探墓巡礼顕彰会-墓碑調査・研究プロジェクト-

「探墓巡礼顕彰会」の公式ブログです。巡墓会企画の告知など活動報告をしています。

川路と来嶋又兵衛

2011-03-28 21:33:18 | 会合報告
会員のカワチです。

遊撃隊を組織し、禁門の変で壮烈に散った長州藩士・来嶋又兵衛。
この来嶋を撃ったのが、川路利良だという説があることをご存じでしょうか。
『訂正補修 忠正公勤王事績』(中原邦平)には下記の記載があります。

来島と云ふ人は勇将でありますから、手下にも弱卒はない。
且つ力士隊と云ふやうな勇壮な者も居りますから、無暗に蛤御門を撃ち破って御所内に進入した。此處は會津が守つて居たが、會津の兵は殆ど将棋倒しに倒れたさうであります。所が薩州の兵が乾御門の方からやつて来て、後ろから撃出した。来島は馬上で、金の采配を以て指揮して居たさうですが、薩州の川路利良と云ふ人が、アノ大将を狙ひ撃ちをしたら勝てると云ふので、来島を狙撃して撃ち落した。其の死骸は力士隊の力士が引つ擔いで、山崎に引取りましたが、来島が死んでから總崩れとなりました。

ウィキペディアにも川路が狙撃したと書いてあります。
しかし川路側の資料には来嶋を撃ったという記録はありません。
禁門の変後に川路が家族に送った手紙にも、篠原秀太郎を打留めたことは記されていますが、来嶋については記されていません。
しかし川路は自らの戦功を口にしなかったというので、記載がないから事実無根とは言い切れません。
事実か否かはともかく、川路が討ったという記録がある以上、川路の追っかけを自任する私としては来嶋の墓を訪ね、合掌掃苔せねばと思いました。
墓所を調べたところ、京都府東山区清閑寺霊山町の京都護国神社、山口県光市室積の峨嵋山護国神社、山口県美祢市西厚保町本郷の高岡墓地の三ヵ所にあるようです。
美祢市の墓には夫婦で葬られているようなので、そちらを訪れることにしました。

新幹線で厚狭駅に出て、そこからJR美祢線で厚保駅へ向かいます。
美祢線は2010年7月の大雨による被災で運休しており、代行バスが運行しています。
しかし便は少なく、日暮れまで時間もなかったのでタクシーを使いました。
2740円かかりました。
来嶋の墓の詳しい場所は伝記などにも記されておらず、頼れるのは石原博之さんが管理している「竜馬が長州をゆく」というホームページに掲載されていた情報のみです。
ホームページに掲載されている地図を見る限り、来嶋の墓があるのはどうやら寺の墓地ではないようです。
中国自動車道をくぐってから右に曲がり、畑の横の道をしばらく登っていくと、道が三本に分かれています。
右の道を進みましたが、どうやら間違いのようです。
次に左の道を進みましたが、これも間違いのようです。
最後に真ん中の、左右が草木に囲まれた薄暗い道を進みました。
「この道で合っているのかなあ」と不安に思いつつしばらく進むと、藪の奥にチラリと墓石らしきものが見えました。
やがていくつもの墓石が姿を現しました。
ほっとしましたが、なかなか難易度が高そうな墓地です。
墓地というよりも、墓山というほうがイメージに近いかもしれません。
夕方ということもあって人っ子一人おらず、ちょっと不気味な雰囲気です。
「竜馬が長州をゆく」に掲載されていた「墓地の一番高いところ」という情報と、掃苔屋としての勘を頼りに墓山を登ると、藪の奥に「来嶋」と彫られた墓石を見つけました。
来嶋又兵衛の一族の墓域でした。



墓域の入り口が藪で覆われていた時点で予想はしていましたが、かなり荒れていました。
数年前に掃苔した大楽源太郎の墓を思い出しました。
あのときは墓石にトカゲとムカデが這っていました。
藪をかき分け来嶋の墓域に入ると、墓の前にいた茶色のムクムクしたものが逃げていきました。
よくわかりませんが、野うさぎではないかと思いました。

私にとって来嶋又兵衛というと、川島雄三監督の映画「幕末太陽傳」の印象が深いです。
河野秋武演じる来嶋(映画では鬼島)は、厳格でお堅い印象のキャラクターづけですが、その彼がハマってしまったのが遊郭通いでした。
同郷の藩士には遊郭通いをいさめている人物が、こっそり女郎に熱をあげていると知った高杉晋作らは、フランキー堺演じる居残り左平次に相談し、一計を案じます。
結局、来嶋は高杉らにまんまと騙され、百両をせしめられてしまいます。
なおフランキー堺は、川路利良の嗣子となる利恭の弟の孫にあたります。
そのため昭和四年に川路生誕地記念碑が建てられた際と、平成二年に川路の銅像が建てられた際には式典に出席しています。

日が暮れる前になんとか来嶋又兵衛の墓を掃苔することができ、ようやくほっとしました。
「竜馬が長州をゆく」の情報がなければ、絶対にたどり着くことはできなかったと思います。
なお、墓所から2キロほど離れた厚保小学校のプールの横には、来嶋の銅像が建っています。
来嶋らしく、古武士然とした凛々しい像です。
コメント
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