会員のカネコです。
6月19日(土)、当会の会長釣洋一先生の喜寿を祝う会がアルカディア市ヶ谷にて開かれました。
釣先生のこれまでの人生は波瀾万丈でした。
若い時は北海道で日活の支配人などをしていましたが、30代で新選組に目覚めデビュー作『新選組再堀記』を出したのは38歳の時でした。その後も職を転々としながら新選組を追求する旅を続け、数々の著書を出されました。
他にも近年では鬼平で知られる火付盗賊改の研究や、暦の研究でも名を挙げています。特に鬼平に関しては今年で17回を迎える鬼平忌を主催しており、今週27日に開催されます。
鬼平忌
先生の大きな功績は新選組の末端の隊士に至まで詳細に子孫の行方や墓を調査した事で、それまでの文献重視の研究方法とは違ったアプローチはその後の研究者に大きな影響を与えました。
そんな釣先生が今年の6月19日の誕生日で喜寿を迎えられました。
この日は100人近くの人がお祝いに駆けつけました。
当会のカトケンさん、カワチさんも同席しました。
挨拶では新人物往来社前社長大出先生、鬼平こと長谷川平蔵の本家のご子孫、写真師内田九一のご子孫、当会でも世話になっている古写真研究家の森重先生、京都旧前川邸の田野さんなどが壇上に立たれました。
天然理心流の演武もありました。
個人的には超フェイバリット時代劇である日テレ年末時代劇スペシャル『五稜郭』にも登場する古屋作左衛門(竜雷太が演じていました)のご子孫にご挨拶できたのも嬉しかったです。
また、新選組の墓碑研究で知られる大阪の久保先生ともお会いできたことも嬉しい出来事でした。
当会メンバーもお世話になっていて最近、日本左衛門についての著書を出された元刑事の富田先生のマッジクショーもありました。
最後に先生からの挨拶がありました。
この日あったワールカップにちなみ「サッカーの嫌いな作家です」という挨拶から始まりました。
面白かったのが今まで「有言実行」と言うより「公言実行」で生きていたというお話しです。色んな人に公言して自分を追い込むことで色んなことを達成してきたという事でした。一人でコツコツと努力するのは苦手だという事でした。
何かその事に共感を覚えました。
期限とかゴールがないと人間楽な方に向かってしまうものです。
先生が初めて作品を出したのが38歳。特に大学の史学科を出た訳ではなくコネがあった訳でもありません。在野の研究者として始まり、今や多くの人からリスペクトされる存在となりました。
そんな先生の姿は我々若手の在野研究者に勇気を与えてくれます。
いつまでも我々を導く存在であって欲しいと思いました。
先生のこれからますますのご活躍をお祈りします。
6月19日(土)、当会の会長釣洋一先生の喜寿を祝う会がアルカディア市ヶ谷にて開かれました。
釣先生のこれまでの人生は波瀾万丈でした。
若い時は北海道で日活の支配人などをしていましたが、30代で新選組に目覚めデビュー作『新選組再堀記』を出したのは38歳の時でした。その後も職を転々としながら新選組を追求する旅を続け、数々の著書を出されました。
他にも近年では鬼平で知られる火付盗賊改の研究や、暦の研究でも名を挙げています。特に鬼平に関しては今年で17回を迎える鬼平忌を主催しており、今週27日に開催されます。
鬼平忌
先生の大きな功績は新選組の末端の隊士に至まで詳細に子孫の行方や墓を調査した事で、それまでの文献重視の研究方法とは違ったアプローチはその後の研究者に大きな影響を与えました。
そんな釣先生が今年の6月19日の誕生日で喜寿を迎えられました。
この日は100人近くの人がお祝いに駆けつけました。
当会のカトケンさん、カワチさんも同席しました。
挨拶では新人物往来社前社長大出先生、鬼平こと長谷川平蔵の本家のご子孫、写真師内田九一のご子孫、当会でも世話になっている古写真研究家の森重先生、京都旧前川邸の田野さんなどが壇上に立たれました。
天然理心流の演武もありました。
個人的には超フェイバリット時代劇である日テレ年末時代劇スペシャル『五稜郭』にも登場する古屋作左衛門(竜雷太が演じていました)のご子孫にご挨拶できたのも嬉しかったです。
また、新選組の墓碑研究で知られる大阪の久保先生ともお会いできたことも嬉しい出来事でした。
当会メンバーもお世話になっていて最近、日本左衛門についての著書を出された元刑事の富田先生のマッジクショーもありました。
最後に先生からの挨拶がありました。
この日あったワールカップにちなみ「サッカーの嫌いな作家です」という挨拶から始まりました。
面白かったのが今まで「有言実行」と言うより「公言実行」で生きていたというお話しです。色んな人に公言して自分を追い込むことで色んなことを達成してきたという事でした。一人でコツコツと努力するのは苦手だという事でした。
何かその事に共感を覚えました。
期限とかゴールがないと人間楽な方に向かってしまうものです。
先生が初めて作品を出したのが38歳。特に大学の史学科を出た訳ではなくコネがあった訳でもありません。在野の研究者として始まり、今や多くの人からリスペクトされる存在となりました。
そんな先生の姿は我々若手の在野研究者に勇気を与えてくれます。
いつまでも我々を導く存在であって欲しいと思いました。
先生のこれからますますのご活躍をお祈りします。