塔墓は、泉州岸和田第9代藩主岡部美濃守長慎(ながちか)の墓。法号「葆光院殿南山道寿大居士」、没年「安政五年戊午十一月二十五日」(1858.12.29)。

台座の下にさらに大きな石の上に建っており、正面には鳥居型の囲いがある周囲から一線を画する存在感です。

それと向かい合わせに同じ形状の五輪塔が二対あり、右(南)側が9代長慎の実父で第8代藩主美濃守長備(ながとも)、左(北)側が長備伯父で第6代内膳正長住(ながすみ)になります。

長備の法号「泰心院殿徳叟全祐大居士」、没年「享和三年癸亥十一月二十日」(1804.1.2)。
長住の法号「円覚院了山道義大居士」、没年「文化六年己巳八月八日」(1809.9.17)。

ほかに岡部姓が多数あり、五輪塔でない形状のものもあって岡部姓には違いので一族かと思われます。

岡部長備の傍らには小浜藩士で山崎闇斎による神道を柱とした崎門学者、若狹小浜藩士 山口菅山とその一族の墓があります。通称貞一郎、同藩梅田雲浜や薩摩藩士有馬新七の師として勤王思想を鼓舞したことで知られています。

また、現在は閉ざされている山門側には、木下順庵家の墓があります。順庵は新井白石や雨森芳洲の師匠としてつとに有名です。本人の墓は大塚先儒墓地にあるようです。

臨済宗妙心寺派の寺院にはピンと張り詰めた清々しさと心地良さが共通して感じられるのは何故でしょうか。

山号は蔭凉山。訪れる際は事前に予約を入れましょう。(新宿区榎町77)
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