会員のカネコです。
昨年末から多忙のため、まとまった調査ができずにいますが、最近は時間を見つけては情報の整理や文献の調査などをして掃苔の準備をしています。
時間が無いなりにも少しでも多くの墓碑を見たいという気持ちは強いものです。
私が住んでいるのは川崎市ですが、東京と隣接していることもあって、たいてい東京に調査に出てしまい、あまり地元川崎にある墓碑調査をしていなかったことに気づきました。
先日少し時間があったので、いつも買い物をしている川崎駅西口のラゾーナ裏側にある円真寺に行ってきました。
ここには室町期の関東の名族江戸氏の末裔であり、「六郷殿」と呼ばれた蒲田氏の墓があります。
これを知ったのは関東武士研究叢書『江戸氏の研究』でしたが、存在を知りながらも近くだからいつでも行けると思っていて、調査が流れていました。
墓地に入ると江戸初期に建てられた宝篋印塔がありました。
寛永十七年の銘があるこの石塔は開基蒲田所左衛門夫妻の墓で左京亮重武という人物です。
重武は北条氏に仕え、その滅亡後浪人を経て土井利勝に仕えたました。その後、子孫は土井家を去り、相馬家に仕えました。
この宝篋印塔の周りには蒲田姓の墓碑が数基あり、中世以来この近辺の名族だったことが伺い知れました。
たまには自分の住んでいる近くのお寺で郷土の名士の墓を探すのも良いものです。
そこには小さいながらも新たな発見があることでしょう。
昨年末から多忙のため、まとまった調査ができずにいますが、最近は時間を見つけては情報の整理や文献の調査などをして掃苔の準備をしています。
時間が無いなりにも少しでも多くの墓碑を見たいという気持ちは強いものです。
私が住んでいるのは川崎市ですが、東京と隣接していることもあって、たいてい東京に調査に出てしまい、あまり地元川崎にある墓碑調査をしていなかったことに気づきました。
先日少し時間があったので、いつも買い物をしている川崎駅西口のラゾーナ裏側にある円真寺に行ってきました。
ここには室町期の関東の名族江戸氏の末裔であり、「六郷殿」と呼ばれた蒲田氏の墓があります。
これを知ったのは関東武士研究叢書『江戸氏の研究』でしたが、存在を知りながらも近くだからいつでも行けると思っていて、調査が流れていました。
墓地に入ると江戸初期に建てられた宝篋印塔がありました。
寛永十七年の銘があるこの石塔は開基蒲田所左衛門夫妻の墓で左京亮重武という人物です。
重武は北条氏に仕え、その滅亡後浪人を経て土井利勝に仕えたました。その後、子孫は土井家を去り、相馬家に仕えました。
この宝篋印塔の周りには蒲田姓の墓碑が数基あり、中世以来この近辺の名族だったことが伺い知れました。
たまには自分の住んでいる近くのお寺で郷土の名士の墓を探すのも良いものです。
そこには小さいながらも新たな発見があることでしょう。