探墓巡礼顕彰会-墓碑調査・研究プロジェクト-

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上高田寺院調査

2011-07-18 22:21:09 | 会員の調査報告

会員のカネコです。
今日は上高田の寺院を調査して来ました。
最近は多忙だったため、久々の調査となりました。

上高田へは何度か調査に来ています。
この辺りは寺院の密集地帯であり、特に大名や幕臣の墓が多く残っています。

青原寺、龍興寺、高徳寺、松源寺、功運寺、宝泉寺、自証院墓地を廻って、最後に保善寺を訪ねました。

ここには志摩鳥羽藩主稲垣家の墓がありますが、今回の目的は旗本小栗家の墓です。
小栗上野介忠順の墓は権田村東漸寺、さいたま市普門院、雑司ヶ谷霊園の3ヶ所にありますが、それ以前の小栗家はこの保善寺を菩提寺としていました。
上野介の先祖の墓がどうような状態になっているかを確認してきました。

このお寺は境内に幼稚園があるので、立ち入るには許可が入ります。
幸い、ご住職に対応して頂き、小栗家の墓まで案内してもらいました。
現在、小栗家のご子孫の墓参はないようで、上野介の両親の墓は無縁墓に集石されていました。


正面に[小栗家累代之墓]と刻まれており、その右に[忠院殿天心清鑑居士]、左に[鏡壽院殿長榮清久大姉]と上野介の両親の名が刻まれていました。
上野介の父忠高は新潟奉行在職中に没したため新潟にも墓所があります。

さらにご住職に案内して頂き、もう1基小栗家の墓を見ました。
小倉家の墓域内にある[小栗家累代之墓]と刻まれた唐破風型の墓碑でした。
この小倉家は大阪の財界で活躍された家とのことでしたが、ご住職も小栗家との関係は分からないとのことでした。裏面には[昭和五年八月位置替改葬 小倉清之助執行]と刻まれていました。
墓石の格式から小栗家の当主の墓を使用したと思われますので、ここに小栗家歴代が葬られていると思い、持参した花を供えてきました。
この小倉家と小栗家の関係については今後の調査課題になりそうです。

コメント (2)
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