饒速日命(にぎはやひのみこと)。
その呪力もってすれば、死人をも生き返らせることができる『十種神宝(とくさのかんだから)』を天照大御神と高木神(高御産巣日神)から授かり、三十二人の護衛と共に「天磐船(あめのいわふね)」に乗り、河内国河上、哮峯(いかるがのみね)に天降った(降臨した)と伝承される。
その後、大和国白庭山に遷御。
天磐船に乗り、大虚空を飛翔し国を見定め(『所謂(いわゆる)、天の磐船に乗りて大虚空(おおぞら)を翔行(めぐりゆ)きて、是の郷(くに)を睨(おせ)りて天降りたまひて、「虚空見つ日本(やまと)の国」と謂うは、是なり』)、とされる(『先代旧事本紀』)。
物部(もののべ)氏の祖神とされ、また、『日本書紀』に「火明命、こは尾張連等が祖なり」とあることで尾張氏の祖神との見方もある。
(尾張一宮・真清田神社では天火明命(あめのほあかりのみこと)が祀られている)
いわゆる「記・紀」は、大きくいえば天皇による統治の経緯や伝承を記している。
それは、その編纂された時代において、編纂する側の意志と意図のもとにおいて成される事業でもあるだろう。
現在皇祖神とされる天照大御神。
その、「御璽(みしるし)」を携え降臨された饒速日命(にぎはやひのみこと)は、神武天皇が大和に到達した頃にはすでに統治していた。
「記・紀」では、神武天皇に統治権を譲った、ということになっているのだが…さて。
太陽、月、星…
いわゆる惑星神、「星神」への信仰は、古代より世界各地で連綿と継承されている。
日本もまた例外ではなく、いわゆる「三貴子」のうち、アマテラスは「太陽」と、ツキ(ク)ヨミは「月」と対応しているし、そのほか天の河(七夕)、北極星・北斗七星(北辰・妙見)が代表的である。
北辰(北極星)は、道教・陰陽道の信仰の中核でもあり、北辰=天皇大帝となる。
「天皇大帝」とは、文字から推察されるように日本における「天皇」の語源でもある。
道教では鎮宅霊符神、日本においては、仏教と習合し妙見大菩薩=神道でいうアメノミナカヌシ神となる。
このような星辰信仰は平安中期以降に盛んになったといわれ、北辰(北極星)に関する祭祀・供養は、天皇のみを対象に元来行われ秘法・秘儀とされてきた。
古代中国では、北辰(北極星)は天の中心であり、北斗七星はその天の帝王を乗せる車、とされていた。
また、北辰は、天皇専属の熾盛光仏頂(しじょうこうぶっちょう=梵名プラジュヴァローシュニーシャ)として天台では祭祀・供養されており、真言では北斗供が編み出され、こちらは庶民の信仰を集めたという。
「妙見」は事の真贋を見通す、といった意味になる。
また、伊勢においてよく見られる「太一」は北辰と同義。
皇大神宮において、古道教究極神がよく見られるというのも、謎を深める。
「神話」とは、英語ではmyth、フランス語のmythe、ドイツ語のmythosの訳語で、遡ればギリシア語のmuthosになるという。
「ミュートス」は、「ロゴス」と同じく言葉を意味するが、「ミュートス」は、「生じた事や生じる定めとなっていることについて」の言葉であり、「事実を報じ、あるいは述べることによって事実となるに違いない言葉であり、権威ある」言葉、ということらしい。
神話は、人類の思考、無意識の構造が基礎にあり、それを伝承する民族、血族の世界観、世界像を表現する。
大きくは世界や人類などの起源を語る創世神話、そして、英雄としての神々や人々の生涯を物語る英雄神話に分類される。
日本の、造化三神の下りにおける混沌から、イザナギ神・イザナミ神における「国生み」へと続く秩序化もまた、ひとつの神話の類型。
神道では、人はすべて死したのち神となると考え、この世には神からの「みこと(御言)」を受け生まれる「みこともち」であるとしています。
「命(みこと)」と、すべての神に尊称がつくのは、「神に還る」ということ。
しかし、こうした考え方も日本独特というわけではなく、その源流はどこかにある。
ただ、このような形態で、無意識の深奥に根深く、しかし忽然と顕在化している場所は…さて。
今回の「饒速日命(にぎはやひのみこと)」の伝承も、天から降ってくるというのは、いささか荒唐無稽に思えるかもしれない。
けれど、世界的にはさして珍しくはない。
これもまた、神話のひとつの類型である。
こういった伝承を荒唐無稽と一笑に付することなく、そのように伝承されるその真義を問うこと。
それがひいては、自らの根源をひも解く機会へと結びついていくことだろう。
今回御参加いただいた皆様、本当にありがとうございました。
岩窟くぐりなど、ちょっと大変なところもありましたし、あっちこっちに飛び跳ねるように移動する、「おそうじ隊」のこれまでの中でもけっこう異質な「大阪春の陣」となりました。
しかし最終的には大阪のど真ん中、難波宮、そして教会…万事繋がっていくそのサマを、不思議がりながら納得している次第です。
また今回は、「おそうじ隊」のある意味でのターニングポイントになったような気もいたします。
「おそうじ隊」の本義は「プラネタリー・ワーク」、宇宙との呼応です。
次なる見参地は『隠岐島』。
大小合わせ150もの神社が建立されているといいます。
島の規模からいえば、驚くほどの密集度合い。
6月8日・9日・10日。
御参加を希望される方はこちら。
お問い合わせはこちらへ、お願いいたします。
その呪力もってすれば、死人をも生き返らせることができる『十種神宝(とくさのかんだから)』を天照大御神と高木神(高御産巣日神)から授かり、三十二人の護衛と共に「天磐船(あめのいわふね)」に乗り、河内国河上、哮峯(いかるがのみね)に天降った(降臨した)と伝承される。
その後、大和国白庭山に遷御。
天磐船に乗り、大虚空を飛翔し国を見定め(『所謂(いわゆる)、天の磐船に乗りて大虚空(おおぞら)を翔行(めぐりゆ)きて、是の郷(くに)を睨(おせ)りて天降りたまひて、「虚空見つ日本(やまと)の国」と謂うは、是なり』)、とされる(『先代旧事本紀』)。
物部(もののべ)氏の祖神とされ、また、『日本書紀』に「火明命、こは尾張連等が祖なり」とあることで尾張氏の祖神との見方もある。
(尾張一宮・真清田神社では天火明命(あめのほあかりのみこと)が祀られている)
いわゆる「記・紀」は、大きくいえば天皇による統治の経緯や伝承を記している。
それは、その編纂された時代において、編纂する側の意志と意図のもとにおいて成される事業でもあるだろう。
現在皇祖神とされる天照大御神。
その、「御璽(みしるし)」を携え降臨された饒速日命(にぎはやひのみこと)は、神武天皇が大和に到達した頃にはすでに統治していた。
「記・紀」では、神武天皇に統治権を譲った、ということになっているのだが…さて。
太陽、月、星…
いわゆる惑星神、「星神」への信仰は、古代より世界各地で連綿と継承されている。
日本もまた例外ではなく、いわゆる「三貴子」のうち、アマテラスは「太陽」と、ツキ(ク)ヨミは「月」と対応しているし、そのほか天の河(七夕)、北極星・北斗七星(北辰・妙見)が代表的である。
北辰(北極星)は、道教・陰陽道の信仰の中核でもあり、北辰=天皇大帝となる。
「天皇大帝」とは、文字から推察されるように日本における「天皇」の語源でもある。
道教では鎮宅霊符神、日本においては、仏教と習合し妙見大菩薩=神道でいうアメノミナカヌシ神となる。
このような星辰信仰は平安中期以降に盛んになったといわれ、北辰(北極星)に関する祭祀・供養は、天皇のみを対象に元来行われ秘法・秘儀とされてきた。
古代中国では、北辰(北極星)は天の中心であり、北斗七星はその天の帝王を乗せる車、とされていた。
また、北辰は、天皇専属の熾盛光仏頂(しじょうこうぶっちょう=梵名プラジュヴァローシュニーシャ)として天台では祭祀・供養されており、真言では北斗供が編み出され、こちらは庶民の信仰を集めたという。
「妙見」は事の真贋を見通す、といった意味になる。
また、伊勢においてよく見られる「太一」は北辰と同義。
皇大神宮において、古道教究極神がよく見られるというのも、謎を深める。
「神話」とは、英語ではmyth、フランス語のmythe、ドイツ語のmythosの訳語で、遡ればギリシア語のmuthosになるという。
「ミュートス」は、「ロゴス」と同じく言葉を意味するが、「ミュートス」は、「生じた事や生じる定めとなっていることについて」の言葉であり、「事実を報じ、あるいは述べることによって事実となるに違いない言葉であり、権威ある」言葉、ということらしい。
神話は、人類の思考、無意識の構造が基礎にあり、それを伝承する民族、血族の世界観、世界像を表現する。
大きくは世界や人類などの起源を語る創世神話、そして、英雄としての神々や人々の生涯を物語る英雄神話に分類される。
日本の、造化三神の下りにおける混沌から、イザナギ神・イザナミ神における「国生み」へと続く秩序化もまた、ひとつの神話の類型。
神道では、人はすべて死したのち神となると考え、この世には神からの「みこと(御言)」を受け生まれる「みこともち」であるとしています。
「命(みこと)」と、すべての神に尊称がつくのは、「神に還る」ということ。
しかし、こうした考え方も日本独特というわけではなく、その源流はどこかにある。
ただ、このような形態で、無意識の深奥に根深く、しかし忽然と顕在化している場所は…さて。
今回の「饒速日命(にぎはやひのみこと)」の伝承も、天から降ってくるというのは、いささか荒唐無稽に思えるかもしれない。
けれど、世界的にはさして珍しくはない。
これもまた、神話のひとつの類型である。
こういった伝承を荒唐無稽と一笑に付することなく、そのように伝承されるその真義を問うこと。
それがひいては、自らの根源をひも解く機会へと結びついていくことだろう。
今回御参加いただいた皆様、本当にありがとうございました。
岩窟くぐりなど、ちょっと大変なところもありましたし、あっちこっちに飛び跳ねるように移動する、「おそうじ隊」のこれまでの中でもけっこう異質な「大阪春の陣」となりました。
しかし最終的には大阪のど真ん中、難波宮、そして教会…万事繋がっていくそのサマを、不思議がりながら納得している次第です。
また今回は、「おそうじ隊」のある意味でのターニングポイントになったような気もいたします。
「おそうじ隊」の本義は「プラネタリー・ワーク」、宇宙との呼応です。
次なる見参地は『隠岐島』。
大小合わせ150もの神社が建立されているといいます。
島の規模からいえば、驚くほどの密集度合い。
6月8日・9日・10日。
御参加を希望される方はこちら。
お問い合わせはこちらへ、お願いいたします。