たまびと日記

『何でも載せちゃうガラクタブログ』

深沢家屋敷跡へ

2008-04-24 | あきる野市 日の出町 檜原村
JR五日市線『武蔵五日市』駅前から檜原(ひのはら)方面に向かうと、すぐに右手に 『西武信用金庫』 が見えてきます。
手前を右折し、深沢を目指して細い道を奥へ進みます。
途中にお友達の家があるのですが、今回は横目で見ながら通り過ぎました。

徒歩だと武蔵五日市駅から1時間はかかる奥まった場所に 深沢家屋敷跡 があります。

所在地    あきる野市深沢7


深沢家は江戸時代後半に山林地主として名をなし、幕末には 千人株 を譲り受けて 八王子千人同心 にも就きました。
明治維新を迎え深沢家を継いだ名生(なおまる)は深沢村の戸長に就任し、息子の権八は神奈川県会議員に当選したそうです。

「多摩は東京なのに何故神奈川?」 と不思議に思う方もいらっしゃるかもしれませんが、1871年の廃藩置県のおり、多摩のほとんどが神奈川県になり、この地も神奈川県西多摩郡深沢村 だったのです。
その後、1893年に東京府に移管されました。



多摩は自由民権運動が盛んな土地でした。
名生(なおまる)、権八親子も 『民権結社 学芸講談会』 の中で、学集会、討論会などを行い、その活動の中から、宮城県出身の千葉卓三郎を中心に自由民権思想に溢れた 五日市憲法草案 が生まれ、それはこの↓深沢家の土蔵の中にしまわれていました。

昭和43年、東京経済大学の色川大吉教授らが、朽ちかけた土蔵の中から発見しました。
土蔵は平成6年に修理が行われ、保存されています。



屋敷跡より一段高いところに、屋敷跡を見下ろすように深沢家の墓所があります。



深沢家を支えた石垣が今も美しく残っています。